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セックス・ドラッグ・ロックンロール


 薄暗い、なんだかよく分からないジャズが流れているバー。俺はお酒がよく分からないからとりあえず名前を知っているカクテル、誘ってくれた先輩は初めて聞く名前のものをオーダーした。バーテンダーはさっき人でも殺してきたかのようなむすっとした表情で、あんまりいい雰囲気じゃないなと思った。にこにこされてもそれはそれで嫌だけど。
 チャームに出されたピスタチオに手を伸ばすと、先輩がそっと小さい手を重ねてきた。どき、とする。
「今日はありがとう」
「こちらこそ」
 相談があるとリハ後にこっそり耳打ちされたときには、いつもはぼそぼそ喋るくせになんだか妙に甘え声で、心臓が飛び跳ねた。どうせ次のライブのセトリとか些細なことなんだろうな、と考えていたけどこの雰囲気だと違いそうだ。
「あのね、実は彼氏のこと、なんだけど……」
 先輩は小さい、でもやっぱりさっきみたいな甘ったれた声で"最近の悩み"を吐露し始めた。悲しそうな横顔は、それでも可愛らしかった。
 彼氏とあまり上手くいっていない、仕事が忙しいのは分かるけどもっと構われたい。
「なんかちょっと、えへへ、寂しくなっちゃって」
 いつもは乱暴にギターをかき鳴らしている指先が僅かに震えている気がする。
 俺は先輩がずっと好きだった。いまの彼氏さんと付き合い始める前から好きだった。一緒にバンドを組む前から、ずっとずっと好きだった。いまも好きで、大好きでたまらない。 
 だからこの甘美な誘いに乗るのはとても簡単だ。いますぐ先輩の手を握り、じゃあ今日は帰しませんとでも囁けばいい。先輩は笑顔になって、俺のひとときの恋人になってくれるはずだ。
 でも、それでいいのか?
 そんな"過ち"を犯させて、それで先輩が幸せになれるとでも?
「……ちゃ、ちゃんと話せば、きっと、分かってもらえます、よ」
 からからに乾いた口の中。「俺は、応援して、ますから」応援ってなんだ、頭の中が空っぽだから上手く言葉が出てこない。ああ、バカってこういうときに困るなあ。
「……そっかぁ、ごめん、ありがとう」
 ふふ、と先輩は笑い、温かい手が離れていった。そのタイミングでカクテルが目の前に並べられ、白い指先がグラスの脚を持つ。
「君のそういうところ、好きだよ」
 安堵する。いいんだ、俺は、これで。「忘れてね、さっきの」俺は小さく頷く。正しい選択をした。俺も先輩も。空気を変えようと、ライブのセトリの話を持ち出してみた。先輩はちょっと驚いた顔をして、でもすぐに乗ってくれた。勝手に構成したら他のメンバーが怒るだろうねなんて言って、ふたりでささやかに盛り上がった。
 きっとこの話を誰かにすると臆病者と嘲笑われるのだろう。なにがセックス・ドラッグ・ロックンロールだ! 俺は好きな人が正しく幸せになるのがいちばん幸せなんだ。そんなやつがロックをやるなというならやめてやる。女にだらしないばかりがロックンローラーでもないだろう。
 明日は俺がサポートを務めるバンドのライブがある。先輩は「行けたら行くね」と言った。笑顔だった。駅で別れるときも、笑顔だった。
――翌日、先輩はライブに来なかった。普段はあんな風に言って結局来てくれるのに。よっぽどの用事があったに違いない。あとでメッセージでも送ってみよう。打ち上げ後、酒に火照った身体を冷ますためふらふらと繁華街を歩き回った。
 夜の街は好きだ。皆幸せそうな顔をしている。
 女はどんなに可愛らしい服を着ていてもどこか淫靡で、爽やかな顔つきの男も数時間後には獣のように腰を振るのだ。ネオンが暴く人間らしさは吐き気がするほどリアルで、それにまた酔った。
 くらくらするので最近閉店してしまった花屋の前にしゃがみこんだ。行き交う大人たちの脚を眺める。皆同じところに向かってゆく。セックスのために。幸せのために。
「……、あ?」
 煙草に火をつけようと顔を上げたところ、向こうからなんとなく見覚えのあるシルエットがぼんやり浮かび上がってきた。特徴的な髪型、女みたいに細い身体、ゴツいブーツ。
「ぁ、ネズ、だぁ」
 誰に言うでもなくひとりで呟く。ネズだ、ネズじゃん、マジか、先輩がファンなんだよ。あー、残念、ライブ観に来てくれてたらいま会えたのに。手元が覚束ないけどスマホを取り出して先輩に電話をかける。電話してどうするつもりなのかまでは考えていない。話すきっかけが欲しいだけだ。
 ネズが隣に立つ人間になにが話しかけた。「ぉ、わ」女連れだ。ネズより少し背が低くて、髪がネオンに輝いている、横顔が綺麗な――
「せんぱ、い」
 唇から力が抜け、煙草が太腿に落ちた。
 ふたりがなにを話しているかまでは分からない。先輩はスマホを見て、それからネズに向かって首を横に振った。出なくてもいい、と答えたみたいだった。
「あー……」
 先輩のしなやかな腕がネズの腕に絡んでいる。遠目に見てもふたりの距離は明らかに近かった。先輩はネズにしなだれかかり、大勢の人間が目指す方向に足並みを揃えた。幸せの方向に。「……あー……」腑抜けた声しか出ない。着信は鳴らしっぱなし。
 ちくしょう、ロックってやっぱりそうなのかよ、そういうやつが勝つのかよ。
 先輩はどうやって喘ぐんだろう、どんな風に感じるんだろう。あのうっとりするような声で名前を呼ぶんだろうか。ネズさん、って。ネズもどんな風に先輩を抱くんだろう。優しいのか乱暴なのか。ああいうなにを考えているのか分からないやつこそ、ヤバいセックスをしそうだ。首を絞めたり、噛み付いたり。アルコールに茹だった頭がそれを想像しそうになったので慌ててかき消す。違う、こんなのは本来の幸せじゃない、ネズの選択は間違っているんだ、あんなの先輩のためにはならなくて――でも悔しいな、先輩の幸せそうな顔、可愛かったな。

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