彼女の肌には引き攣れたミミズ腫れのような痕がいくつかある。火傷か怪我か、白い肌にはとても不釣り合いな傷だ。腕、太腿、腹、うっすらと残るその傷跡。どうせ裸体を見るのは暗闇のなかなので気にしたことはなかった。いつか、彼女の口から聞ければいい、と思っていた。いいたくない過去ならそのままでいい。 ある日帰るとリビングで彼女が泣きながらなにかをしていた。最初は映画でも観ているのかと思ったが違う。どこから引っ張り出したのか、コンパスの針を自分の腕に刺していた。 「おい!」 思わず大声が出た。振り返った彼女の顔は涙と鼻水でひどい有様。それでも手は止めずに針を動かしている、よく見ると腕と脚が傷だらけで、もっとよく見るとそこには「ネズ」「ネズ」「ネズ」といくつも書かれていた。慌ててコンパスを取り上げようとしたけれどいつになく強い力で抵抗される。 「こうしないと駄目なの、わたし、駄目なの」 ガリガリと見ているこちらが痛くなる手付きで手首にまた「ネズ」と書く。 「こんなことしたら嫌われるって分かってるけど、でも、しちゃうの」 白い肌にすっと流れる血が赤い。ミミズ腫れの正体はこれだったのか。過去の男の名前を彫って、それが風化した痕だったのか。そういえば傷があるのは手が届く範囲だけだ。背中などにはなかった。 「でも、ネズが近くにいないと不安で、こうしたら寂しくなくなるかなって」 ごめんね、嫌いにならないでと彼女は泣いた。 「……痛いでしょう」 「痛く、ない」 なんて弱い存在、なんて小さなお前。おれは過去の男に嫉妬を覚えながら、新しく彫られた「ネズ」の文字に指を這わせる。特徴的な癖字。 「すきだから、すきだからこうしちゃうの」 泣きじゃくる彼女はそれでも手を止めない。 「救急車、」 「呼ばなくていい、大丈夫、ネズがいてくれたらいい」 殆ど過呼吸に近い大泣きだった。しゃくりあげて「ごめんね」と何度も謝る。背中をさすり、落ち着くのを待った。宥めながらコンパスを取り上げる。針の先には皮膚の欠片と血の塊。見ているだけで痛くなった。 風化した引き攣れ痕に上書きされるおれの名前。それは意外にも快いものだった。 「もうするな、といっても、お前はするんでしょうね」 「うん、する、ごめんね」 「嬉しいですよ、おれは」 「……え?」 白い肌に刻まれるおれの名前。おれ以外の誰にも見せられない彼女の身体。そんなもの、嬉しいに決まっている。真っ新な雪原にしっかり足跡をつけていくようなものだ。きちんとひとつひとつ、丁寧に刻んでいく。 「嫌われるかと思った」 泣き笑いの表情で彼女はいう。 オレは手の甲に書かれた「ネズ」の文字にキスした。こんなにも愛しい彼女を嫌えるわけがない。もうずっと、おれの名前以外は書かないようにしてやる。 - - - - - - |