カブさんがすきだといっていた音楽を聴いた。「いまの子はなんでもネットで聴けていいね」カブさんはレコードで聴いたという。世を拗ねたような憂いを帯びた曲だった。意外だったのでそう伝えた。「ぼくも昔は若かったんだ」いまでもたまに聴くそうだ。 カブさんがすきだといっていた映画を見た。「DVDになっていないんじゃないかな」その通りだったので名画座で観た。白黒の美人さんは、最近亡くなったという大女優の若い頃だった。「彼女は世界一の美人だと思ったものだよ」カブさんは目鼻立ちがしっかりした美人がすきらしい。 カブさんがすきだといっていた絵画を観た。「初めて観たのは大学生のときかな」知らないアーティストの知らないそれは燃えるように情熱的で、まさにカブさんのイメージそのものだった。「いまも部屋にポスターが飾ってあるよ」いつか観せてくださいねというと軽くあしらわれた。 カブさんがすきだといっていたラジオとテレビは聴けないし観られなかった。もうどこにも記録は残っていなかったから。 「無理しなくていいんだよ」 カブさんは苦笑いした。 「そんなことしなくても大丈夫」 わたしすきでやってるの。生まれてなかった、カブさんといられなかった時間を取り戻したくて。「聞いてるかい?」聞いてない、彼の許可なんて必要ないから。やれやれ、と頭を抱える彼の姿がとてもすき。 今日はカブさんがすきだといっていた小説を読んだ。「それは初めて読んだミステリなんだ」衒学的なそれは読むのに少し苦労した。辞書を引きながらなんとか読み終えた。「懐かしいな、ぼくもそうだった」 旋律から、スクリーンから、キャンバスから、活字から、わたしはあなたを侵食してゆく。わたししぶとい伝染病。カブさんに染み付いて離れないようになってしまう。知る権利があるのに放棄するなんてできない。すっかりあなた仕様のわたしになるため、口より先に手足が動くの。 「今日はなにを教えてくれますか?」 歳の差という忌まわしいシステムからは逃げ出せない。でも、大丈夫。そのために彼はわたしにいろいろ教えてくれるのだから。 「自分のすきなものを知りなさい」 「わたし、カブさんがすきなものがすき」 だから、大丈夫。知りたくて知ってるから、大丈夫。 そうだな、じゃあ、とカブさんは初めてプレイしたゲームを教えてくれた。「もうどこにも売っていないから貸してあげるよ」わたしという伝染病にうっかり、きっちり罹ってしまったカブさんも、きっと大丈夫。 - - - - - - |