流行りに乗り遅れて始めたSNSだが、最近お気に入りのアカウントがある。他の人たちが友人と繋がっているのを尻目に、俺は知り合いにだけは見つからないようにそのアカウントだけをひっそりフォローしていた。 「裏垢女子ちゃん」通称「裏垢ちゃん」と名乗るその女はいつも黒いマスクに大きなスタンプをつけた自撮りをアップする。目元以外分からないのに、可愛いことはよく伝わる。彼女もそれを理解していて、武器にしていた。気まぐれに「欲しい物リスト」を公開しては週に一、二度支援者から服やアクセサリーを受け取っているようだった。彼女は誰もフォローしていないのに、フォロワーは数万人いた。 皆、ただ彼女が可愛いからフォローしているわけじゃない。裏垢ちゃんがアップするエロ自撮りが目的なのだ。 〈新しいバイブ買ったよ〉 という短い言葉と共にアップされる薄いモザイクがかかった画像。ピンク色の性具を、彼女のそこが飲み込んでいる画像。縦位置のその写真は裏垢ちゃんの口元だけかろうじて映り込んでいる。柔らかそうな唇が濡れていて、とても抜けた。 〈スマホスタンド買ったからあとで動画上げるね〜〉 数時間後、通知が来た。俺はどの画像も見逃さないように彼女の呟きはすべて通知設定している。 「あっ、あんっ、んっ!」 イヤホンをしていなかったせいで裏垢ちゃんの喘ぎ声が派手に部屋に鳴り響いた。危ない、一人暮らしで本当によかった。慌てて絡まっているイヤホンを解いて耳に突っ込む。 「んっ、新しいバイブきもちっ、あ、あんっ」 買ったばかりのスマホスタンドをベッドの前に固定し、大きく足を広げた裏垢ちゃんが映り込んでいる。どんな加工をしているのかはよく知らないが水彩画が滲んだような動画で、彼女の顔なんか全く判別つかなかった。 じゅぽじゅぽ、ぐちゅぐちゅ、貪欲に快楽を享受する音と、可愛い喘ぎ声。顔こそ分からないが、ズリネタにするには十分すぎた。バイブの抜き差しに合わせてちんこを扱く。「あっ、あ、んんっ」裏垢ちゃんとセックスしている妄想を逞しくする。「イっちゃうぅ」甘えたような声を聞いた途端、手のひらに白濁色の液体がたくさん出た。 一度だけ、欲しい物リストにあったミミッキュのぬいぐるを送ったことがある。賢者タイムの頭で、ベッドにそれが置かれていることが確認できた。嬉しくて、でもなんとなく照れ臭くて、いつも通り呟きにライクを押してスマホを閉じた。 〈エロ下着買ってみたよ〉 隠すべきところがすべて隠れていないフリルの下着を着けた自撮り。まるで裏垢ちゃんの綺麗な身体に生クリームをデコレーションしてあるみたいだ。スマホを持つ指先にはキュワワーを象ったリング。きっとこれも誰かからの貢ぎ物なんだろう。 〈窓開けてオナニーしちゃった〉 ニーハイを履いた脚と、その間で激しく動く指先だけを写した動画。はぁはぁと裏垢ちゃんの荒い息遣いが生々しさを演出する。時折我慢できずに漏れる「んっ」という声は外の人間には聞こえているのだろうか。 〈コートの下、えっちなブラとショーツだけでお散歩してくるね〉 きっと玄関にある姿見での自撮り。丈の長すぎるトレンチコートを開いて見せて、乳首丸出しのブラに総レースのショーツ、サテンのガーターベルト、欲張りセットだ。もしもこんな女の子に遭遇してしまったら、俺ならどうするだろう。 〈この間の格好で公園行ってオナニーしちゃうね〉 裏垢ちゃんの行動はエスカレートするばかりだった。俺もフォロワーも喜んだ。こんなに可愛い女の子がこんなにドスケベなことをしてくれるなんて、エロ漫画みたいだ。きっと俺と同い年くらいというのも興奮の材料になった。 公園でのオナニー動画はそれなりにバズった。俺は何度も見て、何度も同じ場面で抜いた。特徴的な街灯があるその公園はなんとなく見覚えのあるような、ないような、その気になれば特定できそうなところだったがそこまでするほどでもない。特定できたとして、会えるものでもないし。「うっ」今日三度目の射精をして、ようやくパンツを履いた。 裏垢ちゃんはそれからしばらく更新しなかった。心配だったが、こういうアカウントの人間はふらっと消えていなくなることはよくある。特定されるのも怖いだろうし、まあ、いままでたくさんのオカズをありがとうという気持ちだった。あのミミッキュのぬいぐるみ、大切にしてくれているといいけど。 〈夜中にお散歩するよ〉 半月ほど無言だったのに、唐突に裏垢ちゃんが呟いた。通知音で飛び起きた俺はディスプレイに目を凝らす。 ライブ動画を配信しているようだ。「みんなー、えへへ、見てるぅ?」小さい声でこちらに呼びかけている、その首にはフリルのついた可愛い首輪。視聴者数を表す数字がどんどん多くなる。100、200、300、何百人もが裏垢ちゃんの痴態を期待して夜中にスマホを見つめているようだ。 「んふ、この首輪可愛いでしょ? どうせ着けるなら可愛いのがよかったんだぁ」 水色に白いフリルがついたそれはペット用には見えなかった。明らかに、そういうプレイを目的に人間に着けるものだった。首輪についている鎖はカメラの方に伸びている。 