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妄想の男



 前の女と別れてから数ヶ月が経つ。「あんた束縛激しいんだよ。もう嫌だ」そう言って合鍵を放り投げて女は去っていった。そろそろ潮時かと思っていたところだったので渡りに船だった。自分の手を汚さず女と別れるのは楽でいい。
 それから適当な女と適当に遊んで過ごしてきた。自分でいうのもおかしいがオレは人気がある。それなりの言葉で言い寄れば大抵の女は秒で陥落する。ただし軽い女と付き合うのは趣味ではなかったので連絡先を聞いてもすぐに消した。その場しのぎの快楽があればよかった。
 もうしばらく「真面目なお付き合い」とやらはいいかな、とか思いつつ今日も仕事に向かう。そういえばいままでは女が朝食を作ってくれていたのでコンビニ飯が多くなってきた。別に嫌いじゃないが身体には悪そうだ。楽にカロリーを摂ることだけを考えて作られた菓子パンをかじりながらスマホを弄る。昨日アップしたダンデとのツーショットに数万のライクがついていることを確認して、それから各種SNS巡りをする。俯いたまま歩いていると、誰かにぶつかった。
「ちょっと、キバナさん!」
 馴染みのリーグスタッフだった。
「新任の子紹介しようと思ったのにいきなり肩パンしないでくださいよ」
「悪ぃ、フツーに気づいてなかった」
「歩きスマホはやめてください」
 この金髪とは長い付き合いになる。比較的気が合うのでプライベートで飯に行くことも多い。女に見捨てられた話をしたとき、いちばん大笑いしたのがコイツだ。
「はい、こっちが新任の子です」
「はじめまして、いつも拝見しています。スタッフとして今日からがんばります」
 金髪の隣には随分背の低い女が立っていた。睫毛が長くて黒目がち、緊張のせいか頬が赤い。美女とはいえないがそれなりに垢抜けた可愛い女だった。
「よろしく」
 握手を求めて手を差し出すと、慌てて応じた。片手で包み込めるほど、その手は小さい。
「キバナさん、手が早いから注意しろよ」
「そ、そんな」
「おいおい、人聞き悪いこというなよ」
「今日からキバナさんの専属スタッフですからね。マネージャーか秘書みたいなものです。くれぐれも変なことしないでください」
 まるで前科があるような言い方に苦笑する。少なくとも仕事のうえでマズいことはしてこなかったはずだ。
「あとは任せます。なにかあったらオレに聞いてください」
 じゃ、と金髪は手を振って去っていった。
 急にふたりきりにされて、会話に困る。そうだな、とりあえず、
「先月出た雑誌がそろそろ届く頃だから仕分けして、オレが出てるとこスキャンして、データ残してくれ。先月分が終わったら、先々月のもまだ残ってるからそれも。そのあとは昼飯買ってきて。駅前のカフェのサンドイッチ、テイクアウトできるから」
 思いついたことをざっと言う。彼女は一生懸命メモを取っていた。メモ取るようなことか? まあ別にいいけど。
 案の定、別のスタッフが「お届け物です」といって段ボールを運んできた。彼女は腕まくりをしてカッターを手にする。
「カッコいいですね、やっぱり」
 オレが表紙になっている雑誌を手に、彼女は小声で言った。
「そうなんだよな」
 オレってカッコいいんだよ。当然のことだからいまさら謙遜もしない。可愛い女に言われるのも満更ではないし。
「世の中の女の子が放っておかない気持ち分かります」
 にこ、と彼女は笑った。その素朴な笑みはオレを否定するでもなく肯定するでもなく、ただオレの言葉に対して微笑んだように見えた。オレは柄にもなくどきりとする。化粧の濃い女ばかり相手にしてきたせいか、飾り気のないこの女にストレートに射抜かれてしまった。自分でも呆れるくらい気が早い。
「あっ、わっ」
 雑誌を抱えた彼女が重さに耐えきれずこけそうになる。反射的に腹の辺りを抱きとめた。どさ、と二、三冊雑誌の落ちる音。
「ありがとうございます」
 すみませんと言わないところに好感が持てた。
「悪い、セクハラだな」
 軽口を叩くと「とんでもないです、助かりました」とまた天真爛漫な笑顔が返ってきた。
