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ロマンチック大暴走


 あ、と同僚がわたしの首元を指さした。「絆創膏外れそう」咄嗟に手のひらで隠す。肝心の痕は見えなかったのかそれとも察したのか、彼女はポケットからずいぶん可愛い絆創膏を取り出して「どうぞ」と手渡してくれた。デフォルメされたハピナスが描かれたそれの封を破き、ロッカーの鏡を見ながら貼り直す。
「ご飯食べて帰らない?」
「あ、ごめん、約束があるから」
 またねと笑い合ってオフィスを出る。せっかくの金曜日だから飲んでもいいのだけど、マクワくんとは前から約束していたから仕方ない。あの子の選ぶお店はいつもセンスがいいからもったいないことをしたな、なんて思いつつ電車に乗った。スマホのインカメラを起動させて前髪を整える。彼氏に会いに行くために身だしなみを気にする自分が少し可愛かった。どうせ、すぐに無駄になるのに。
 駅から少し歩いたところにあるマクワくんの部屋。チャイムを二度鳴らして「帰ったよー」と声をかける。帰ったといっても別に同棲しているわけじゃない。週に二度ほど泊まるだけだ。
「おかえりなさい、お疲れ様です」
 ドアを開けてくれたマクワくんの表情はとても嬉しそう。「あの、三連休はずっといてくれるんですよね?」「うん、部屋着貸してね」「はい!」まだブーツも脱いでいないのに抱きしめられる。大きな犬がじゃれついているみたいだ。
「疲れちゃったから、お風呂のあとご飯作るよ」
「あ、ぼくも」
「あれ、まだだったの?」
「……一緒に入ろうと思って」
 ここで断ったらきっと泣きそうな顔になる。一瞬だけ躊躇って「じゃあ一緒に入ろうか」と笑ってみせた。マクワくんちのお風呂は広いし、ふたりで入ることそれ自体が嫌なわけではない。そもそも彼氏だし。嫌、というか面倒くさいのが――
「んっ、く、マクワく、」
 案の定、だ。数分後には広い湯船のなかで抱き合って、お湯を波立たせながらセックスをしていた。お湯がなかに入ってじわりと熱く沁みる。胡坐をかいた彼が腰を動かすたびに跳ねたお湯が顔にかかって息がしにくかった。「は、っあ」疲れてるって言ったのに、帰ったばっかりなのに、そんなにがっつかなくても逃げないのに。濡れた髪が頬に張り付いて邪魔くさい。若さと、それに加えて有り余る体力のせいでマクワくんの動きは一向に緩まなくて、わたしはぐったりともたれかかるだけ。
「も、しんどいよ、マクワ、くん」
「ごめ、なさい、もうすこし、」
 早くイってほしくてぎゅうと力を入れる。「あ、あっ、うあっ」この動きに弱いマクワくんは情けない声を上げ、どくんとわたしのなかに射精した。熱い精液が注ぎ込まれる感覚は何度やられても慣れない。ごめんなさいと消え入りそうな声でまた謝られるから、気持ちよかったよと嘘ではない言葉を返す。これだけで済めば、ただ気持ちいいだけなのに。
「ごはんつくる、から、っ!」
 今度はキッチンに立っていただけなのに、乾ききっていない髪に鼻先を埋めて腰を押し付けてくる。「さっきしたじゃん、待ってよ……」「だって我慢してて」我慢って、前に会ったのはたった一週間前。
「すぐ終わらせます、すみません」
 声音だけは本当に申し訳なさそうに聞こえる。「い、っ」さっきと変わらないくらい硬いものが遠慮なしに後ろから挿入され、シンクに捕まる指先に力がこもった。少しだけつま先立ちになってしまうから、この体勢は好きじゃない。「ん、ぁ、あっ」わたしの小さい喘ぎ声が流れっぱなしの水音に紛れる。それよりも大きい肌のぶつかる音がキッチンに、マクワくんの荒い息遣いが耳元で大きく響いていた。はーっ、はーっ、と発情した獣みたいに。
「なか、ださないで、ね……」
 なにを作るか直前まで思いついていたのにもうなにも考えられない。苦しい息の下、懇願するみたいにそれだけ囁く。聞こえているのかいないのか、マクワくんはやっぱり犬みたいに大きく動くだけだった。ぎしぎしと腰の骨が軋む。数十分のことなのに、もう何時間もこうしている気分だった。
「で、そう、です……っ、でる……、ぅく、っ」
