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遠雷


 最初に身体を重ねたのは春になったばかりの生温い夜。春雷の響く陰気な夜だった。
 ごろごろと猫が喉を鳴らすような音が遠くに聴こえていてなかなか寝付けず、何度も寝返りを打った。あした早いから困るなあ、とぼんやり思って脚をばたばたさせていたらお母さんが「夜勤行ってくる」と顔を出し「うん」と小声で返事をした。「お父さんもうすぐ帰ってくるから」「ん」「じゃあね」「いってらっしゃい」お母さんは週に二度ほど夜勤がある。なんの仕事をしているかは聞いたけど忘れた。お父さんは音楽をやっていて、わたしにはよく分からないけど昔は(お母さんはいまでも!っていう)大人気のミュージシャンだったらしい。昔の写真を見たら儚い雰囲気の美青年だった。いまも見た目は大して変わらないけど、やっぱりわたしとお母さんのせいか妙な生活感があって、違うひとのような感じがある。髪も短くしているし。昔のお父さんかっこよかったんだね、って本人に言ったらついと顔を逸らされた。あんまり昔の話はしてほしくないみたいだ。
 スマホを片手にやっとうとうとし始めた頃、お父さんのバイクの音がした。足音が近づいてきて、玄関のドアを開けて、閉めて、リビングの点灯音、キッチンに移動して、冷蔵庫を開閉、めぼしいものがなかったのかそのままバスルームに向かう。生まれてからずっとこの音を聞いているから足音だけでなにをしているか、どこにいるかはだいたい分かる。シャワーを浴びている音を聞きながら、わたしは今度こそ眠りに落ちた――はずだった。
 意識が引き戻されたのは床が軋む音のせい。「おとぉさん」おかえり、って言おうとしたら半分眠っているからむにゃむにゃと意味のない言葉になった。お父さんの大きい手が前髪を撫でて、指先がこめかみから頬、唇をなぞる。その動きがなんだかいやらしいものだったからどき、としてしまって間抜けに口が開いた。お父さんの骨ばった指が舌を摘む。
「おとぉひゃん」
 変な声が出て恥ずかしくて、暗い中、お父さんの表情は分からなかった。
 それから。
 たぶんふつうの親子ではしないことをした。よく覚えていない。わたしは不確かな意識の下、か細く喘いだ。自分の口から可愛い声が出ていることが不思議だった。お父さんは息が荒いだけでなにも喋らなかった。たっぷり時間をかけて三回射精し、最後は長い指でわたしのなかに溜まった精液を掻き出して綺麗に片付けをしてくれた。タオルで額の汗を拭いてもらったのを覚えている。そんな春の夜の、熱を出したときに見る夢みたいなひとときだった。
 あれから数ヶ月経ったけれど、お母さんが夜勤の日には必ずお父さんが部屋に来ていた。そしてなにも言わずわたしを抱いて、気を遣る直前にだけ小さい唸り声を上げる。その一瞬だけの声が色っぽくて好き。後ろ向きでするときに後頭部を枕に押し付ける大きな手が好き。首筋にちくちくと当たる前髪が好き。お父さんとするの、好き。
「おとーさん、なんか、言って」
 可愛くねだってみてもなにも言わない。むしろわたしがそんな無駄口を叩かないよう動きを激しくして有耶無耶にしてしまう。せめて名前を呼んでほしい。きちんとわたしを求めていると教えてほしい。そうじゃないと不安になってしまうから――お母さんの代わりにされているだけなんじゃないかって、邪推してしまうから。
 また雷がひどい夜。お母さんが夜勤に出るからお父さんとセックスができる夜。ちょっと楽しみにしてお風呂から上がったら「今日休みになったよ」ってお母さんがお父さんに話しかけていた。「よかったですね」ってお父さんは応えて、後ろにいるわたしをちらりと見た。薄いカーテン越しに真っ暗な空がばちばちと光っていた。項垂れてひとりで部屋に向かう。ばかみたい、今日に限ってわくわくして、すごく可愛い下着を下ろしたのに。そういえば別にお父さんとお母さんは不仲ってわけでもない。だから代わりにされているという発想がそもそもずれていたのだろう。あれはお父さんの気まぐれ、わたしが経験が少ないから勘違いしてしまっただけ、それだけ。
 だらだらとSNSを眺めて無駄な時間を過ごす。もう寝ないと、お父さんも来ないし、なんて思っていたらこんこんこん、とドアがノックされた。この癖のある叩き方はお父さんだ。「はぁい」おやすみでも言いに来たんだろうか。入室を促したら、シャワーを浴びたばかりなのか上半身になにも纏っていないお父さんが覗いた。思わず目を逸らす。なんだか、見てはいけないもののような気がしたから。
 お父さんが近づいてくる。手が伸びて、前髪を撫でる。こめかみ、頬、唇。「っあ」お母さんがいるのに「おとー、さん」いるのに、なんでわたしの部屋に来たの。
 またなにも言わないままセックスが始まった。「おとーさん、なんか言って」苦しい息の合間にまたおねだりする。怖い。なにか言ってくれないと、わたしを選んでもらえたと勘違いしそうになる。
「おとぉさん」
 お父さんはこの数ヶ月髪を切っていない。ずいぶん伸びた髪はまるで昔の、儚い美青年だった頃のネズを思わせる。どうしてだろう、お父さんなのにお父さんじゃないみたい。でも「おとぉさん」と呼ぶとぴくりと反応するから、わたしのお父さんに違いはないはずだ。
 お父さん、どうしてわたしを抱くの。お母さんがまだ起きてるのに、どうして部屋に来たの。どうしてそんな目で見るの。どうして、なにも言わないの。
 なにも分からない。分からなくていいのかもしれない。遠くで鳴る雷だけが饒舌な夜だった。

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