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駅裏の天使


 時給に釣られて始めたコンビニの夜勤バイトは存外長く続いていた。覚えなければいけない作業は多いけれど、そもそも客があまり来ないのですることがないからだ。ぼーっと立っているうちに朝になっていて、一度も接客をせずに終わる日もあった。駅の裏という場所がいいのだろう。終電が終わったあとにこの辺りにわざわざ立ち寄る人間はほとんどいない。飽きっぽい僕だけどこのペースならまだまだ続けられそうだ。それに、最近気になる子もできた。バイト仲間じゃない。週に二度ほど真夜中にお酒と煙草、たまにチョコを買いにくる髪が綺麗な女の子だ。たぶん同世代で、レジ袋を受け取ったあときちんと「ありがとうございます」と言ってくれる礼儀正しい子。退屈な時間のひと時の清涼剤。僕は何年か前にやめてしまっていまは違うものを吸っているけど、その子から香るのはあの頃の匂いだった。真夜中なのにいつもちゃんとメイクをしていて、グレーがかかったカラコン越しに見つめられるとどきどきした。月並みな表現だけれど、天使のようだった。
 その晩も僕はぼーっと立っていた。いつにも増して客が来ない夜だった。後輩が奥でずっとゲームをしている。ヘッドホンをしているはずなのに音漏れがうるさくて、でも注意するのも面倒くさかったので放っておいた。
 欠伸を噛み殺した瞬間、軽快な入店音と一緒にあの子が入ってきた。「いらっしゃいませ」慌てて声をかける。普段はお酒のコーナーをふらふらするのに、今日はまっすぐレジに向かってきたのでちょっと面食らった。
「51番ください」
 いつものやつだ。シルバーのパッケージを手に取ろうと振り向いて「あ」品切れに気づく。
「あ」
 その子も同じ反応をした。タイミングが悪かった。明日が納品日だったかもしれない。そういえば昼にこれをカートンで買った客がいたって聞いた気がする。
「あれがないの珍しいですね」
「そうですね、すみません」
「どうしよっかなあ」
「……すみません」
 こんなに会話が続いたのは初めてだ。ふつうの、店員と客のよくある会話以上に言葉を交わしたことがないから僕は少し緊張している。すみません、以外になにか言いたいのになにも出てこない。
「店員さんのおすすめありますか?」
「え?」
「あはは、煙草のおすすめって変ですね」
「あ、いや、」
「なにか吸ってないんですか?」
「僕は……こっちです」
 どきどきしながら98番を指さす。
「じゃあそれください、ふたつ」
「いつものより重いですよ」
 うわ、しくじった。いつもの、なんて言っちゃった。意識していることがばれてしまう。途端に恥ずかしくなって僕はまた「す、すみません」と謝った。彼女はにこにこしていた。
 それからいつも通り会計を終えて、ありがとうございますを聞いて、彼女が店を出て行った直後僕はその場に「うわあ、」としゃがみこんだ。まともに会話できなかった。気持ち悪いこと言っちゃった。変なやつだと思われたらどうしよう。立てなくなっていると後輩が「休憩どぞ〜」と能天気に声をかけてきた。ラスボスが強すぎて全然勝てないだのクソゲーだのとぼやくのを聞きながら、僕は這うように休憩室に向かった。もしあの子が僕を気持ち悪いと思って二度と来なかったら。もうここは辞めてしまおう。そしてすべてを忘れよう。なんだか頭が痛くなって、机に突っ伏して寝た。
 二日経ってまた僕はぼーっと突っ立っていた。バックヤードからはまたうるさい音漏れ。同じボスに挑戦しているらしい。暇すぎて欠伸をして、滲んだ涙を袖で拭う。また口を大きく開きかけたところでポップな音とともにいつものあの子が入店してきた。「い、いい、いらっしゃいませ」思いっきり変な声が出た。
「こないだはありがとうございました。嫌いじゃなかったです、あれ」
「よ、かったです」
 変なことは言わないようにしないといけない。とても優しく微笑んでいる彼女を見ていると、期待しそうになる。浮足立ってしまってたくさん話したくなってしまう。お互いのことなんか全然知らないのに。
「いつもこの時間なんですね。夜勤って大変そう」
 それなのに彼女の方から話を広げるものだから僕はパニック。どういう風に返事をしたかまるで覚えていないけど、とにかく彼女は可愛かった。口元をおさえる仕草が何度もあった気がするから、きっと僕の言葉に笑ってくれたのだろう。