 ぬるりと性器が引き抜かれ、背中に当てられた。「あ……っ」ダメ、と止めようとした次の瞬間、放出された精液が皮膚を伝う感触があった。なかに出すなとは言ったけれど、お風呂に入ったばかりの身体に出されるのも好きではない。慌てたマクワくんが濡れたタオルで拭き取ってくれた。なんだかぐったりしてしまってその場に頽れる。「ごめんなさい……」怒られた子犬みたいな眼。疲弊するやら呆れるやらでもう帰ってやろうかとさえ思った。でもそうしたらマクワくんはいよいよ泣いてしまって手が付けられなくなるに違いない。大きな子供だから扱いが本当に難しくて仕方ない。
「……もういいよ、ご飯どっか食べに行こう」
 差し伸べられた手にを握って立ち上がる。食欲もほとんどなくなってしまったけど、とりあえずなにかは食べておこう。
 服をきちんと着て、いちばん近くのイタリアンにふたりで入った。最初からこっちで待ち合わせすればよかったな。初めてのデート以来、ここには何度も来ている。初めてのセックスのあとにも来た。懐かしい、二か月ほど前のことだ。あのときも何度も何度も抱かれたっけ。マクワくんは初めての快感にのめり込んで、あれから会うたびにしつこいくらい、腹が立つくらいに身体を求めてくる。では身体目的かと問われればそれもまた違い、わたしのことは母親に紹介するくらい真剣に考えているようで、だから無下にできない、というのも困りものだった。そう、とにかくわたしは困り果てていた。
「今日仕事でね、」
 部屋に戻ればまたあれが待っている。それが分かっているから少しでも長くお店に留まろうと、無駄な話をしながらだらだらご飯を食べる。同僚の話とか、ちょっとした失敗とか、マクワくんには全然興味のないようなことをたくさん話した。彼はいちいち大きく頷いてとても楽しそうに聞いてくれるけれど。やがて店内からどんどん客が少なくなっていって、ラストオーダーの時間も通り過ぎた。ここはクローズが他のお店よりも少し早いことだけが難点だった。
「出ましょうか」
 一瞬席を離した隙に会計が済まされていて、わたしの悪あがきはあっさり終わった。優しく差し出された手をまた握り、お互い黙って部屋に帰った。マクワくんの手は熱かった。
「あの、ね、マクワくん」
「はい」
「えっと、わたし、マクワくんほど体力なくて」
「……?」
「だからね、えと、セックスするのそんなに得意、じゃなく、て」
「……ぼくとしたくない、ですか?」
 一生懸命言葉を選んだのに、マクワくんは透き通った眼を悲しそうに曇らせた。この顔をされるから話したくなかったんだ。罪悪感に苛まれて反射的に「したくないわけじゃないよ」と半分嘘の返事をしてしまった。本当はなんて言えばよかったんだろう。
「ぼくはあなたが好きだから、ずっとくっついていたいんです、分かってくれますか?」
 それは分かるけど、と答えようとして、その先はいきなりのキスに飲み込まれた。「ふ、ぁ」ミントの冷たい味がする。まだリビングにたどり着いてもいないのに! 廊下のラグに押し倒されて「あなたといると、おかしくなってしまうんです」というロマンチックなのかなんなのかよく分からない言葉を囁かれた。
「も、もういやだよ……」
 また大きくなっているマクワくんの下腹部に驚き、掴まれた腕を振り解こうとしてみる。力で勝てないのは火を見るより明らかだけれど。
「やだ、や、あ、ああ……っ」
 いっそ大きな悲鳴を上げようとしたのに、それもまたキスで封じ込められる。
「好きです、好きなんです、っ」
「ぅ、う……っ」
 それを言えばなんでも許されるってものじゃない。また容赦なく犯され始めるわたしの身体が恐怖と戦慄に震えた。酸欠のキスのあと、マクワくんは唇をわたしの首筋に埋めた。ちり、と弾ける痛みが何度かあって、ああまた絆創膏を買わなくちゃと頭も痛くなる。
 たぶんこの連休中はわたしが泣いても喚いても、マクワくんが満足するまで身体を貪られる。喜べないわたしは、もはや彼のことを本当に好きなのかどうかすら分からなかった。

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