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ヘビイチゴ



 最近のネズからは家庭的な匂いがしていた。なんでも奥さんがオーガニックとかそういうものが好きらしくて、全然似合わない清潔な石鹸の香りを纏い、猫背で歩いている。そういえば結婚してから煙草もやめたみたいだ。「吸ってんの見つかったら泣かれちまうんですよ」と言うネズにはなんの感情も見当たらない。このあいだ盗み見した愛情弁当は野菜多めの健康的なものだったし、カフェインの錠剤をエナジードリンクで飲み下す生活は終わったようだ。「オレ様も結婚したら禁煙できっかな」と冗談半分に言ってみたらじっとりした目で見られただけで、なんとなく結婚生活の話題はタブーらしかった。
 そんな話を友人の女にしてみた。ネズのファンだというそいつは「えー、なんかショック」と細い煙草を咥えた唇を尖らせた。「最近のライブ、つまんないと思ってたんだよね」赤い髪をいじりながら「なんで結婚したんだろー」と呟く。ここから先は下世話な噂話。男慣れしていないファンに手を出したら妊娠させてしまって責任を取らざるを得なくなったとか、そんなこと。「ま、ファンに手を出した方が悪ぃんじゃねーの?」「ふぅん」女はなにか思いついたように目をくりっと動かした。なんとなく分かったけれど、気づかないふりをした。女はまだ髪をいじっている。ストロベリーの甘ったるい香りがした。
「あれ?」
 取材終わりに喫煙所に寄ったら珍しくネズがいた。オレに気づいたネズははっとした顔をして、すぐに諦めたように煙草を咥え直した。細い煙草だった。
「なんだよー、禁煙やめたのかよ」
「貰いもんです」
 答えになっていなかったけれど、まあいい。
「奥さんに怒られるぜ」
 意地悪を言ってみる。ネズは顔を逸らし、それには答えなかった。ベンチの横にあるゴミ箱に手の込んだ惣菜が捨てられていたのは見なかったことにした。オレは大人だから、目を瞑るところは瞑らなければならないのだ。アイツのことも、コイツのことも。
「今夜ライブだろ? オレ観に行っていい?」
「どうぞ、彼女でも連れてきてください」
「いねーよ、嫌味やめろ」
 そこでようやくネズは笑った。落ち窪んだ目がきらりと光った。以前よりも顔色が悪くなった気がする。オレには関係ないけど。
 久しぶりのライブはとても楽しかった。友人は「つまんない」と言っていたがオレには以前と変わらないように思えた。女だからこそ感じるものはあるのかもしれない。ただ、いやにラブソングを避けているようには感じられた。
「ネズのライブ来てる?」
 友人を飲みにでも誘おうとメッセージを送ってみる。
「来てるけどもう帰るよ」
 ずいぶんと素っ気ない返事。一緒に帰ろうというのも変なので、結局ひとりで帰った。どこへも寄らず。そういえば明日はネズと対談なんだっけ。今日の話をしたらちょっとは盛り上がるかもしれないな。アイツって結婚の話はNGとかしてんだろうか。まあ、いいや。
 次の朝、よれよれの服装のネズを見てその場にいた全員が驚いた。いつもインタビューがある日は髪を綺麗にセットして糊の効いたシャツだというのに、結婚前に三徹してエナドリで無理やり起きているかつての彼を思い出させた。スタイリストが泣きそうな顔をしていた。
「おい、ネズ……」
「はい」
「えーと、風呂入った……?」
「……あんまり失礼なこと言わねぇでもらえます?」
 昨日ライブですよ、汗だくのまま来るわけないでしょうが、とネズは憤慨した様子で言った。
「とりあえずネズさんこちらに……」
 スタイリストが衣装部屋に誘導する。不機嫌そうな顔でオレの隣を小走りで通りすがるネズからは甘ったるい、ストロベリーの香りがした。部屋にいる誰もが複雑そうな顔つきになった。そういやまた煙草のにおいもしてるし、ポケットからはなにかの薬が1シート覗いている。
 ああたぶん、これって半分はオレのせいなんだろうな。でも不思議なことに罪悪感がちっともねぇや。だって健康的なネズはなんとなく不幸に見えていたから。コイツはこれでいいんだよ。ネズに絡みつく赤い蛇を想像して、ひとりほくそ笑んだ。

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