 ああ呆気ない、ああオレって単純。さっきまで女はしばらくいいとか思っていたくせに、出会って数分の女に恋してしまったみたいだ。いままで周りにいなかったタイプだから勘違いしているだけかもしれないが、それにしては中学生のようにどきどきしていた。
 淡々と作業を進める彼女を横目に、オレは仕事であるSNSの更新をする。一日に何件投稿すること、ブランドの新作をPRすること、たまにはライブ配信もすること。インフルエンサーとしてやることが多い。「全部掌のうえで済んで楽ですね」とネズには嫌味を言われたことがあるが、楽なわけがない。正直イラつくことも多かった。ファンも多ければアンチも多い。だがどんなやつでもブロックしてはいけない、というルールさえあった。それと、決して女の存在を匂わせないこと。清廉潔白なみんなの憧れのキバナでいること。
 笑ってしまう。現実のオレは毎晩違う女を抱いているようなだらしない男なのに。
 それよりなにより厄介なのは盲目的な女信者だった。自分にもチャンスがあると思っていて、妙に近い距離感でメッセージを送ってきやがる。ネットで出会うような女にロクなやつはいない。それと、こういうやつほど女の影に敏感だ。オレのファンの半数を占めるそういう厄介な女たちのため、オレは今日も清く正しくたまにお茶目な投稿をする。オマエらにチャンスはないけど、夢だけは見させてやるよ。
 新人はというと、いちいち感心しながら作業を進めていた。「はあこれもカッコいい」「これも」「キバナさんてやっぱりすごいんですね」独り言が大きい。ただし着実に雑誌の山は崩れているので仕事は早いようだ。いい新人を寄越してくれたもんだ。
「オマエさ、オレのSNSはフォローしてる?」
「もちろん! 全部してますよ」
「そっか」
 気にしたことがないフォロワーだが、数百万人のなかに彼女がいると分かると途端に嬉しくなった。と同時に全て見られることに少しだけ羞恥を覚えた。キメ顔の自撮り、モデルみたいなストリートスナップ、ダンデやネズとのビジネスツーショット。仕事とはいえ、随分恥ずかしいことをしてるもんだ。
「キバナさんにしかできないお仕事ですもん、尊敬してます」
 キラキラと輝く目。やっぱりこの女は駄目だ、調子が狂う。
「照れるからやめてくれよ」
 そんな会話をしているといつの間にかランチタイム。「奢るからさ、駅前のカフェ行こうぜ」オレの提案に彼女は一度丁寧に遠慮してみせて、それから「それならご一緒させてもらいます」と応えた。
 道中はだらだらと話した。どうしてスタッフになったのか、どこ出身か、誕生日、血液型、趣味、すきな映画など、一方的にオレが訊いただけだったが。それでも彼女は嫌な顔ひとつせず全てにきちんと答えた。身長差のせいでオレからは彼女のつむじしか見えない。でも楽しそうに話していることは伝わった。
 カフェでは同じものを頼んだ。オレはポストするためにサンドイッチの写真を撮る。パシャリと音がしたところで、彼女に制された。
「駄目ですよ。わたしが写り込んでる可能性があるので、撮り直してください」
 そう言って座席を立つ。「それと、分かってると思いますけどすぐに投稿しないでくださいね。見るひとが見たらどこにいるか分かりますから」思ったよりもしっかりしているらしい。オレははいはいと適当な返事をしてもう一度写真を撮った。変なものが写り込んでいないことを確認して、彼女は席に着く。オレはそれからこっそり無音カメラを立ち上げて彼女の横顔を撮った。
「おいしかったです、また連れてきてください」
 きちんとごちそうさまを言って、ちゃっかりしたことまで言う。本当にこの女は面白い。
「オレさまの気が向いたらなー」
 上手く返事ができなかった。普段のオレならどう返事しただろう。いつでも、とか、じゃあ代わりになにしてくれんの、とかそういうことを言っていたかもしれない。
「さ、午後も頑張ります。キバナさんはインタビューがありますから、午後は外出ですね。わたし、要りますか?」
 そういえばそうだった。ダンデとの対談インタビューがある日だった。オレは少しだけ考えて「ひとりで行く」と答えた。場所はすぐそこだし、彼女のキラキラした目に見られているとまともに話せる気がしない。まったく、オレっていつからこんなにチョロい男になったんだろう。微笑まれたくらいで恋に落ちたなんて童貞以下だ。
