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子犬にしてあげる



 路地裏で蹲っていた君はありったけの煙草と薬を飲んだあとで、親指の爪を噛んでいた。だからおれは子犬でも拾うように君を拾った。君は名乗りもしなかった。暖かいココアを淹れてやると一気に飲み干した。潤んだ眼でおれを見た。おれはその晩、ソファで寝た。
 朝、君はベッドの隅で縮こまっていた。薬がないと眠れないらしい。おれは子犬にするように毛布で包んであげて、慰めに子守唄のようなものを歌った。君は困惑しながらも少しだけ眠ってくれた。
 君はまともに話さなかった。
「寂しい」
 とだけ言った。
 目的も目標も正体もなくこの街に来たらしい。ここには彼女を知る者は誰もいない。それならおれが飼い主になって、必要なら名前をつけてあげよう。行くところがないなら首輪もつけてあげる。君はおれの後ろを歩いてさえいればいい。
 たぶんそれは一目惚れだった。君をおれだけの子犬にして、他のどこにもいかせないようにしたかった。君もそれを嫌がらなかった。ご褒美みたいにキスをあげれば、喉を鳴らして喜んだ。君も、おれをすきでいた。君は完全におれのものなった。
「散歩に行きましょう」
「海まで」
「おれの後をついてきてくれればいいです」
「なにも怖くないですから、ね?」
 君はまだ寂しそうな顔をするから、ときおり散歩に誘った。海が近いスパイクタウンは君に似合っているように思った。薬をかじりながら、君はついてきてくれた。
 君は最初海を怖がった。だからおれは子犬にするように君を抱き上げて水に入る。四月の海はまだ冷たかった。
「お、ネズじゃん」
 何度目かの散歩の日、その日は運が悪かった。雑誌の撮影でキバナが来ていた。浜辺に佇む男はなにより絵になっていた。
 君はさっとおれの後ろに隠れた。そして様子を窺うようにちらちらと顔を出す。
「挨拶しなさい」
 おれは子犬にそう促す。君は小さい声で「こんにちは」と言ってまた隠れた。キバナはなにも気にしない笑顔で手を振った。照れていると受け取ったのかもしれない。
 キバナが帰ってから、君は「うまく挨拶できなくてごめんなさい」と謝った。子犬なのだからまだ上手くできなくてもしかたない。おれは甘いので、ご褒美のキスをあげた。
 それからふたりでまた海に入った。変わらず冷たい海だった。
 強い潮風の吹く浜辺で、君は子犬らしくはしゃぐ。腰まで海に浸かって、水しぶきをおれにかけたり、そのまま泳いだりする。
 そうしているとなにもかも大丈夫な気になった。
 そうしていると、君が完全におれのものになった気がした。
 もうあの頃の寂しい君はいないように思えた。
「もういまはなにも考えなくていいですからね」
「おれがいますから」
「いつまでも、おれがいますから」
 それから暫くして、おれは首輪の代わりに君に指輪をプレゼントした。海辺で。子犬は喉を鳴らして喜んだ。ざ、ざ、と波の音がふたりを祝福するように響いた。
 今度は知らないひとにも挨拶できるようにならないといけませんね。それができるようになったら、結婚式を挙げましょう。君がおれだけの子犬だって、皆に知らせるために。

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