×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




キラキラノクターン



 いつも同じことの繰り返し。朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、歯を磨いて、出勤して、意識を飛ばしながら仕事をして、退勤して、帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いて、ベッドに入って、スマホをいじりながら寝落ちする。ネズくんとはおはようからおやすみまで絶え間なく連絡を取っているけど、ここ最近は彼が忙しくてまともに会えていない。最後にデートしたのは……いつだっけ?
「忘れるほど前じゃねぇですけど」
 電話の向こうでネズくんが拗ねたような声を出した。
「あはは、ちょっと眠くて」
「先月おれのライブに来てくれましたよね」
「あれは……デートかな?」
 とにかくしばらくちゃんと会ってないみたいだ。
「先月はプラネタリウムにも行きました」
「あ、それはデートだね」
 そういえば記念の絵葉書をお揃いで買った。あれはどこにやったかな。眠くて頭がちゃんと働かないや。この地方からは見えない星座を描いた絵葉書を買ったはず。何座だったっけ? ネズくんが答えてくれている最中に瞼が重くなって、徐々に舌が回らなくなって、またいつもと同じようにスマホを握ったまま寝落ちした。うつ伏せで寝たものだから翌朝前髪に変な寝癖がついていた。むりやりヘアピンで留め、同じように出勤した。仕事中はやっぱり意識が飛んだ。
「アルバムいつできるの?」
「明日でマスタリング終わりますね」
「そうなんだ、お疲れ様だね」
 そしたらまたツアーが始まるのかあ。また会える時間なくなるね。そう言いかけてやめた。拗ねていると思われたくなかったから。
「ねえ、昨日の続きなんだけどさ、」
「プラネタリウムですか?」
「そう」
 わたしたちが買ったのって何座の絵葉書だった?  
 途中までは難なく言葉にできたのに、後半は急激に眠気に襲われてうまく発音できなかった。なんです?と訊き返すネズくんの声を最後に眠りに落ちた。また寝癖ができた。
 たぶん、贅沢なのだと思う。けれど脳内を支配し始めた「毎日つまらない」という考えには抗えなくて、仕事中に「毎日つまらない」なんて言葉で検索してしまった。わたしと同じような症状のひとがたくさんいる。特に打開策が書いてあるわけではない。そりゃそうだ。つまらないの程度なんてひとそれぞれなんだから。
 このままだと今日もわたしはまっすぐ帰ってつまらないご飯を食べて生ぬるいお風呂に入って無為にネットを見て寝落ちする。そんなのってつまらない。
 珍しく物思いに耽って歩いていると道を間違えた。知らない通りに出てしまって、知らないホームセンターに着いた。閉店間際だったらしく、店員がシャッターを下ろしているところだった。ゴミ袋と一緒に段ボールの山が積み上げられている。ご自由にどうぞ、と書かれており、「これ、もらっていいですか」気がつくとわたしはそれらを指差して店員にそう問いかけていた。「ご自由にどうぞ」店員は面倒くさそうに答えた。きっとこのひとも毎日がつまらないのだろうな。意外と重い段ボールを抱えてよろよろと家に帰った。
「マスタリング無事に終わった?」
「らしいです、よかったですね」
 ネズくんは疲れているのか変な返事をした。
「今日は早く寝なよ」
「そう、ですね」
「お疲れ様、アルバム楽しみにしてるね」
「いちばんに渡しますよ」
「ありがと、おやすみ」
「おやすみなさい」
 わたしは全然眠くないけど。電話を切り、たくさん貰ってきてしまった段ボールを眺める。こんなたくさんの段ボールって引っ越しくらいにしか使わない。昔から引っ越しは多かった。飽き性だから。引っ越しは最初こそ大変だけれどなかなか楽しいものだ。子どもの頃はあまり好きじゃなかった。人間関係をいちから作り直さなければいけないのが辛かったのだ。ああ、でも――つまらないものでは、ない。朝起きて、知らない部屋を見回して、適当な朝ご飯を食べて、馴染みのない玄関から職場に向かう。ご近所さんに挨拶したり、最寄駅の周りを散策したり、考えると楽しそうだ。
