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なぜひとを殺しちゃいけないのだろうか?



 耳をつんざく電話に叩き起こされた午前2時。
「あたしやっちゃった」
 キャハハとあの子は笑っていた。
「キバナ、刺しちゃった」
 寝ぼけた頭に重すぎる言葉が降りかかる。「刺しちゃった?」間の抜けた声で繰り返した。「あたし、」ぷつんと通話は切れた。
 そうかぁ、とうとう、やってしまったんだなぁ。
 黒いスーツ、あったかなぁ。
 まだ寝ぼけている。逆さに煙草を咥えて、火をつけてしばらくぼうっとしていた。なんの味もしなかった。灰皿で一本無駄にして、改めてまた咥え直す。火をつける音がやけに大きく聞こえた。吸う。吐く。なんの味も、しなかった。
「なぜひとを殺しちゃいけないのだろうか?」
 普遍的な問題だ。靄のかかった頭でまた思い出す。黒いスーツ、持っていたかな。子供の頃のしかないか。ああその前に、紳士服ってどこにあるんだろう。
 翌日、何度も電話は鳴った。いろんなひとから、あの子が恋人を殺したと。知ってますよとは言わなかった。
 暖かい日だった。
 紳士服の店に向かうためバスを待ちながら、あの子に借りた詩集を読む。その本は熱狂的な愛の言葉が延々と並んでいた。長いこと借りているのに、二度と返せないんだろうか。それはちょっと、気持ちが悪い。
「なぜひとを殺しちゃいけないのだろうか?」
 頭のなかで詩人に問う。
「ならば問う。何故彼女は恋人を殺したのか?」
 頭のなかの詩人が言う。
 あいつら、たぶん、愛しすぎたんだろう。おれは詩を目で追いながら考えた。愛を永遠にするには死しかないから。
 同情はしないけれど、悔しいとは思った。おれだって愛し合うことをしたかった。
 今日みたいに暖かい日、来てくれなかった君を待っていたときのことを思い出す。そんな過去も、もはや愛しいのだった。

 バスを降り、足早に店に向かうと、自動ドアに額をぶつけた。幸い、誰にも見られていなかったようだ。慣れないことをさせられるとなにかと狂う。
「すみませんあの、黒いスーツどこですか」
 店員は俺の頭からつま先までジロリと見回した。あからさまに。髪は下ろしているが、顔面は変えようがないから、一眼で気づかれたに違いない。ネズが来たぞとあとで言い触らすのだろう。
 しかし店員は一瞬でそんな裏を微塵も感じさせない笑顔になり「喪服ですか、お急ぎでしょうか」と早口で答えた。
「ええ、ちょっと」
 おかしな返事をして、連れられるまま店の奥までのそのそ歩いた。
 ええちょっと、好きな子がね、恋人を殺しちゃったんですよ。女の子が。恋人をね。黒スーツ、持ってないから困りましたよ。
 頭のなかでそんな問答をしながら言われるがままに試着をして、お勧めされたものを買って、ついでにネクタイの締め方もお浚いさせてもらった。
「なぜひとを殺しちゃいけないのだろうか?」
 頭のなかのおれが問う。
「ひとがね、ひとを殺すなんてね、モラルの問題ですよ」
 この店員ならそう答えるだろうな。適切な代金を支払って、逃げるように店を出た。
 外に出ると知らない人間に囲まれた。大変ですね? 今のお気持ちは? ご面識は? うるさい野次馬を蹴り飛ばすと胸ぐらを掴まれた。小突かれる。殴り返した。拳に少しだけ血がついた。
 あの子、どれくらい血を浴びただろう。
「なぜひとを殺しちゃいけないの?」
 頭のなかで彼女が問う。
「面倒くさいからですよ」
 頭のなかの彼女におれは答える。
 黒いスーツを持っていない人間がわざわざ紳士服の店に行かなきゃいけないから。行きたくもないのに。ついでに久々にひとを殴りましたよ。恋人を刺した君ほどじゃないけど、ちょっとは騒がれそうです。

 あの子は執行猶予なしの実刑を食らったそうだ。法律には詳しくない。おれはまったくの無罪でテレビを見ながらまた煙草を吸っていた。あの日のように味のしない煙草だった。
 痴情の縺れと報道されることは分かりきっていた。きっといまおれは苦虫を噛み潰したような表情になっているはずだ。
 刑務所の仕組みを調べないといけない。悔しいけど、彼女に手紙を書かなけりゃならないから。君のことを待っている人間がいるって、無駄でも知らせてやらないといけないから。
「なぜひとを殺しちゃいけないの?」
 彼女は裁判で問うただろうか。
「君のために、慣れない手紙を書かなければいけない人間がいるからです」
 おれは声に出してそう言った。涙さえ出ていないが、泣いているようだった。
 ひとを殺しちゃ、いけないんですよ。
 君のことを好きな面倒くさがりの人間が慣れないことをたくさんしなけりゃいけなくなるから。
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