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あたたかな呪い



 半月ほどかけてまとめた段ボールの山が引っ越し業者によってものの数十分でトラックに積み込まれていった。あとに残るのはリサイクル業者に引き渡す大きな家具と細々した身の回りのものだけ。
 がらんとした3LDKを見渡す。リビングの入り口でぼうっとしていると、彼女が「こうして見ると広い部屋だったね」と言って隣に座り込んだ。
「ん」
 缶コーヒーが手渡される。それに合わせておれも腰を下ろした。
「次の部屋決まってるの?」
「ここから5分くらいのところです」
「なぁんだ」
「お前は?」
「気分転換にナックルに引っ越すことにした」
「いいですね」
「まあね」
 ベッドがあったところにころころとクリーナーをかけながらこっちを見ずに「あとさ、細かいものどうする?」と聞いた。細かいもの。古物商に売り渡す棚に残った皿や、クローゼットにある共有していた服、アクセサリー。
「お前の好きにしてください」
「じゃ、わたしが買ったやつはわたしが持っていくね。それと」
 あれは?と指さしたのはおれの部屋にぽつんと残っている作業用のデスク。ぎりぎりまで仕事をしていたので間に合わなかった荷物だ。
「誰かに車でも借りて持っていきます」
 立ち上がり、デスクに残っているものを確認するために部屋に入る。ノートパソコン、数冊のファイル、雑誌、タブレット、ライト、捨ててもいいものと持っていくものを選り分けてゆく。表面をてきぱきと片付けてから最初の抽斗を開けた。手が止まる。乱雑にしまい込まれていたのは銀灰色のピアス、華奢なリング、それと、似合わないからと封じ込めたグリーンのニット帽。その他、細々とした思い出が詰め込まれていた。そうか、別れ話をしてからここを開けていなかった。いまとなってはもうどうしようもないものばかりだ。
 一方的に別れようと言われ、説得もできず、2年同棲していた部屋を引き払うことになった。別れの理由は訊いたけれど答えてくれない。他に男ができたとか、仕事が忙しいとか、もう、そんなことはどうでもよかった。
「なにかいいものあった?」
 背後でからかうような問いかけ。
 ピアスは付き合いたての頃に「似合いそうだから買ってきた」と渡された。リングも同じだ。ニット帽は「なんとなく」貰った。勝手に思い出が蘇ってくる。彼女は毎回爽やかな笑顔でそれをくれて、思い返して初めて苦しさを覚えた。涙こそ出ないが、返事もできないほどに胸が詰まっている。言葉が出ない。おれはまだ、こんなにも彼女が好きだったのか。それなのに理由も教えられずに別離しようとしているのか。どうでもいいと思っていた、のに。
「お前からもらったものがたくさんありました」
 緊張で強ばる唇で返事をした。思いつく限り、できるだけ意地悪な言い方で。
「そ、か」
 掠れた声。振り向くと目が合い、すぐに逸らされた。自分勝手におれを捨てるくせに自分が傷つくのは耐えられないようだ。そんな脆いところも全部、好きだった――いや、まだ好きなのだ、おれは。ピアスもリングも、どれも体温を感じるほどに愛しく感じる。こんな小さいものにまだ愛を抱いてしまう。
「……全部返します」
「いいよ、別に」
「……じゃ、捨てます」
 それを最後に、おれたちはがらんどうの部屋を出た。笑顔で手を振る彼女に小さく礼をして背中を向ける。
 もうこの部屋に、ふたりに愛なんてない。そんな風にふるまって、缶コーヒーを路傍のゴミ箱に投げ込んだ。
 最後の最後にどうしようもない嘘をついたけれど、彼女の勝手さに比べれば可愛いものだ。思い出を持っていくくらい、許されるだろう。ささやかな復讐だ。いつまでもお前を想っている人間がいることを、知らないままで新しくなればいい。

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