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春を哭くひと



 おれの好きな女は歳を取らない。
 それは死んでしまったからという悲劇的な理由や妖精だからというファンタジックな理由ではなく、彼女がそうあろうとしているからだ。彼女はここ数年、十九より先の年齢になっていなかった。
「こんばんは〜ご指名ありがとうございます……ってまたネズくんかぁ」
「随分な挨拶ですね」
 暦の上では春になったというのにまだ外は寒い。特に今日は小糠雨のせいで一層冷えていた。けれど彼女の肉付きのいい脚はミニスカートから惜しげもなく晒され、オープントゥのピンヒールからはピンク色の爪が覗いている。胸元も豊満なバストを強調するために大胆に開かれていて、風邪を引きやしないかと心配してしまう。そんなおれの視線を欲情と取ったのか、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「180分だよね?」
「はい」
「お風呂行こうか」
 手を引かれ、四方を透明な硝子で囲まれたバスルームに連れて行かれる。悪趣味な意匠だ。おれはラブホテルというものが好きではない。彼女の在籍するところが指定しているから利用しているだけで、本当ならこんな場所には近寄りたくないのだ。清掃されているとはいえ、直前まで知らない人間がセックスしていた部屋だと考えると胸が悪くなる。どうせ自分もいまから同じようなことをするくせに。
「今日はネズくんだけだよ」
 いつもそう言う。それが本当なのか嘘なのかは確かめようがない。それでもおれは彼女が少しでも汚れないことに安堵して、喜んでしまう。
 まるで恋人同士がするようなキスをする。唇をくっつけ、わずかな隙間から舌を差し入れ、唾液を絡ませて。逃げないと分かっていても、後頭部を掴んでもっと近くにと手繰り寄せた。彼女の片手は大きくなったおれのものを緩く扱いている。「っは、ぁ」思わず熱い息を漏らすと、微かに笑った。「気持ちいい?」「きもち、い、です」「よかった」おれは上擦った声を上げているのに彼女はちっとも息が乱れていなくて悔しいような寂しいような気持ちになる。
「いいよ、出して」
 手の動きが激しくなった。だめだ、まだ出したくない、こんなところで。下唇を噛んで我慢しようとしたけれど、結局彼女の小さい掌に射精した。白濁色のそれをシャワーで流し、なんでもなさそうな顔で「時間はまだあるからね」。おれは黙って頷いた。
 適当に身体を拭き、濡れた髪もそのままにベッドに雪崩れる。柔らかい身体を抱きしめても、なんの匂いもしなかった。
「ネズくんは特別」
 人差し指を唇に当て、誰も聞いていないのに小声でそう教えてくれる。これもいつものことだ。おれは特別だから、彼女とセックスができる。他の客とは違う、おれは彼女にとって特別な人だから――でもそれは嘘だ。そんな風に言って、他の客ともセックスしていることをおれは知っている。知ってしまっている。
 細い指をおれの胸に這わせ、彼女は腰を振る。
「ネズくん、ネズくん」
 顔を合わせたときにはうんざりという表情だったのに、別人かと思うほどに脳が痺れるほどの甘い声と蕩けた目つきだ。「きもちいい、ネズくん」また恋人同士みたく、溶け合ってひとつになりそうなキスをする。頭の奥がじんとした。0.01ミリの隔たり越しの彼女の中は火傷しそうなくらい熱い。腰を掴んでめちゃくちゃに突き動かせば、それに呼応するように膣内がうねる。「ネズくん、」甘えるような声が耳朶に触れ、おれ自身が求められていると錯覚してしまう。「ネズ、くん」だめだ、「ネズく、ん」そんな声で呼ばれたら、堪えられなくなる。
 低い唸り声とともに射精して、力が抜け倒れ込む細い体を抱きしめた。細い髪が頬をくすぐる。ああまるで、本当に恋人同士の気分だ。そうならばどれだけよかったことか。
 硬い枕を感じながら首を横に動かす。まだ60分も経っていなかった。
「……まだする?」
 指先でおれの首筋をなぞり、囁く。ぞくりとした。
「……いえ、寝てもいいですよ」
