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薄幸カルナバル



 夜な夜な、ライブハウスの裏で理想を語った。その頃からおれは煙草を吸い始め、ベーシストの彼女は何度目かの禁煙中だった。
 今日観たバンドの悪口や、いつか成功して大きな箱でやりたいこと、それから、ずっと音楽をやっていたいこと。おれたちは幼かった。理想は語れば現実になると思っていた。
「ゆーげんじっこーだよ」
 彼女は煙草代わりの飴玉を噛み砕きながらそう言った。その頃スパイクタウンは活気があって、おれたちはずっと馴染めず、音楽で武装していたのだった。
「あたし、誰よりもネズくんの音楽好きだから、成功してよね。歌ってるネズくんの隣にいるのが夢だから」
 おれは黙って頷いた。
 恋人同士じゃなかった。当時彼女にはよく暴力を振るう恋人がいた。そんな男やめておれにしねぇですか。そんなこと言う勇気はなかった。幼かった。厚いメイクで痣を隠す彼女が、誰より恋しかったのに。彼女の膝小僧は薔薇のように赤黒く、気づかぬふりをした。
「ネズくんがいるところならどこにだって行けるよ」
 きっと彼女もおれを好いていたんだと思う。音楽を免罪符に、ふたりは身体を寄せ合っていた。ただ、キスをする勇気もなかった。少し踏み出していれば、なんて考える。キスのひとつで世界は変わっただろうか。
 思い出は美化される。記憶のなかの彼女はいつもチェシャ猫みたいな笑顔だった。激しいベースとは裏腹に、繊細な娘だった。髪を振り乱す様が恐ろしく美しくて、いつか、絶対にふたりで成功することを夢見させた。
 だから彼女が「あたしこの街を出るの」と言ったとき、人生で最大の絶望を味わったように感じた。実際、それからおれは鬱気味になり、この世の全てがモノクロになってしまった気がした。
「この街にいても、どうしようもないから」
 その考えはこの街で成功したいおれを突き放すもので、ああこうして恋はなくなるのか、案外呆気ない、とおれをまた絶望させたのだった。この街で成功して、この街をおれたちの色に変えたかったのに。そうしたら、ずっと一緒に音楽ができると信じていたのに。
「ごめんね、ずっと隣にいたかった」
 小さいトートひとつで彼女は出て行った。涙もなしに。細い煙草を噛み「やっぱ禁煙は無理だった」とはにかんだ。膝はもう赤黒くなかった。
 それが何年前だったかは定かではない。その思い出はまるで美化されず、悪夢としておれを苦しめた。突然熱が出たり、ライブ中に立てなくなったり、分かりやすく身体が失意に堕ちていた。薬なしでは立てなくなったのは、この頃だった。
 未練というか執着というか。
 おれは未だスパイクタウンにいて、シャッター通りになったこの街に居心地の良さを感じていた。誰にも言えないけれど。おれの音楽そのものみたいに感じたから。
 音楽は呼吸するように続けていた。ワンマンがソールドになる程度にはファンもついたが、あの頃吸っていた煙草は廃盤になった。あの時悪口を言ったバンドは解散した。あの夜隣にいた彼女は、どこか遠くに行った。この街の全てを手に入れたのに、あの日語った夢は全て手からすり抜けていった。
 忘れられない女がいる、とか、安っぽい映画みたいな人生だな。
 何度目かの禁煙中、味のしなくなったガムを噛みながらあの日と同じ場所で座り込んでいた。
 ネオンが息も絶え絶えに光る。擬似青春に腐ったおれを嘲笑うかのように。
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