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形而上のエロス



 昨日はいつもと違って電車に乗ったの報告メッセージは来なかった。まあキバナがいたからだろう、と思ったがおやすみのメッセージさえなかったのは気になる。朝早くから仕事だったが気になって電話を入れてみた。午前八時。彼女も仕事前だろう。数分でいいから、と思っていたのに着信音が数回鳴るだけで電話に出てはもらえなかった。もやもやしながら食べる朝食は味がしなかった。
 今日もまたキバナに会う。ふたりのトップトレーナーふたりの対談、いままでに数え切れないくらいインタビューを受けてきた。そろそろ飽きているといってもいい。どうせ聞かれるのは同じことなのだから。
 その日キバナはいつになく上機嫌だった。対してオレの表情は浮かないものだったらしい。「体調でも悪ぃの?」覗き込むようにしてキバナは問いかけた。まさか恋人からメッセージが来なくて、などと答えられるはずもなく「昨日お前に負けそうだったからな」と無難な返事をしておいた。キバナは満足そうな顔をした。
「よろしくお願いします」
 初対面とのインタビュアーの一言で対談は始まった。
「おふたりがトレーナーになったばかりの頃のお話から伺えますか?」
 もうこれも何度も答えていることだ。オレもキバナも教科書通りのように答える。あまりにも慣れているものだから脳を介さず口先だけで話しているようなものだ。それこそ、今日は彼女のことで頭がいっぱいだった。調子良く話すキバナと裏腹に、オレはずっと眉間にしわを寄せていたらしい。
「あの……ダンデさん?」
 インタビュアーに恐る恐る、といった感じで指摘されて初めて気づく。
「あー、コイツは気にしなくていいぜ。昨日オレに負けそうだったのがショックだったっぽいから」
 キバナの一言で場の緊張感が緩んだ。こういうところはさすがだと思う。オレはなんでもないです、と取り繕って次の質問を待つ。
「それでは早速、昨日のバトルについてお尋ねします。キバナさん、昨日は随分とスタイルを変えていましたが――」
 ここからキバナのターン。オレはしばらく口を噤む。無愛想に出された缶コーヒーを飲みながら彼女のことを考えた。キバナのことだからきっと電車に乗るまでマシンガントークをしていただろう。それなら報告がなくてもおかしくない。オレが送ってくれるよう頼んだこともあるし。おやすみがなかったのは初めてだからよく分からない。たぶん、それを問うと「疲れてて早く寝ちゃった」などというんだろう。彼女の行動はとても分かりやすいが、たまに本当のことを言っているのか分からなくなることがある。いつでも、正装をしているような言葉なのだ。オレのために。それはそれで嬉しい反面、少し寂しくなる。本当はなにか抱えていたとしても、オレには言わない気がした。例えば――思いつかないけれど、オレには言えないような、なにかを。それがなんなのかはまるで見当もつかない。本当に寝てしまっていたか、具合が悪いとか、それくらいのことであればいいのだが。女心に鈍いオレには、彼女は愛おしすぎる分、難しすぎた。
「ではダンデさんは昨日のバトルはいかがでしたか?」
 名前を呼ばれて我に帰る。
「ああ、昨日の」
 少し逡巡して、ダンデらしい答えを考える。
「キバナも少しは成長したな、と思いました」
「おい、なんだそれ」
「だってそうだろう、攻撃一辺倒だったお前があんな風に戦えるなんて初めて知ったぞ」
 くす、とインタビュアーが笑う。どうやら望み通りの答えができていたようだ。本当は「負けるかと思った」という言葉でも待っていたのかもしれない。しかしチャンピオンがそんなことを言ってはいけないのだ。弱音を見せるのは、ヒーローではない。
 そう考えると、オレの言葉もいつも正装しているようなものだな、と思う。当たり前か。こんなインタビューで本当の本音を言うわけがない。それでも、彼女の前では飾らない自分を出しているのだから恋とは盲目、とよくいったものだ。 
 それからもありきたりな質問は続けられた。キバナさんはどうしてチャンピオンを目指すのですか? ダンデさんはプレッシャーはないですか? どうして誰も彼も同じことを訊くのか。案外、皆はそんなにオレたちに興味がないのかもしれない。
「では最後に、おふたりに大切なものを伺ってもいいですか?」
「それは、バトルにおいてですか? それとも、実生活でですか?」
 曖昧な質問は好きではない。これも何度も質問されてきたことだが、一応聞いておく。「どちらでも」ほらやっぱり、ありきたりだ。
 キバナはにやにやしながらこちらを見ている。彼女の名を出すことを期待しているようだ。生憎、大人なのでそんなことはしない。オレはありきたりな返事をして、キバナも続けてありきたりな答えをした。それでもインビュアーは満足そうな顔をした。やっぱり、世の中はオレたちにそこまで興味はないらしい。
「ありがとうございました」
 かち、とインタビューを録音していたレコーダーが止められる。
「文字起こししたら、おふたりにメールで送らせて頂きますね。今日はお忙しいなか、ありがとうございました」
「変なところはカットしてくれよ」
「そんなの、ありませんでしたよ」
 さすがにキバナはずっと笑顔だ。
「最後に写真いいですか?」
「もちろん」
 白い壁を背景に、肩を組んで並ぶ。このツーショットも何度撮られたのか分からないほどだ。に、と快活に笑うキバナはさすがに女人気が高いだけあって爽やかだ。オレはきちんと笑えているだろうか。曖昧に微笑んでなんとかやり過ごす。
「最後にさ、オレはずっとチャンピオンの座を狙ってるってどっかに書いといてくれ」
「あ、はい。書き足しておきます」
 言い忘れた、という風にキバナは話しかけた。
「じゃあ、譲る気はないとも書いておいてください」
「おー怖い怖い」
「当たり前だろうが」
 ありふれた、ありきたりのインタビューはそれで幕を下ろした。
 インタビュアーが部屋から出て行って、ふたりきりになる。「でもさ、」キバナは冷めたコーヒーを飲みながら「オレはいつでも本気だぜ」と言った。「分かってるよ」「お前からなにもかも奪ってみせるからな」「なにもかも?」「あー、言葉の綾ってやつ」「怖い男だな、お前は」
 キバナはまたに、と笑う。
「その笑い方、胡散臭いぞ」
 少しだけムカついたので憎まれ口を叩いてやった。これで何度も女を落としてきたんだろうな、とさえ思った。

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