おれたちの行き場はどこにもなかった。 事務所、マネージャーは「いまが大事な時期だから」などと曖昧なことを言い、曖昧に交際に反対した。彼女の両親は得体の知れないミュージシャンと娘の恋愛を嫌った。ふたりで外も出歩けない、おちおち家で会うこともできない。思い出の場所もなにもなかった。おれたちの恋は実ったはいいが摘果されない林檎のようにじくじくと腐っていった。 「耐えられないよ」 彼女は泣いた。それはやっと時間を作ったふたりの時間。束の間の逢瀬。ライブハウスの裏で彼女は顔を覆って小さい声で泣いた。優しい彼女は両親を振り切ることができないのだ。おれはいざとなったら事務所を蹴ってでも彼女と一緒になりたかったが、そうすると生活で苦労してしまう。全く、おれたちは四面楚歌の状態だった。 交際期間が長くなるにつれて、お互いに薬が増えた。不安を錠剤で埋めるようになった。相手がいないと碌に眠れず、一緒にいるときだけ手を繋いで眠れる。そんなふたりになっていった。 「いまが大事な時期だから」 何ヶ月経ってもその繰り返し。おれの曲がヒットしてもしなくても同じことを何度も言われた。おれは半ば諦めの境地に達していた。 「お願いだから真っ当なひとと結婚して」 真っ当な人間である彼女の両親は繰り返す。おれの曲がヒットしてもしなくても、同じことを何度も言われるという。彼女ももう反論する気力もなさそうだった。 「もう、無理かもしれませんね」 言い出したのはおれだった。 彼女は顔を上げて丸い濡れた眼でおれを見た。 「あなたとは永遠に一緒にいたいのですが、世界がそうさせてくれません」 「……あのね、」 とか細い声で始まったのは「輪廻転生を信じている」という話だった。 「わたしは生きることをネズと恋することと認識しているから、あなたと再び会うために何度でも生まれ変わりたいと思う。生まれ変わって虫になって鳥になって虫になって、またふたりに戻って恋に落ちるの」 その言葉ははっきりと言いはしなかったが、つまり現世を諦めようというものだった。ああ、そんな歌詞を書いたことがあります。報われないふたりが海に入る話です。 「まだ海は、寒いですね」 おれは応えた。察したようで、彼女は涙ながらに微笑んだ。 「海じゃなくても、いいよ」 その晩、人目を忍んで彼女はおれの家に来た。かつておれが「花嫁みたいですね」といったドレッシーな白いワンピースを着ていた。死出の旅路へのドレスコードか。おれは普段通りの格好だった。慌てて仕舞い込んでいた黒いスーツを取り出してなんとなく新郎っぽい服装にすると彼女は声を上げて笑った。「お葬式みたい」それは生々しい冗談だった。 「じゃあ、ネズの手で、最期にして」 「その前に、キスしましょう」 おれたちはキスをした。触れるだけの優しいキス。 外では子供が騒いでいる。犬が鳴いている。いつもの夜だった。 おれは彼女の首に手をかけた。さあここを、という風に首がこくりと動く。彼女は目を閉じた。おれはたまらなくなって、最期のキスをしながら彼女の首を力いっぱい絞めた。柔らかい肢体が痙攣して、やがて動かなくなる。案外、呆気ないものだった。おれは最期までキスをしたままだった。 「生まれ変わって鳥になって虫になって花になっても、きっとあなたを探して恋をします」 そうして泣きながら剃刀を手に取った。空蝉に死ぬおれたちの悲しみなんて誰に分かるものか。いちばん悪いかたちでおれたちの恋が世に出るといい。その頃おれたちは幸せに向かっているはずだ。 - - - - - - |