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妄想の男



 例えば消しゴムに相手の名前を書いて誰にも触られずに使い切るだとか、相手の影を踏んで願い事をするだとか、両想いへのまじないがたくさんあった。オレは自分が表紙になっている少女誌のワンコーナーを読みながら苦笑する。少女っていうのはこんなに苦労して密かに相手と繋がろうとしているのか。純粋で愚かだなと思う。とはいえ、本人に察されないよう陰で彼女を守っているオレも似たようなものかもしれない。もしバレたら恐縮されてそんなことするなと怒られること必至だ。
 出勤してきた彼女は相変わらず元気がなかった。原因を訊こうとしても濁されて終わり、会話が続かなかった。お土産です、と置かれた菓子には手をつける気にならず、オレの午前中は彼女への心配だけで終わった。
「ノックノック」
 停滞した空気を変えたのは、ドアをこつんと叩いて入室してきた金髪だった。
「キバナさん、ダンデさんが来てるので応接室にどうぞ」
「え? 約束してねぇぞ」
「近くまで来たから寄ったらしいです」
「バカかアイツは」
 とはいえ予定もなかったので対応することにした。応接室に行くとソファに座ったダンデが菓子を貪りながらこっちに手を振った。子供か。
「あれ? マネージャーの彼女は?」
「はあ?」
「あの子だよ背が低い、挨拶してくれた子」
「オマエなにしにきたわけ?」
「あの子に会いに来た。お前はついでだ」
 オレみたいなこというじゃん、コイツ。
 オレたちは大人なので消しゴムにも影にも頼らない。そして駆け引きなんかが
苦手なダンデはもっとストレートに進める。要するに一目惚れしたアイツに会いに来たって寸法だ。付き合いが長いので嫌でも分かる。
「仕事中だよ」
「呼べないか?」
「呼んでどーすんだよ。デートでもするつもりかよ。そういうのは休みの日にやってくれ」
「だってオレは彼女の連絡先も知らないんだぞ」
 知ったことか。心のなかで舌を出す。ひとの恋人に横恋慕しておいてどうして
被害者ヅラなのか。あれ? 恋人同士とはいってなかったな。まあいいか。じきに分かるだろう。
 うーん、とその場で悩むダンデをどうやって追い返そうかと考え始めたとき――タイミングが良いのか悪いのか――彼女が飛び込んできた。
「し、失礼しました。ダンデさんがお越しと聞いて」
 来なくていい、と返事しかけるオレを遮って「やあ久しぶりだなあ!」とダンデは彼女に歩み寄った。それから握手して「君の顔を見にきた」と恥ずかしげもなくいってみせた。彼女は驚いているのか呆れているのか、なにかいいかけてやめた。
「あれから君のことばかり考えていてね、元気ならいいんだ。少し痩せたかな? まあいい、これはオレの連絡先だ。ヒマなら連絡してくれ」
 一方的に捲し立てるものだから彼女はなにもいえずぽかんと立っている。オレは呆れてものも言えない。
「キバナには手を焼くだろう? なんでも相談に乗るからいつでも連絡くれていい。それじゃ、オレは帰る。キバナ、駅まで送ってくれ」
 どこまでも我儘なやつ。オレは金髪に見送りを頼んでさっさと彼女と一緒に部屋に戻った。
「職権濫用だよな」
 あまりにも横暴なダンデの振る舞いを非難してみると
「おもしろいひとですね」
 と彼女は今日初めて笑った。気に食わなかった。


 夜、林檎の皮も剥かずに齧り付きながら彼女を眺めている。つまらなそうにテレビを観て、スマホをいじって、それから思い立ったような顔をした。なにかと思って覗き込むと電話をかけ始めた。オレはスマホの音量をマックスにする。
〈もしもし? あ、ダンデさん、今日はありがとうございました〉
「――は?」
 さすがに電話の向こうの声は聴こえない。彼女の声を必死に追う。
〈え? いえ、仕事中は連絡できないですよ。あの、ふふ、ダンデさんがあんなにおもしろいひとだとは思いませんでした。いえいえ、はい、大丈夫です〉
 どんな話をしているのか分からない。オレは嫉妬に気が狂いそうになる。
〈あの、ご相談というか、キバナさんのことじゃないんですけど……はい、いえ……ダンデさん、ストーカーとかされたことありますか……?〉
「は? オマエなにいってんの?」
 聴こえるはずもないのにオレは返事をする。
 なにいってんの? オマエはオレが守ってるからそんなのないよな?
〈最近、変なんです。帰りにずっと尾けられてる感じがして、それに、へ、部屋にも入られてるみたいで。絶対気のせいじゃないんです、だって……〉
 もう聴いていられない。どうしてオレじゃなくてアイツに相談するんだ? そもそもそんな被害、ないじゃないか。会話のネタをでっち上げてまでダンデと話したかったのか? どうして? オレの彼女なのに?
 ぐしゃり、手のなかで林檎が潰れた。
〈……警察とかは、まだ考えてなくて。はい、えっと、はい……心当たりは……ないんです。それで、もうどうしたらいいか分からなくて。ダンデさんだったら、申し訳ないんですけど経験あるかなと思ったんです。すみません。え? い、いえ、それは申し訳ないです。遠いのに。そんな、そこまでされるような……は、はい、じゃあ明日……〉
 オレはイラついてスマホの電源を落とした。もうなにも聴きたくない。明日それとなく彼女を問い詰めてみよう。オレ以外の男と話すなんて、絶対に許さない。

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