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悪あがき



 母の直属の部下である彼女はぼくと同い年だ。母に振り回されて毎日忙しそうに走り回っている。どんな無茶振りにもきちんと誠実に応えようとする姿がとても健気で、ぼくは毎日彼女を目で追っていた。大人に囲まれたこの世界で同じ目線の彼女に親近感を抱いていたのかもしれないが、それは確かに恋だった。
「あ、マクワさんだ、お疲れ様です」
 彼女の手には生クリームがたっぷり乗ったココア。どうせ母に頼まれた買い物だろう。それくらい自分で買いに行けばいいのに、部下を端女かなにかと勘違いしているのだろうか。
「大変ですね、毎日」
「そうでもないですよ、メロンさんといると楽しいし、勉強になります」
 その言葉に嘘はないように見えた。にっこり笑うと笑窪ができる。とても可愛らしかった。
 ぼくたちは同い年なのに、律儀に敬語で話した。あくまで仕事での関わり合いだからそうなっている。ぼくはそれ以上の関係になりたかった。正直に、恋人同士になりたかった。すきです、の四文字さえ言えたらいいのに、それができないのは母と彼女の関係を気まずくさせたくないからだ。母のせいにしている? そうかもしれない。要するに度胸がないのだ。
 明くる日、彼女は珍しく髪を巻いていた。週末の疲れた身体に、それはとても眩しかった。
 可愛いですね、と声をかけていいものか。いきなりそんなことを言って気持ち悪がられないか。どうしても声をかけたくて頭を抱えた。
「……め、珍しいですね、その髪型」
 結局捻りのない言葉になった。もっとスマートになれればいいのに。
「こんなの、久しぶりにしました」
「似合ってますよ」
「あ、ありがとうございます」
 くるんと巻いた髪が揺れる。彼女ははにかんだ。頬を染める様子は、あどけない少女のように見える。
「あの、」
 唇が勝手に動いた。
「今度の日曜、空いてますか」
 彼女はとても驚いた顔をした。当たり前だ、いままで仕事上の話しかしていなかったのに急にプライベートに誘われたのだから。視線をうろうろさせて、コーラルピンクの唇が「ごめんなさい」を紡いだ。
 思ったよショックはなかった。急な誘いだから仕方ない。それに、オーケーされたところでどこに行こうか考えが追いついていなかった。ぼくは少しほっとする。
「急にすみませんでした」
 あの、と彼女は小声で続ける。なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
「わたし、恋人が、」
「あっ、そんなところにいたの。ちょっと大急ぎでこっち来てちょうだい!」
 小さい告白は母の大声に遮られた。彼女は慌てて振り返る。母は大量の書類を抱えていて、早く早くと彼女を急かした。失礼します、と律儀に挨拶して彼女は母を助けに向かった。
 恋人が。
 恋人が、なんだろう。
 ドキドキする胸を押さえ込みながらぼくは考える。冷静に考えれば分かるはずだ。お洒落した週末、空いていない日曜日、浮かない表情。だけれどぼくは現実を見ることを拒否した。
 恋人が、どうとは言っていない。来週の日曜日が空いていないとも言っていない。だからぼくは来週も「今度の日曜日、空いてますか」と訊くんだ。ぼくは誰にも見られていないのに肩を竦めて首を振った。やれやれ、厄介なひとをすきになってしまった。同じように彼女も厄介なひとにすかれたと思うだろう。それでいいんだ。少しでもぼくのことを考えてくれたら。「今度の日曜日、空いてますか」何度だって繰り返して訊いてやる。これは確かに厄介な恋だった。

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