「あたし今日ね、昔の映画を観たの。『小さな恋のメロディ』よ。ねぇ、ふたりはさぁ、トロッコに乗って逃げてくの、ラストシーン」 ホットココアを猫舌で舐めながら彼女は話し始めた。妹の友人なのに随分フランクな話し方をする。不満はないし、気にしたこともないけれど。 「なかなか古い映画を観たんですね」 「あと『卒業』も観たの。男が結婚式をぶち壊す話よ。ラストシーン、花嫁は拐われてふたりで逃げ出すの」 名画座に足繁く通う彼女はシネフィル。長い睫毛を瞬かせて食い入るようにスクリーンを見つめる。その視線で火がつきそうなほど。お腹の上で指を組んで、何度も観た映画で泣いたり笑ったりする。 そんな彼女が猫みたいに可愛くて、こっそり歌に忍ばせることもあった。 「あのふたりがどこへ行ったか、ネズさんわかる?」 アコギを弾いていたおれの腕にそっと触れて 「きっと地獄なんだわ」 と冷めた瞳で笑った。そこで初めて、この娘のなかにある世界への憎悪を感じとった気がした。『小さな恋のメロディ』『卒業』、もう少しおれが若ければ、映画を観ていれば、たぶんその憎悪を叫んでいただろう。おれにできるのは、怒りを音にすることだけだったから。 ただ、この世界を憎しむだけの想いは、忘れたよ。いつの間に、それどころじゃなくなったんだろう。 彼女はシネフィル。名画座で、生きるための憎悪の炎を燃やす彼女を少し羨ましくも思った。映画は彼女にとっての武装だった。名作駄作に関わらず、彼女はなんでも食べた。そしてたまに、今日みたいに一方的な感想を話しに来る。 「きっと、ふたりは地獄に行くのよ」 もう一度そう言った。理由は聞かなかった。 「ねぇ、いつか恋も消えるのに、あのふたりはどうして逃げたのかな」 「どっちの話です?」 「どっちも」 憎悪の訳は案外年相応のものだった。いつか消えるものに身を委ねることの儚さに、少女は憤っていたのだ。 視線で作曲を続けるよう問いかけ、また続ける。「恋も人も、消えるでしょ?」アコギの音色が同意するように溢れていく。「だから」だから「あたし早く死んで消えるの」手が止まった。おれはきっと間抜けな顔で彼女を見ている。 「同じ消えるなら、早いほうがいいから」 「……縁起でもねぇですよ」 「だって、いちばん大事な時に消えてしまうと怖いから、だからあたし意識があるうちに死んで消えるの」 いつか消えるくらいなら、とっとと死んでやるの。 いいな、と思った。不謹慎だが、いい歌詞になると思った。そしてその若さがまた羨ましくなった。武装した挙句、結論を死に急ぐのは、少女の特権だ。 トロッコに乗って、結婚式で拐われて、その後のふたりの行方は知れない。愛が枯れたかもしれないし、勿論命をかけて幸せになっているのかもしれないし。 なぁ、猫、わかるかな、消えることは怖くない。ただ消えるだけだから。お前が思うほど、悲しくプログラムされた世界じゃない。 「お前は若いですね」 もう作曲作業は諦めた。自分のためにいれたホットココアはまるで冷めていた。 消えることは怖くないっていったって、この子は定めし納得しないだろう。 それなら言い換えよう。映画を10本観ても、一度の恋には叶わないって。 なぁ、猫、恋をしてみないかい。 妹の友人を口説くおれを鼻で笑うかな。だけどどうしても、いま口説かなければいけない気がするのだ。 彼女はシネフィル。怒りに燃えたシネフィルだった。 - - - - - - |