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吐息でネット


 卒業式のシーズンは好きだ。皆の表情がそれぞれ違って眺めるのが楽しい。同じような格好が並んでいるのに、どれもまったく別のものに見える。別離を悲しむ人、新たな旅出に笑う人、勉学から逃れられて清々しそうな人、どの人も生き生きとしていた。
 今日はここに入学してからの初めての卒業式。けれど特に知り合いもいないので遠くから眺めるだけ。まだ寒さの混じるこの季節、去年、わたしはネズ先輩に恋をし始めた。それもまた、この時期を特別なものと感じる要因のひとつでもある。
 忘れもしないあの日、従姉妹が卒業するからとここを訪れたとき、ギターを背負ってとろとろ歩く彼を見た。敷地内は禁煙のはずなのに、煙草を吸っていた。灰色の息をほうと吐いた瞬間、わたしと目が合って、すぐに逸らした。偶然にも従姉妹は知り合いだったようで、眉を顰めて「あのひとわたしより歳上なんだけど、ずっといるんだよね」と呆れ気味に言ったのを覚えている。誰も何年生か知らない、ずっと部室にいる不思議な男だと教えてもらった。わたしの心臓はぎゅっとなって、それから妙にそわそわした。初めてじゃなかったからよく分かる、この感情は恋だった。この恋は絶対に逃してはいけないとさえ思った。根拠なんてないのに、それどころか、彼と言葉を交わしてさえいないのに。
 それからのわたしは単純だった。志望校をあっさりと変え、メイクをきちんと覚え、買ったままでほったらかしにしていたギターを始めた。すべては軽音部の部室に入り浸るあのひとに会うためだ。
 和装にブーツというオーソドックスな格好をした女の子たちの群を躱しながらあの頃のことを回顧する。勉強よりもギターの練習の方を頑張ったっけ。運良く入学できたからよかったものの、本末転倒だ。
 ほんのり暗くなってきた午後7時、別棟の軽音部の部室だけ明かりがついていた。ネズ先輩が来ている。嬉しくなって駆け足になった。
 がちゃりと喧しくドアを開け、前のめりで入室する。「……ノイジーなやつですね」案の定、アンプにもたれかかった先輩が煙草を吸っていた。もちろんこの棟も喫煙禁止だ。それをいったところで先輩がやめるとは思えないし、ついでにわたしも先輩に倣って煙草を覚えてしまった。平日はわたし達以外に部員は殆ど来ず、だからふたりで遊びのようにギターを弾きながら濁った、身体に悪い物質を積極的に摂り込んだ。お揃いが嬉しかった。
 先輩はとても無口で、友人は少ないようだった。だからわたしの知らない先輩がたくさんいて、それを知ることができないのはとてももどかしく感じられた。妬いているわけではない。嫉妬ならむしろ、そんなものだと簡単に片付けられて楽だろう。
「今日はちゃんと授業出ましたか?」
「お前には関係ねぇでしょう」
 たぶん、些細なことまで知りたいという、幼い恋心だ。わたしの唇から溢れ出た煙が先輩の首元に伸びてゆく。「まあ、それなりにやってますよ」それを振り払いもせず、ネズ先輩は微妙な返事をした。都合が悪いことは曖昧にする、そんな子供っぽいところが可愛いと思う。そんなふうにいうと先輩は不機嫌になるからいわないけれど。
 先輩といると、質問責めになってしまう。最近どうですか?という大雑把なことから、昨日のあの番組観ましたか?という小さなことまで。全部全部、恋心のせいだ。
「あれ、煙草変えたんですね」
 ふと、先輩がわたしを指さした。どきりとして、すぐに質問されたことに気づく。「あ、そ、そうです」普段はそんなこといわれないから、反応するのに一瞬戸惑った。
「おれが去年吸ってたやつです、それ」
 白い指先がまだわたしを指している。「コンビニとかでなかなか売ってないんですよね、だからやめちまったんですけど」つまりあの瞬間、わたしを捉えた瞬間に吸っていたものだ。知らなかった。完全な偶然だ。「そうです、ね」同じ煙草、というで頭がいっぱいになってあまり真面目に話を聞いていなかった。なんとか返事を絞り出して深く息を吐く。地上にいるのに溺れるような気分だった。
「探せばまだ家にあるので見つからねぇときは分けてあげますよ」
 ありがとうございます、と呟くように応える。聞こえたのか聞こえていないのか、ネズ先輩は「しかし随分渋いのを吸うんですね」と笑いながら言った。どうしてこれを選んだのかは覚えていない。身体が無意識のうちに先輩を求めていたのかもしれない。「なんででしょうね」だから答えにならない答えをした。
 先輩の指が新しい煙草を出し、ジッポで火をつける。細かく動く指先は色っぽくて見入ってしまいそうになる。「ん? これ欲しいですか?」その視線を勘違いしたのか、先輩はジッポをわたしの方に投げた。「あげますよ、もう飽きたんで」わたしがどんどん先輩に染まってゆく。彼にそのつもりはないのに、きっと。
 ほう、と大きく息を吐く。先輩も同時に息を吐いた。それぞれの灰白色が混ざり合う。まるで求めあって、抱きしめ合うみたいに。
 いつまでもこうしていられたらいいのに、いつまでもふたりで、意味もなく部室にいられたらいいのに。
「おれが卒業しても、それをおれだと思って大切にしてくださいね」
 ぎゅっと小さな銀色を握りしめる。ずっとずっと、ネズ先輩がわたしを見つめたままでいてくれたらいいのに。
「……卒業、できないくせに」
 ようやく捻り出した言葉に、彼はうっすら笑った。今度は先輩の煙がわたしの腕を掴むように漂ってきた。もっとずっと、先輩だけのわたしにしてくれたらいいのに。

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