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妄想の男



「お疲れ様でした」
 急いで戻るとちょうど彼女の退勤時間だった。「これ、連れて帰りますね」手にはあのぬいぐるみ。「大切にしてくれよな」リボンにしっかりカメラがついていることを確認して、オレは手を振った。入れ替わりでフロアに入ってドアを閉める。ドア越しに足音が遠ざかる。エレベーターに乗った音がしたのでオレは急いで部屋を出た。階段を使って急いで降りる。ちょうど彼女が出ていくところだった。もう何度も繰り返したお陰でオレは彼女に心配をかけない程度に見守れる距離感をしっかり掴めていた。彼女はいつも寄り道せずに三十分とちょっとかけて帰路に着く。今日はお気に入りのキャラのぬいぐるみを持っているせいで恥ずかしいのか、辺りをそわそわを見回している。成人女性があんな大きなぬいぐるみを持って歩くのは恥ずかしいよな、オレはくすりと笑った。今日もエントランスまで見送って、オレも家に帰る。今日からはもっと彼女を見守ることができて嬉しい。歩きながらカメラアプリを立ち上げた。いきなりアップで彼女の顔が映し出されたので驚く。どうやら彼女はぬいぐるみをソファの正面、テレビ横に置いたようだ。ぬいぐるみが自立することを確かめているのかぐらぐらと画面が揺れる。「よし」小さく声が聞こえる。しまった、声も入るカメラであることを忘れていた。オレは慌ててイヤホンを挿す。がさがさとノイズに混じって彼女が大きく息を吐いた音が伝わった。「あー疲れた」「眠いなぁ」「お腹すいた」どうやら独り言が多いタイプらしい。可愛くていつまでも聴いていたくなる。きちんと彼女の映像を見るためにオレは急いで家に帰った。
 彼女は作り置きと思しき夕飯を食べながらテレビを観ている。ニュース番組だった。真面目さに感心しながら、オレはコンビニで適当に買った飯を食う。ディナーを共にしているように楽しかった。ニュースではジムリーダー特集が組まれていた。「お、キバナさんだ」オレの出番のとき、彼女は顔を綻ばせた。やっぱ、可愛い。可愛いどころか、もしかしたら彼女もオレに好意を持っているのではとすら思わせた。「キバナさんすごいなぁ」目を細めて言う表情は、画質こそ荒いが確かにうっとりしているように見えた。なんだ、オマエもオレのことすきだったのか。嬉しくて思わず笑い出してしまった。
 食事を終え、彼女は立ち上がりフレームアウトした。それでもオレは観続ける。やがて戻ってきた彼女は仕事着を乱暴に脱ぎ捨て、部屋着に着替え始めた。ブラウスをばさりと脱いで下着姿が露わになる。タイトスカートを投げるように脱いで――オレはそこで目を逸らした。いくら相思相愛でもまだ早いような気がしたからだ。義務で見守っているだけなのに、盗み見しているような罪悪感に襲われた。ちらりと見ると、彼女は「太ったかなぁ」なんていいながらなかなか部屋着を着ない。これが変質者に見られていなくて本当に良かった。安心しながらも、やっぱりオレは勃起していた。仕方ない不可抗力だと思いながら、腰回りを気にする彼女を観ながらオナニーをする。それは彼女を思って他の女を抱くよりずっと気持ち良くて、オレは声を出しながら射精した。彼女の名前を呼びながら。
〈今日もがんばった。お疲れ様〉
 ぬいぐるみの写真と、短いポスト。
〈お疲れ様です〉
 オレは他人のフリしてコメントする。
〈いつもありがとうございます。あなたもお仕事お疲れ様でした!〉
 急に距離が縮まった返事に、オレはまた嬉しくなる。一層彼女が身近になった幸せに包まれながら、オレは眠りについた。



〈近所のカフェで新作のケーキ!〉
〈うまそう!〉
〈おいしいですよ、こっちにきたときはぜひ!〉
〈他のおすすめメニューは?〉
〈日替わりのホットサンドがおいしいです!〉
〈じゃあ行くときはそれ頼んでみる!〉
 他人のフリをするのは少し苦労した。SNSに慣れているせいでつい素の自分になりそうになる。四苦八苦しながらももうひとりのオレは無事にネット上でも彼女と友好的な関係を築けるようになった。
 近所のカフェ、ああ、あそこか。内装とメニューから、彼女のマンションから十分くらいのところに目星を立てる。ランチに行けないこともない。
「なあ、今日も奢るからさ、ランチ付き合ってくれねぇ?」
「はい、もちろんです!」
 翌々日、オレは彼女を誘ってみた。もちろん二つ返事。そりゃ好きな男からの誘いは断るわけないよな。分かっているけど紳士なオレはきちんと彼女をお誘いする。
「ずっと気になってたとこなんだけど男ひとりじゃ入りにくいとこでさ」
「キバナさんもそういうの気にするんですね」
「まぁな」
 おいおい、デートだって分かってるくせに。でもそんな生真面目なところも嫌いじゃないぜ。
 予めチェックしておいたが、オレはわざわざ地図を開いて「どこだったっけな」と迷子を装う。彼女はまだどこに行くか気づいていないのかきょとんとしていた。
「お、たぶんここだ」
「あれ? ここですか?」
 花屋の横にひっそりとオープンしている小さなカフェ。鰻の寝床のように細長く、奥行きのあるフロア。
「ここ、わたしのお気に入りのカフェなんです」
 知ってる。
「一昨日も来たんですよ!」
 知ってるよ、可愛いな。
 オレはそうなのかと笑ってドアを開ける。「いらっしゃいませ」感じのいい店員がにこやかに迎えてくれた。席に案内されて手渡されたメニューを見やるが、オレはもう決めている。「ホットサンドにしようかな、オレ」「あっ、さすがキバナさん、それオススメです!」分かってるよ、なにもかも。
「ここ、隠れ家的な雰囲気が気に入ってるのでネットに上げないでくださいね」
 彼女は悪戯っぽくウインクした。
「じゃ、オレとオマエの秘密だな」
 少し大胆なことを言ってみる。
「えへへ、そうですね」
 照れたように笑う彼女。オレは中学生のようにドキドキが止まらなくなる。
 運ばれてきたホットサンドは確かに美味かった。それより同じものを頼んでいるのに彼女が食べているものの方が美味そうに見えて、一口くれよと何度も言いそうになるのを抑えるのに必死だった。たぶん半分も味わえていない。
〈今日もランチであのカフェ行っちゃった〉
 夜、彼女はテレビを観ながらそう投稿した。オレはスマホでその様子を観ながらPC でコメントする。
〈なに食べた?〉
〈ホットサンドです! 今日もおいしかった〜〉
 知ってる、知ってる。
 だんだん彼女のことについて知っている事柄の方が多くなってきた。嬉しさが止まらない。明日はどんな話をしよう。どんなことを知れるだろう。
「おやすみ」
 彼女は丁寧にぬいぐるみに挨拶してからフレームアウトした。
「おやすみ」
 聞こえないと分かっているがオレは返事をした。
 ベッドに移動されると見守れないな。少し考えて、明日ヌメラのぬいぐるみを買うことを決めた。サイドテーブルにおけるサイズで買おう。それで、カメラをつけて同じように見守ってやろう。〈超小型 離れていてもペットを見守れます〉をまたカートに入れた。

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