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妄想の男



「おはようございます!」
 朝から元気なもんだ。「おはよう」遅刻したオレはバツが悪くてなんとなく目が合わせられない。おまけに昨日は家に帰っていないときた。どぎつい香水の匂いがシャワーで流れてくれたかは分からない。
「なんかいい匂いしますね」
 オレの内心を見透かしたかのように彼女は言う。すんすんと鼻を動かす様子は猫のようだった。
「気のせいじゃねーの」
 できるだけ素っ気なく答える。どうせオレの匂いだ。次からは気をつけよう。そんなことを考えていると「キバナさんからしますよ」と不思議そうに声をかけられた。「香水ですか?」「あー……来る途中にキツい香水つけたひととすれ違ったから、それかもな」大嘘。金髪相手なら「昨日抱いた女の香水がキツくてさ」くらいは言うんだろうな。「そうですか」それだけ聞くと彼女は作業に戻った。別に正直に全てを言う必要もないのに、なんとなく負い目を感じた。
「わたしは寝不足です」
 それは知っている。昨日の夜中三時に「ねむれない」と投稿していたのを見たから。読みかけの本とホットミルクと彼女の指が写っていた。それは話題の海外小説だった。オレはその写真を見て、すぐに通販でその本を注文した。読みたかったわけじゃない。
「仕事はしっかりしてくれよな」
 なんていい加減なことを言って、オレはまた無音カメラで彼女の横顔を撮った。彼女の横顔はとても綺麗だった。目を伏せると長い睫毛が頬に影を落とし、唇は小さくてたまに舌で舐める癖がある。
 今日はいちにち、比較的ヒマだった。彼女もあくびを噛み殺しながらキーボードを叩いている。
「眠いなら昼寝していいぜ」
 もう昼とはいえない時間帯になってから、オレはそう提案した。
「ほんとにしますよ」
 いかにも眠そうな顔つきで彼女は笑う。
「オレがいいって言ってんだからいいんだよ。そこのソファ使え」
 顎でソファを指すと、彼女は「じゃあ遠慮なく」と言って横になった。素直で従順。まるでよく躾けられたペットのようだ。
 暫くしてすうすうと寝息が聞こえるようになった。寝付くのが早い。さすが夜更かししていただけある。
 オレはそっとソファに近寄って彼女の寝顔を覗き込む。長い睫毛、柔らかそうな頬、それからピンクの唇。改めて正面から見ても素朴な可愛さがあった。僅かに開いた唇からは小さい歯と舌が見える。鼓動が早鐘を打つ。オレは音を立てないようにスマホを取り出して寝顔を収めた。油断しきったその表情は「襲ってもいいですよ」と言わんばかり。もちろん、いくらバカなオレでもそんなことはしない。
 夕暮れの色に灯る頃、オレは彼女を揺り起こす。飛び起きた彼女は「寝過ぎました!」と悲痛な声で言った。
「することなかったから気にすんな」
「いえ、でも」
「いいんだって。それより明日は朝からスタジアムで試合だから、遅刻せず来いよな」
 彼女は少しむっとした顔をした。今朝遅刻したオレに言われたくなかったんだろう。分かってる。オレは笑ってみせた。
 その日はどこにも寄らずに帰った。晩飯を適当に食って、興味ないテレビをつけて、ソファに寝転がった。フォルダにある彼女の写真を見返す。こっそり撮ったにしては綺麗な横顔だ。横にスワイプすると寝顔に切り替わる。寝顔。無防備な表情。ずきり、下半身が痛くなった。もっとえげつないものだってたくさん見てきたのに、どうしてこんなもので反応してしまうのか。オレはスマホを片手に、それを触ってみた。ビビるくらい硬くなっている。だから正直に欲を吐き出すため手を動かした。ひとりでするのは久しぶりだった。射精する瞬間、夕方のむっとした表情を思い出した。ティッシュでそれを拭き取りながら僅かな罪悪感に襲われる。こんなことしてると知られたらどんな顔をするだろう。オレは罪悪感をすっかり流し去るように長くシャワーを浴びた。今度こそ香水の匂いも消えたはずだ。
 寝る前に彼女のアカウントを見た。今日はなにも投稿されていないから早くに寝たのかもしれない。オレは心の中でおやすみを言って、目を閉じた。
「おはようございます!」
 昨日にも増して元気な挨拶。スタジアムで見る彼女は新鮮だった。
 ダンデとのエキシビジョンマッチ、チケットはありがたいことにソールドアウトだ。
「応援してますね」
 そう言って白いタオルを手渡してくれた。まるで運動部のマネージャーのようだ。オレはありがと、と言ってフィールドに飛び出した。タオルは柔軟剤の匂いがした。思いきり匂いを吸い込むとくらくらして、昨日の自涜を思い出した。
 そのせいかバトルは散々。子供でも相手にするようにダンデはあっさり俺を負かしてしまった。ブーイングが飛び交う。当たり前だ。こんな好カードでこんなゴミみたいな試合、誰が観たいものか。
「不調だな、キバナ」
「……うるっせー」
 差し伸べられた手を振り払い、オレはとっととフィールドを後にした。
「キバナさん、」
 彼女は不安そうな顔で走り寄ってきた。手にはスポドリ。オレはそれを乱暴に奪って一気に飲み干す。喉は乾いていなかった。なんだ結局、コイツのせいで負けたみたいなもんじゃねぇか。そうやって他人のせいにする自分の大人気なさに嫌気がさして、タオルを放り投げてさっさと帰った。ぽつんと佇む彼女を残して。
 むしゃくしゃしていたのでまだ暗くもなっていないのに女を呼んだ。女は赤い唇をしていた。アイツとは正反対の女だった。
「誰のこと考えてんの?」
 女は口で奉仕しながら不満そうに言った。
「なんでもねぇよ」
 黙って咥えていればいいのに余計なことを。腹が立ったので髪を掴んで喉の奥まで突っ込んでやった。意外と柔らかい髪だった。それはまるでアイツのふわふわした髪のようで、
「……ッ」
 少し腰を動かしただけで呆気なく射精してしまう。女は咽せながらも精液を飲み下した。
 彼女もこんなことをするのだろうか。そういえば恋人がいるのかどうかすら知らない。SNSを見る限り男の影はなさそうだったが。
 もうどうしたらいいのか分からなくなって、オレは目の前の女を乱暴に抱いた。顔を見たくなかったので後ろからした。声を聞きたくなかったので口は塞いだ。彼女を思い出したかったので、また目を閉じた。二度目の射精では明確に彼女の面影を思っていた。
 用済みの女をとっとと家から追い出してシャワーを浴びる。少しでも女の痕跡をかき消すように。
 シャワーを終えて時計を見ると、まだ寝る時間でもなかった。いつものようにソファに寝転がってスマホをチェックする。そういえば今日はダンデとのツーショットを取り損ねた。明日怒られるに違いない。なにもかも嫌になる。オレのアカウントを覗くとコメント欄はアンチの声と信者の声が綯交ぜになっていた。吐き気がする。アカウントを切り替えて彼女のアカウントを見る。
〈仕事失敗しちゃった〉
 とだけ書かれた投稿。写真は見覚えのあるカフェだった。先日オレが連れて行った行きつけのカフェ。しまった。彼女は別に失敗していないのに、オレの不機嫌のせいでへこんでいるみたいだ。オレはかなり迷ったが正体不明のアカウントで「そういうこともありますよね」とリプライをした。数十分後、通知が光る。〈ありがとうございます、少し慰められました〉の返事。オレ宛てだけどオレ宛てじゃない返事。ただ少しでも彼女の力になれたのが嬉しくて今日の失敗はチャラになった気がした。
 明日ダンデに謝って写真を撮ろう。それで、彼女にも謝ろう。そう思いながら寝ると、彼女の夢を見た。