「一回戻るのもめんどくさいし、このまま行くわ。気をつけて戻れよ」
「はい!」
 彼女は元気に手を振って踵を返した。
 オレはスマホを取り出して自分のアカウントのフォロワーを見てみる。数百万人。大した数字だ。オレはそのなかから誕生日らしき数字をアカウント名にしている人間を探す。あらかた絞ったところで彼女の誕生日と名前で検索をかけた。数十人ヒットした。小さいアイコンを見つめて彼女っぽいものを探す。ああ、案外簡単に見つかるものだな、特定のアカウントなんて。すぐに分かった。すきな映画のスクリーンショットをアイコンにして、出身地が書いてあるプロフィール。あまりポスト数は多くなかったが、遡ると友人と一緒に写っている画像も見つけた。フォロー数、フォロワー数は一般人のそれと変わりない。オレは電車に揺られながら全ての投稿を読んだ。食べた、見た、くらいしか書いていないそれは愛嬌のある本人と違って素っ気ないものだった。そのギャップさえ可愛いと思うのだから結構、いやかなり、オレはイカれてるみたいだ。
 そっか、これが一目惚れか。
 相手のことをもっと知りたくなる、これが恋か。
 オレは少し迷って、新しいアカウントを作った。適当に有名人や映画好きの一般人をフォローして、最後に彼女のアカウントをフォローした。「映画が好きです」とだけプロフィールに書いて、フォルダにあった適当な映画のポスター写真をアイコンにした。実は映画なんて興味ない。とにかく彼女を知られればよかった。
 その日の対談は思ったよりノリノリで話せた。すぐに彼女のアカウントを特定できた嬉しさのせいか、それは分からない。
 職場に戻ると彼女はきっちり仕事を片付けてフロアの掃除までしてくれていた。オレはその真面目さにちょっとだけ呆れる。
「もう帰れよ、仕事全部済んだろ」
「へ?」
「オレ無駄に仕事させるの好きじゃねえんだよ、帰りな」
「でもキバナさんはまだ仕事ありますよね?」
「なに、付き合ってくれんの?」
「もちろんです。コーヒーでも入れますか?」
 秘書だかマネージャーだか知らないが便利なものを手に入れた。オレはブラックのコーヒーをオーダーして席に着く。
 淹れてもらったコーヒーを啜りながらメールで届いた依頼にざっと目を通す。レセプションへの参加依頼、コマーシャルの依頼、そんなのばっかりだ。久しくすきなようにバトルもしていない気がした。
「依頼メールってキバナさんに直で来るんですか?」
「そんなもんじゃねぇの」
「おかしいですよそれ、わたしが窓口になります」
 言うが早いか彼女はインフォメーション用のメールアドレスを作って「キバナへのご依頼はこちらまで」と書かれたシンプルなアカウントを作成した。「こうしたらキバナさんへの通知も減るので楽だと思いますよ。キバナさんに直接きたらこのアドレスを案内してください。毎日わたしが案件をまとめるので、キバナさんはそれに受けるか受けないかの返事をするだけでいいです。返事もわたしがします」まるで書かれたものを読むようにすらすらと話す様子がおかしくて、オレはぽかんと彼女を見る。
「……イヤ、ですか?」
 オレの表情を否定的なものと受け取ったのか、彼女は少ししゅんとした。上目遣いでこちらを見るのがあざとい、意識していないとしても。
「いやいや、すげー助かる。オマエすごいな」
「当たり前ですよ」
 ふわふわしているかと思えば仕事はかっちりこなす、またそのギャップが狡いと思う。
「キバナさんの負担はちょっとでも減らしたいので」
 でも、オマエ、知ってるか? オレが毎晩違う女を抱いてること。目の前にいるのは仕事に追われる潔白なヒーローではないこと。
 たぶんその気になればオマエだって簡単に抱けるんだぜ。
 キラキラと微笑む彼女を思いながら、その日はバーで引っ掛けた化粧の濃い女を抱いた。キツい香水の匂いに吐きそうになって、目を閉じて女を抱いた。
 その日からオレは彼女のことばかり考えて過ごすようになった。良くも悪くも。

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(続く)