「またお越しください」
「はーい、また」
 98番を買い、店を出る際に小さく手を振ってくれて、僕はそれで完全に舞い上がった。これって(下品な言い方だけど)ワンチャンあるってやつじゃないかな。もっともっと話せるようになったら連絡先とか聞いていいのかな。「休憩どぞ〜」と顔を出した後輩と思わずハイタッチをした。「なんすか、なんなんすか」「なんでもないよ」「なんすか、マジで」「なんでもないって」まだなんでもない、僕の行動次第でたぶんなにかは変わるけれど。
 そんな出来事に浮かれたせいなのかなんなのか、季節外れのインフルエンザに見舞われた。ずっと高熱が出て苦しいのと、バイトがなくてあの子に会えない寂しさが募りに募って悪夢を何度も見た。一週間くらい寝込んだあとようやくきちんと食事ができるようになって、こんなときに恋人がいたら看病してくれるのかなとか思って、あの子の顔が浮かんできてひとりで恥ずかしくなった。
 久しぶりに出勤したら例の後輩が例のラスボスをやっと倒せたと嬉々として報告してきた。別に要らない情報だったけどよかったねと一緒に喜んであげる。近頃僕は前よりも人と話すのが上手くなったみたいだ。
「これでやっと裏ボスいけるんすよ」
「へえ、強いの?」
「そりゃもう、やばいっす。あ、いらっしゃいませ〜」
「い、」
 いらっしゃいませ、と続けて声かけしようとして、目に入ったのがあの子だったから喉で詰まってしまった。だっていつもより来るのがずっと早くて、いつもはひとりなのに誰かと手を繋いでいて、それで、
「ねえ、手痛いよ」
 その繋いだ手を不満げに揺らしていた。
「いーじゃんラブラブっぽくて」
 健康的な灼けた肌の男は底抜けに明るい返事をした。男は夜なのにサングラスをしていて、なんだか変な人だなあと思った。
「なんかあの男見たことあるんすけど」
「あ、え、そう」
 後輩が小声で問いかけた。僕もそんな感じがするけど、誰だったかすぐに名前が出ない。男は彼女を引っ張って日用品のコーナーに向かった。下着とかシャツとかハンカチとかをぽいぽいカゴに入れる男に「そんなに要らないって」と呆れたように彼女は言った。僕は頭が痛くなって俯いた。本当は逃げ出したかった。
「すんませんちょっとトイレ」
「ん」
 後輩がするりとレジから抜けていって、いよいよ僕は逃げられなくなる。目を逸らし続けていたけど最終的にふたりは僕の元に来て「お願いしまーす」とカゴを差し出した。ちらりと彼女を見る。スマホをいじっていて僕の方なんか全然気にしていないようだった。
 お酒、お菓子、下着、シャツ、「オマエ煙草は?」「ん、51番ください」「……かしこまりました」、またお菓子、それから最後に出てきたのは真っ黒なパッケージのコンドームが二箱。思わず取り落とす。「……失礼しました」「別に大丈夫っすよ」に、と笑った男の口元は八重歯が目立っていた。
「……あ」
「なに?」
「……なんでもない」
「え、なに? もしかしてゴム要らなかった?」
「違う、うるさい、違う」
 聞きたくない聞きたくないそんなの聞きたくない。震える手でディスプレイを操作して、電子マネーの決済を進めた。ピ、と音がしてレシートが出てくる。「レシート要らないっす」男は大きな手を振って不要だというマイムを見せた。
「酒買いすぎたかも」
「ねー、だから言ったじゃん。キバナのそういう計画性ないとこほんとイヤ」
「でもそんなオレが?」
「うるさい」
 また手を繋いだふたりはぴったりと寄り添って店を出ていく。入れ替わるようにして後輩が戻ってきた。「思い出しました! あいつあれですドラゴンのあれ」「キバナ」「そうそれ!」ずきずきと頭痛がひどくなる。「あれ彼女なんすかね?」「……僕辞めるかも」「はいっ?」キバナが彼女を抱くところを想像してしまって、またその場にしゃがみ込んだ。そういえば僕は彼女の名前も知らないんだった。馬鹿みたいだ、いや、完全な馬鹿だ。世間知らずの童貞だった。でもいきなりこんな現実を見せなくなっていいじゃないか。天使なんていなかった、いたけど僕の天使じゃなかった。ついでに神様もいない。こんな暗い駅裏に、そんなもの初めからいやしなかったんだ。

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