「申し訳ありませんでした!」
 朝イチ、思わぬ謝罪の言葉から始まった。
 オレがぽかんとしていると彼女はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「オマエなんか悪いことしたっけ」
「いえあの、昨日、わたしの顔を見るなり不機嫌になられていたので……」
「違う違う。んなことねぇよ。もう昨日のことはなし、終わり」
 手を振って謝罪を払い除ける。急だったので俺が謝るタイミングがなくなってしまった。勝手に気まずくなって鼻をかく。
「……それならいいですけど」
 彼女はまだ浮かない顔で、渋々と仕事を始めた。
「後でダンデのとこ行ってくるわ」
「それならご一緒します。わたしまだダンデさんにきちんとご挨拶できてないので」
「要るかぁ?」
「だってわたし、キバナさんのマネージャーですから」
 胸を張って答える彼女は、やっぱりキラキラと輝いて見えた。
 それから電話でダンデにアポを取り、カフェでランチをしてから向かった。もうこのカフェがおれひとりのものでなくなったことに妙な幸せを感じていた。
「ダンデさんってどんな方ですか?」
 道すがら、今度は彼女がオレにたくさん質問をした。とはいっても仕事のことばかり。オレはあまり考えずに適当に答えていった。ダンデ? 子供っぽいけどいいヤツ。ネズ? 嫌味っぽいけどいいヤツ。マクワ? あれはたぶんマザコンだぜ。彼女は「真面目に答えてくださいよ」なんて言いながらケラケラ笑った。
 それからなんとなく、彼女のすきな映画の話をした。彼女が過去に観たと書いていた映画は全て目を通しておいた。「キバナさんもあの映画すきなんですか? あれ知ってるひと初めて会いました!」つまらないモノクロの地味な映画。コイツの趣味でなければ一生観なかった映画。当たり障りない話を楽しんでいるといつの間にか待ち合わせの場所についた。
「アイツ、方向音痴だからあと三十分は待たされるぜ」
 彼女は口元を押さえて笑った。そしてその通り、三十分以上遅れてダンデはやってきた。
「待たせてすまなかった」
「ほんとだよ、コイツに謝ってくれ」
「わ、わわわたしは別に」
「ん? 昨日スタジアムで挨拶したひとだね?」
 なんだ、既に挨拶してんのかよ。オレは肩を竦めて「そ、オレのマネージャー。改めてご紹介します」と言った。
 ふたりが握手した後、オレは昨日の非礼を詫びた。ダンデは「気にしていなかったのに」と意外そうな顔をした。
「仕事だよ仕事。ツーショット撮らせてくれ」
 彼女にスマホを投げる。慌てて受け取った彼女は「じゃあ笑顔でお願いします」とカメラマンのようなことを言ってスマホを構えた。
 オレたちは肩を組んで笑った。
 その日、その写真はトレンドに載った。
「わたしが撮った写真……」
 そのトレンドを見ながら彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。「おめでと」オレは肩をぽんと叩く。彼女は上を向いてしっかり笑顔を見せてくれた。彼女はもうすっかりオレに心を許してくれているように見えた。

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(続く)