「えと、じゃあ、いつもの公園行こっか」 恥ずかしいのか寒いのか、両手で頬をおさえ、彼女はくすくす笑った。いつもの、あのオナニーしていた公園。 「あ、お久しぶりの人たくさんいるねー、ドラゴンさん久しぶりー、短パン小僧さん……って絶対おじさんじゃん、お久しぶりなのに見てくれてありがとうー」 カメラを顔に近づけ、マスク越しに可愛い声でコメントを読み上げる。俺もなにか書こうとして、思いつかなかったのでやめた。 「誰かに見つかったらゲームオーバーってことで……」 くすくす。 「で、いいかな、ね……」 あ、ピアスがまた増えてる。 今日はコートを着ていない。つまりあの下着のまま、ほとんど裸の格好でうろついているのだ。首輪というオプションはあるが、寒さはごまかせないだろう。それなのに彼女は耳まで赤くしてさくさく歩く。「誰もいないね」なんて呟きながら。 「ん、え?」 ふと、誰かに呼び止められたように立ち止まる。カメラの少し上を見て、困惑した顔でその場にしゃがみこんだ。 さっきから何百人もの視聴者が気づいている。この動画には、彼女以外の撮影者がいるってこと。 だってそうでないとありえないアングルがたくさんある。両手がフリーの状態で裏垢ちゃんの全身を撮るなんて無理だ。カメラスタンドなら固定させないといけないし、カメラマン役の人間がいないとこんな配信はできない。 いまの困惑はきっと撮影者に何かを言われたんだ。首輪についている鎖が強めに引っ張られ、裏垢ちゃんがこちら側によろける。 「ん、と、えへ、ここでオナニー、しちゃいます」 ベンチに大きく開脚して座り、白い指先で毛の一つも生えていないところをなぞった。 その瞬間、がくんとカメラが下がった。指が滑ったのか、撮影者の足元が映り込む。黒く鈍く光る銀灰色のブーツ。見覚えがあった。こんな派手なブーツどこで見たんだろう。俺がこんなもの欲しがるはずはないし、こういう趣味の友人はいない。 うんうん悩んでいる間に裏垢ちゃんは指を激しく動かし、公衆の場で派手にオナニーを始めていた。コメントを見る限り、俺以外にさっきのブーツを気にしている男はいなさそうだった。 「イく、イく……っ」 もっと大きい声で、と囁き声が入った。これも聞き覚えがある。 「イく……っ、イきます……っ!」 びくびく、と肢体が大きく震えた。 〈さっきなんか聞こえた?〉 俺以外にも聞こえたやつが質問を投げかけるも〈エロい〉〈気持ちよさそう〉〈かわいい〉〈抜ける〉といったアホなコメントに押し流されてゆく。 「ね……」 なにかを問いかけるように、呼ぶように、裏垢ちゃんは上目遣いでカメラを見た。いや、正確にはカメラの向こうの人間を見ていた。 〈裏垢ちゃん、誰といんの?〉 俺の指先が勝手にコメントを打った。それまた〈もう一回〉〈オモチャ使って〉〈もっと声出して欲しいな〉〈またやって〉といった下衆なコメントに紛れてすぐに消える。 「――ほら、アンコールですよ」 今度ははっきり、男の声が聞こえた。 「あ」 あ。 さっきのブーツ、裏垢ちゃんが呼びそうになった名前、いまの声。すべてが一気につながった。俺こいつのライブ行ったことある。ブーツはそこで見たんだ。そう考えたらあの公園のネオンはスパイクタウン独特のものに違いない。うわ、やばい、気づいたのは俺だけ? 誰もコメントで言ってないけど、みんな裏垢ちゃんしか見てないの? これ、やばくないか? だってみんな、裏垢ちゃんが誰か男といることには気づいてるのに、どうして男の方を気にしないんだよ。 〈ネズじゃん〉 意地悪な気持ちでコメント送信ボタンを押す。再びオナニーを始めた裏垢ちゃんに夢中の男どもは〈声可愛い〉〈超抜ける〉〈舐めたい〉〈エッッッッッッ〉〈ガラルに行けばこんな可愛い子と遭遇できるってマジ?〉〈会いたいわ〉といった怒涛の煩悩に埋没していった。 「んっ、ん、あっ、あ……っ、ネ、」 裏垢ちゃんの柔らかそうな唇がまた呼びかけそうになる。その先の音を知っている俺はなんともいえない気持ちになり、配信も途中なのにスマホを閉じた。 瞼を下ろすと、駄目だ、裏垢ちゃんの痴態を思い出したいのにあの日のライブを思い出しちまう。クソ熱かったあのライブ。マイクスタンドを振り回すあの腕とか、走り回る足腰とか、そんなの、俺如きが敵うわけねぇじゃん。 ちくりと胸を刺すこの痛みが裏垢ちゃんへの恋心だと自覚してしまった俺はミミッキュのぬいぐるみを送ったことを少しだけ後悔した。形に残るものを送るんじゃなかった。裏垢ちゃんなんて、知らなければよかった。顔も知らない人間に恋なんて、するんじゃなかった。そもそも裏垢なんて、見るんじゃなかった。 ぴこん、通知でディスプレイが光る。反射的に見てしまう。 〈今日見てくれたひとありがとー、またやるね〉 添付されたエロい自撮りを見て勃起して、やっぱり俺はこの子からは逃げられないんだと情けなくなった。もちろん抜いたし動画は保存した。 ただ、家にあったネズのグッズは全て捨てた。せめてもの反抗だった。 - - - - - - - |