 今度はおれが嘘をついた。浅ましいおれは時間の限り彼女を抱こうとするが、今夜は嫌われたくないという情けない気持ちが勝った。あまり負担になりたくない、少しでも良く思われたい。
 指先を絡め、ふたりでシーツに横たわる。「なんか煙草くさいね」「安いホテルですからね」ひどく俗っぽい会話をしながら。
「それにしても、ネズくんはわたしを見つけるのが上手だよねえ」
 どきりとする言葉だったが、声のトーンからして咎められてはいないようだった。
 数年前に彼女がこの仕事を始めてから、ずっと追っている。あの頃おれたちは同い年だった。よく一緒に笑った。よくライブに来てくれた。好きだった――いいや、いまも、好きだ。あれからおれだけが歳を取り、彼女はあの頃のまま。
「嫌、ですか?」
「ううん、ネズくんは優しいから」
 本当なら毎日、朝から晩まで彼女の時間を買い占めて、他の男の手が触れないようにしたい。そもそもこんな仕事をしてほしくない。おれの傍にいてほしい。おれだけのものになってほしい。臆病者のおれはそんなこと言えず、繋いだ指先に力を込めるだけ。
「でも、そろそろいなくなっちゃうよ、わたし」
「……また探します」
 彼女はだいたい一年も経たずにすぐ別のところへ行ってしまう。名前を変えて。いままでに使い捨ててきた名前はたくさん。客にはこれが本名だよなんて適当を教えて、本当のことはおれしか知らない。本当の誕生日がそろそろだということも、きっとおれしか気にしていない。
――業界未経験の十九歳!
――十九歳の癒し系!
――いちゃいちゃプレイが得意な十九歳の女のコ!
 在籍店が変わるたびに違うキャッチコピーが掲げられた。それでも共通しているのは「十九歳」。本当は何年も前に通り過ぎているのに、客は誰も気づかない。
「……なにか欲しいものとか、ありますか」
「ん? いきなりどうしたの?」
 本人でさえ誕生日のことは頭にないらしい。きっと彼女の中では、もう誕生日なんてものはないのだ。それがきてしまえば歳を取らざるを得ないから。
「うーん、お水欲しい、取って」
「そういうことじゃねぇんですけど……」
「喉乾いちゃった」
 この屈託のなさは十九歳よりも幼く感じる。狙ってそうしているのかは分からないが、だからこそどの客も疑わないのだろう。大人になりきる前の、一瞬しかない僅かなきらめき。蛹のような不確かな生き物。強く抱きしめれば解けてしまいそうなあやふやな存在。
 なぜこんなことをしているのかは以前訊いた。答えは覚えていない。たぶんおれが納得できない理由だったのだ。
「好きです、」
 ペットボトルの水を流し込む姿を見つめ、小さい声で告白する。「おまえが、すきなんです」いまこんなことを言っても仕方ないのに。彼女は困ってしまうに違いない。
「ねえ、雨止むかな?」
「……さあ、分からねぇです」
「止んだらいいな、あんまり雨が降ると花が枯れちゃうよ」
 時計をちらりと見る。「あと60分、どうする?」「さっきおれが言ったこと聴こえましたか?」「なにか言ったの? ごめん聴いてなかった」「別になんでもないです」嘘つき。「変なネズくん」おれは嘘つきだ。
「しようよ、勿体ないよ」
 ひどく媚びた声。それを聞くとおれの身体はすぐに反応してしまう。まったく嫌になるが、彼女は「ふふ」と楽しそうに笑った。腕を掴んで組み敷くと「あんまり激しくしないでね」と悪戯っぽいくるくるした瞳でお願いされた。
「ネズくんとすると、気持ちよすぎておかしくなっちゃうから」
 嘘だ、嘘に違いない、他の男にもそう言ってるんだろう。おれだけじゃない、おれだけが特別じゃない、おれも他の男と同じ。
「ネズくん、」
 おれの下で十九歳が目を細めた。
「わたしのこと、また見つけてね」
「……っ」
 どんな気持ちになればいい。どう答えればいい。おれは、いったい、どうしたらいいんだ。
 何度目か分からない恋人同士のキスをして、ざわつく胸のままセックスをした。「きもちいい」泣くように喘ぐ彼女は、永遠に歳を取らない。悲劇でもファンタジーでもなく、現実だった。

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