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ダチュラ



 彼女とはネズのライブの打ち上げで知り合った。全身真っ黒の服を着ていて、髪だけ白かった。友人の恋人との距離感は難しい。オレは当たり障りない会話で、忙しいネズに放っておかれている彼女の相手をしてやった。人見知りなんですと言っていた彼女は、そうは思えないほど人懐こい笑顔で相槌を打ち、オレたちは連絡先の交換をした。それから、何度かふたりだけで飲みに行くようになった。
「お待たせー、キバナくん」
 毎回、誘うのは彼女から。それなのに平気で三十分も、ひどいときには一時間以上も待たせる。しかも、その日どうするかは会ってから決めるくらいに適当なものだった。「どうしようか、今日」爪先まで真っ黒な彼女は今日も、病的に可愛い。
 映画、植物園、水族館、そんなものは選択肢にはなかった。だってこれはデートではないのだから。地獄みたいに暗いアイシャドウの奥からオレを見据える瞳もそんな場所は望んでない。
 オレたちはただなんとなく並んで歩いた。本気で蹴れば簡単に折れそうなほど細い脚に不釣り合いなごつい靴。財布以外になにも入っていなさそうな小さい鞄。また増えたピアス。ネズとお揃いのチョーカーが揺れている。
「なに食べたい?」
 一応気遣って聞いてみる。
「なんでもいいよ」
 そう返ってくるのは分かっているのに。
 歩き煙草はとっくに禁止になっている区域だというのに、彼女は平気な顔で細い煙草を取り出した。甘い匂いがする。マッチで火をつけて、ふうと息を吐いた。「吸えるお店ならどこでもいーよ」まだじわりと暑い日々が続いているが、彼女は長袖を着ている。黒い布の向こう側を想像しながら、適当な居酒屋を選んでさっさと入った。
「個室で」
 オレの後ろから顔を出した彼女が店員にそう注文した。
 案内された個室は店のいちばん奥だった。「ここならなにしてもバレないね」「なにもしないでくれよ」ふたりで笑った。
 ネズと同棲していて、バイトは一週間も持たずクビになって、自己主義で、刹那的で、快楽主義で、毎日希死念慮に襲われていて、会うたびにピアスが増えて、髪色もちょこちょこ変わって、ヘビースモーカーで、たいして強くもないのに酒がすごく好き。泥酔すると大泣きして手がつけられなくなったり、オーバードーズで何度も病院に運ばれた話を何度もしたりする。要するに典型的な、ちょっとばかり危ない女だった。
 あの日「人見知りなんです」と小さい声で挨拶をした彼女は、もういなくなってしまったようだった。
「あんなの、必死に猫被ってただけだよ」
 三杯目のハイボールを煽って、彼女はそう言った。
「それともあんな大人しいわたしの方が好きだった?」
「オレはいまの方が好き」
 それは嘘ではないし、実際いまの彼女でないとこんなに会うこともなかっただろう。「どうしてオレに心を開いてくれたのか」とまで聞く勇気はなかった。
 店を出た後、ふらふらとした足つきで彼女はコンビニに寄って酎ハイを買った。長い爪が邪魔でプルタブを開けられない様子が面白くてしばらく眺めていたら、真っ赤な顔で缶を渡された。ぷしゅ、と軽い音がして、淡い酒精の香りが鼻をくすぐる。
「どこ行こっか」
 どちらからともなく、指を絡めてぴたりとくっつき合った。
「んー、まあ適当に」
 オレはそんな風に言いながら、安っぽいネオン街へ彼女を誘う。ここから先、男女がすることはひとつだけだというのに、どうして人間ははっきりと言葉にしないんだろう。からん、と軽い音がした。彼女が飲み終わった缶を投げ捨てた音だった。その缶がネオン広告にぶつかって跳ね返る。休憩と宿泊の値段が書いてある看板を指差して「ここでいいよ」と彼女は言った。オレは頷いた。
 それからすることを二度ほどして、ふたりでシャワーを浴びた。シャワーの間はいつも無言だった。