 もし明日の夜にいきなり引っ越したら、つまらない毎日から脱出できるだろうか。誰にも告げず、一度くらいしか訪れたことのない土地に黙って移るのだ。もちろんネズくんにも教えない。新しいわたしにならなければいけないから。現実的に考えて、部屋を決めてないとかそういう問題はある。でもとにかくつまらないから抜け出したくて段ボールにぽいぽい物を詰めていった。いつの間にか朝になっていて、初めて仕事をズル休みした。でもいいんだ、どうせ行ったって意識飛ばしてパソコン相手にするだけだし。
 荷造りに専念していると、昼過ぎには粗方片付いた。冷蔵庫を空にするために残りの野菜やお肉を全部投入したポトフを作った。複雑な味がした。
〈今日仕事休んじゃった〉〈どうしました?〉〈ズル休み〉〈病気でないならよかったです〉〈うん、元気〉
 不思議と眠くない。むしろ高揚しているようだった。このまま誰にもなにも言わず、わたしは新しくなる。それは骨が折れるだろうけど、大掛かりだろうけど、いまのわたしには恐らく必要なことなのだ。
 日が暮れる頃にはほぼ片付いた。スマホもいじらず没頭していたから早かった。背伸びをすると骨がぽきぽき鳴った。ポトフを平らげるために腰を上げると、玄関のチャイムが鳴った。
「あれ……?」
 なにか通販してたっけ。変なタイミングで荷物が増えちゃうな。あくび混じりに「はあい」とドアを開けると、マフラーをぐるぐる巻きにしたネズくんが変な顔で立っていた。
「ん? あれ? なに?」
「……やっぱスマホ見てないですね」
 見てください、と指示されたので慌てて取りに向かう。
「いや、いま言いますよ。二泊三日程度の荷物まとめてください」
「はい?」
「今夜二十時の飛行機なので急いでくださいね。あと職場にもズル休み延期の連絡して、パスポート忘れずに」
「待って、なに、え?」
「星座」
「んえ?」
「絵葉書にあった星座を見に行くっつってんですよ」
「プラネタリウム?」
「……プラネタリウムにパスポートいらねぇでしょうが」
「あ、あの」
「いいから準備してくださいよ。あれ、なんか部屋が随分片付いてますね」
 わたしこの後引っ越すんだ、なんて言わせない剣幕でネズくんは言葉を続ける。「まあいいです、早く荷物まとめてください」よく見るとツアー用のトランクを持っている。ほんとに旅行に連れ出す気だ、このひと。「あの、えっと、あの」慌てふためきながらも小旅行用のトランクを引っ張り出した。そういえばさっき段ボールが足りなくてここに洋服と日用品とメイク道具を突っ込んだ気がする。「なんだ、準備できてるじゃないですか」「あの、」「タクシー捕まえとくんで靴とか用意しといてください」「おあ、」さっきからちゃんとした返事ができない。
 おかしいな、つい数分前までつまらなかったはずなのに。
「……バカだなぁ」
 ネズくんじゃなくて、わたしが。
「なに面白い顔してんですか」
「なんでもない、行こ。フライト何時間?」
「えーと、八時間、です」
「そか」
 明日の朝は慣れない飛行機で目が覚めて、それなりの機内食を食べて、たぶんネズくんの肩で二度寝する。それってすごく楽しそう。段ボールなんて貰ってこなくても、つまらない日々は抜け出せるんだ。
「久しぶりのデートですね」
 ネズくんは優しく笑った。
「……もうちょっと準備する時間ほしかったな」
「一昨日の夜に言いました」
「……そうだっけ」
「というかプラネタリウムに行った日にこの話はしました。いつかこの星座が見てるところに行こうねって」
 覚えてないや。
「……ほんと、そういうとこありますよね」
「……へへ、ごめん」
 日々をつまらなくしていたのはたぶんわたし自身だ。照れ臭くて、視線を逸らした。ネズくんはわたしの手を強く掴み「明日の今頃には絵葉書と同じ空が見られますよ」とロマンチックなことを言った。彼も少し照れているようだった。

- - - - - - -
篠野目さんの主催企画【#nz夢書き当て企画2021】に提出したもの