「ごめん」 オレは彼女の言葉がうまく飲み込めなくてぽかんとしている。彼女はいかにも申し訳なさそうに「ごめんなさい」とまた謝った。 初めて女にふられた。「ありがとうございます」の言葉を待っていたせいでなんと応えればいいのか分からない。結局「なんで?」とアホ丸出しの返事になった。 「……すきなひとがいるから」 慎重に、言葉を選びながら彼女はいう。視線が右往左往している。「嘘です」といっているようなものだった。 友人、というか友人の妹として知り合ってから随分経つ。ネズとはまるで似ていない朗らかで健康的な彼女はオレとバトルで渡り合えるくらいの実力持ちだった。もうひとりの妹とも似ていない、突然変異のような女だった。初めはネズの妹としてしか見ていなかったが、何度オレに負けてもチャレンジしてくる意欲にやられてしまった。悔しそうな表情は何度見てもいい。何回でも負かしたくなる。それにそんなにオレに勝ちたいのは少なからず好意があるからではないかという自信もあり、オレは指輪なんか用意して満を辞して告白したわけだ。 「なんで?」 オレはもういちど訊く。 「つ、付き合ってるひとがいるから」 返事が変わった。また嘘だ。嘘をついてまでオレを断りたいのか。悲しいやら腹が立つやらで、オレは大きくため息をついた。少しは信頼してもらっていると思っていたのに、こんな風にふられるとは考えもしなかった。 「せめてさ、本当の理由教えろよ」 「だから、」 「なあ、これ以上オレを惨めにすんな」 手が勝手に動いて彼女の腕を掴んだ。びくりと怯えたように揺れる肩。悪い、なんて思っても謝ってやらない。 「……兄さんがいるから」 予想していなかった返答にまたぽかんとする。腕は掴んだまま。 兄さんが? ネズがいるからなんだ? 「オレと付き合うなっていわれてんのか?」 「そう、じゃないけど」 また視線が泳ぐ。面白いほど嘘をつくのが下手だ。 「オレからネズに許可取ればいいのか?」 「やめて」 「なんだよ、教えてくれよ」 「……わたし、兄さんと、」 泣きそうに揺れる翡翠の瞳を見れば、もうなにがいいたいのか分かってしまった。と同時に耐え難い吐き気に襲われた。――兄と、妹が? そんな、待ってくれ。 「オレが嫌いだからってそういう嘘はやめてくれ」 嘘であってくれ。 「なあ」 答えてくれ。 彼女はオレに掴まれたままの腕を気にしながら「ごめん」とまた謝った。 「わたし兄さん以外の人間は愛せない……兄さんも同じだと思う、から」 こみ上げる吐き気を抑え、なんとか冷静になろうとする。でも無理だった。オレはネズをよく知っている。世を拗ねていて、アナーキーで、妹想い。 「誰にもいわないで」 マリィにも、と彼女はもうひとりの妹の名を出した。 「キバナだから話したけど、聞かなかったことにして」 「……無理いうなよ」 待ってくれ、やめてくれ、そんな理由でオレを断るなんて。 「オマエ、騙されてるんだよ、なぁ。フツーは兄貴とはそういうことしないんだぜ? 知ってるか?」 「……知ってるよ、やめてよ」 涙を湛える瞳に映っているオレ。この瞳が憎い。指輪ごときで彼女を縛ろうとしたオレを嘲笑っているようで。掴んだままのこの腕も、キスする予定だった唇も、触れるはずだった服の下も、全部ネズのものだっていうのか。 「おかしいだろ」 知ってくれ、気付いてくれ、フツーの恋愛に。 「キバナの気持ちは嬉しい。でも、ごめん」 「なあ、」 「離して」 ポケットから指輪を取り出して、掴んだままの手に嵌めてやる。いくら全力で振り払おうとしてもさすがにオレは振り解けない。暴れる彼女を見つめながらオレは怒りに似た感情と闘っていた。 「嬉しいならこれ、もらってくれ」 左手の薬指。 「せめて着けててくれ」 「でも」 その意味するところは、どんな人間でも知っている。 「ネズとのこと誰にもいわねぇからさ、これ着けててくれよ」 それは殆ど脅迫だった。彼女は息を飲んでオレを見る。 オレは手を離した。 「……わかった」 離された手を庇うようにして、彼女は小さい声で同意する。 「また明日な」 返事は、なかった。 - - - - - - |