 いつもこんな遅くまで出歩いてネズはなにも言わないのか、そもそもネズがいるのにどうしてオレとこんなことをしているのか。
 いろいろな疑問が湧いてきて、ボディソープの泡と一緒に排水溝に消えていく。
「なあ」
 細い煙草を一本もらって問いかける。
「ネズのどこが好きなんだ?」
 潤んだ目で、彼女は答えた。
「セックスのとき、わたしが泣くまで首を絞めてくれるところ」
 そんなことを言われたら、口籠るしかなくなる。まずそうに煙草を吸うオレを、彼女は意地悪い笑顔を浮かべてみていた。服を着ていない、裸の腕は赤黒い縦線の傷跡でぐちゃぐちゃになっていた。
 そんな彼女のことが、オレはいつの間にか死ぬほど好きになっていた。月に三度ほど合うかどうかなのに、毎日彼女のことを考えていた。他の女は全員切ったし、彼女のことしか考えられないようになっていた。一言でもメッセージがあればその日は一日幸せになれたし、SNSが更新されれば何度も読み返した。そして彼女のお気に入り欄を読み込んで、お気に入りされるようなポストを幾度もした。ちょっとしたことに返事がないだけで泣き叫びそうなほど苦痛だったし、絶望と自己嫌悪で爆発しそうになった。ただそれでも「うん」とだけ、たった二文字でも返事があれば安堵と多幸感でお腹がいっぱいになるほどだった。
 オレはこんなにも彼女を愛しているのに彼女にとってオレはそこまで重要な人間でないということも頭をおかしくさせた。きっと、オレが彼女の首を絞めても彼女はなんとも思わないし、却って嫌われてしまうかもしれない。
 いっそネズにこの関係を伝えてしまえばなにもかもぶっ壊れて楽になれるのだろうか。ぐるぐるとそんなことを考えるようになっていた。
「あのさ」
 その夜も、彼女の方から会おうと連絡がきた。珍しく遅刻せず、時間通りに約束の場所に現れた。
「もう会うのやめるね」
 煙草の先から灰が落ちる。
「い、いきなりなんだよ」
 彼女の髪色は黒になっていた。背後からじわりじわりと浸食する夜が、彼女をぼんやりと曖昧な存在にしていく。
「こんな関係なんの意味もないしさ、」
「オレは」
「わたしのこと好きなんでしょ? 知ってるよ」
 白い肌がすべてを飲み込む夜に飲まれていく。
「なんかさ、悪いよ、キバナくんに」
 何ヶ月も関係を続けてきて、そんなあっさりとした言葉で何もかもを終わりにするつもりか。愕然として、でもオレはなにも言えなかった――頭のどこかで、いつかはバッドエンドを迎えることがわかっていたのかもしれない。彼女がそう言い出さなければ、オレが彼女かネズを刺してしまって、それでもうなにもかもをめちゃくちゃにしてしまうような、そんな終わりがあったのかもしれない。
「……ばいばい」
 長袖の先から少しだけ覗く指先がひらひらと動いた。
 その日、彼女はSNSをすべて削除した。連絡先もブロックされた。
 オレ、彼女に会うまではどんな風にスマホ使ってたっけな。「ブロックされたアカウントにメッセージは送れません」そんな文章を目で追って、思い出せない過去を思い出そうとする。
 あれから何度もネズのライブの打ち上げに顔を出した。彼女は来なかった。ただし、別れてはいないようだった。
「あんまり遅く帰るとあいつがうるさいんで」
 酒で少しだけ赤くなったネズの顔を見て、それから細い腕を見た。この女みたいに細い腕が彼女を苦しめているのかと思うと、嫉妬よりも濁った、羨望よりも劣った感情が湧いてくるのが分かった。
「ったく、いつまで経ってもラブラブだな!」
 それらを振り払うようにネズの肩を抱く。微かに、甘い匂いがした。彼女の煙草の匂いだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。

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