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アベルカイン



「どう?」
「さっぱり」
 やれやれ、とネズは椅子に腰掛けた。閉店間際のカフェ。オレたちを遠巻きに見る店員。早く帰ってほしいのか、それとも有名人ふたりにビビっているのか。どっちにしろ早くコーヒーを持ってきてほしい。
「あいつは相当イカれてますね」
「あんな男のどこがいいんだか」
「おれはそこまではいいませんが」
 メニューを見もせず、ネズはブラックコーヒーをオーダーした。店員ははっと気がついたように奥に引っ込んだ。
 話題はもっぱらダンデとそれにくっついている女のことだ。バカなオレたちふたりはその女に恋していた。だから本来はライバルなのだが、ダンデという共通の敵をなんとかすべく日々頭を悩ませている。ダンデを倒すまで、オレたちは共同戦線を張っているのだ。アホらしいとも思う。ともかく、アイツがダンデとまだ付き合っていないうちはまだチャンスがあるはすだ。
 アイツはよくオレたちを特集してくれる雑誌の編集で、いつの間にか仲良くなっていた。仕事以上にプライベートで遊ぶことが多い。オレも、ネズも。同世代でかつてはトレーナーを目指していたということもあり、話が合う。それで、同じようにいつの間にか好きになっていた。
 牽制するつもりで「オレ、アイツと付き合うから」とネズに言うと「でもあいつダンデに惚れてますよ」と返された。愕然とするオレに「キバナのことはいい友達だって言ってました」ついでに「おれのことも」。ふたり同時に失恋したことが可笑しくてその日は朝まで酒を飲んだ。ぐだぐだになりながら「絶対ダンデからアイツを奪還しような」とバカみたいな約束をした。奪われたわけでもないのに。
 肝心のダンデはというと、色恋沙汰にはまったくの無縁だ。恋愛に興味がないんだろう。あからさまなアプローチをにこにこと躱す様子は「バカ」に見えた。「あの子は仕事ができるね」なんて言うので、その場で地団駄を踏みたくなる。
「昨日もダンデの話ばっかりしてましたよ」
 昨日はネズがライブに招待して、打ち上げまで呼んだそうだ。「呆れますよ」と言うネズはそれでも少し楽しそうに思えた。笑ってしまうくらいダンデのことが好きなんだろう。
「ダンデも呼べばよかったのになんて言うもんだから困りました」
「なんつった?」
「忙しそうなので、とか言いました」
 漸く運ばれてきたコーヒーはやけに濃かった。ひと口だけ飲んで放置する。「ラストオーダーですけど」には結構ですと返した。店員はまだオレたちを見ている。
「アイツのどこが好きなんだろ」
「聞きたいですか」
「なんで知ってんの」
「あいつが自分でべらべら喋るので」
 はあ、とため息が出る。「幸せが逃げるよ」アイツの言葉。自分のために幸せがどんどん死んでいくことには、きっと気付いていない。
「全部」
「は?」
「全部だそうです、全部」
「まるごと?」
「まるごと、全て、全身」
「すぐ迷子になるとこも?」
「はい」
 はあ、と今度はネズがため息を吐く。
「ま、おれの方がリードしてますね」
 それは、間違いなくそうだろう。なんせアイツはミュージシャン・ネズの大ファンでもあるのだから。昨日だって大喜びでライブに行ったに違いない。仕事に物販のシャツを着てくることもある。「これ、限定品なんだよ!」と自慢げにステッカーを見せられたこともあったっけ。興味がないから「へえ」としか言えなかったが。
「じゃあ次はオレの番かな」
「なにするんですか」
「次のオマエとのバトル、勝たせてもらうぜ」
「……わざと負けろと?」
「ンなこと言わねーよ。実力でいくからオマエも全力で来いよ」
 それに、手抜きなんかしてもアイツにはすぐ見破られる。
「しかし、まあ、なんですね」
 ネズはコーヒーにひとつも手をつけていない。
「なんでおれたち、こんな必死なんでしょうね」
「さあな」
 お互いどこを見るでもなく、遠い目をする。
「あのう」
 店員が声をかけてきた。「ネズさんと、キバナさんですよね?」ほら来た。「サイン頂けますか?」
 ふたりでにこりと営業用の笑顔を作る。
「もちろん、喜んで」
 アイツとの話のネタができたな、と真先に思った。

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