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恋と犬と前髪



 規則正しく礼儀正しく清く正しく。
 校則通りの前髪に黒い髪、膝下のスカートに愛想のない白いソックス、男の子とはほとんど会話もしたことがない。趣味は読書とクラシック鑑賞。パパもママも自慢の、とってもよくできた子でした。
 ネズを知るまでは。
 試験勉強のために少しだけ夜更かししたあの夜、ラジオで流れた音に、わたしの脳は犯されてしまったの。
 彼はルールを破れ縛られるなやりたいようにやれ犬になるなと歌った。それはまるでわたしに叫んでいるようで、歌詞を一生懸命聴き取りながら涙を流してしまった。痺れるようなサウンドに挑発的なリリック、ドキドキしながらスマホでネズの名前を検索して、そして一目で恋に落ちた。世を恨むようなじとりとした眼に、射抜かれた。近々うちの街でライブをするらしい。わたしは生まれて初めてママに言えない用事を作った。スケジュール帳には初めて学校行事以外の予定が書き込まれた。
 無難で清潔な、悪くいえば面白みなく地味な格好で初めてのライブに行った。フロアに集うひとたちは皆過激な格好をしていて、普通すぎるわたしは却って浮いていた。そわそわしていると開演時間になり、本人が出てきてもないのにフロアはネズの名を延々とコールする。わたしは急いでドリンクを飲み干して紙コップをポケットにねじ込んだ。こんな行儀悪いこと、初めてした。
 細い影がステージに走る。じわりじわりと明るくなるライト。辺りがショッキングピンクに染まって、ネズは姿を現した。白黒の長髪にじとりとした眼。想像通りのネズは枯れ木のように細いにもかかわらず耳がつんざけるほど大きな声でオーディエンスを煽った。わたしは溺れたようにふらふらと手を挙げる。拳を握りしめるほどの力はなかった。ただふらふらと、陶酔に任せて揺蕩った。ネズが、ネズが目の前にいる。あの日わたしを犯したネズが。
 その日、わたしはありったけのお小遣いでCDなどを買った。ママやパパにいえないようなものを買うのも、初めてだった。
 たぶん、これは恋なの、パパ、ママ。
 恋をしたら誰でもおかしくなるでしょう。どんな古典を読んでもそうだった。ネズへの恋心が、わたしを突き動かしたの。
 前髪は眉上でばっさり切った。ネズをよく見られるように。白いエクステをつけた。ネズとお揃いになるように。スカートは膝上にした。ネズを追っかけるときに走れるように。靴下は、前から履いてみたかったアリスみたいなニーソックスにした。それから、ピアスも開けた。ネズのロゴを象ったピアツをつけたくて。そしてネズに見つけてもらったときに恥ずかしくないようメイクも覚えた。
 ママもパパも反抗期が来たと思ったみたい。少し戸惑ってわたしから距離を置いた。違うの。これは恋なの。いわないけれど。
 今日もライブだから学校を早退してスパイクタウンに向かう。品行方正真面目一辺倒のわたしがいうことだから、嘘の体調不良でも誰も疑わない。前髪もメイクも、皆気付いているはずなのになにもいわなかった。すぐに過ぎ去る反抗期だと思われているに違いなかった。恋をしているといっても、きっとそれは信用されない。
 ライブ後に手渡すプレゼントを大事に抱えて電車に乗る。窓ガラスに映ったわたしの顔は、とっても可愛かった。すきです、という練習を脳内でしながらイヤホンでネズの曲を聴く。ネズの声を聞くと身体の奥がじんじんして仕方なかった。早くライブで暴れたい。いつの間にか、わたしは自分でも制御できないくらいネズばかりの頭になってしまった。
 ライブハウスに着いたら急いでロッカーになにもかもを詰め込んで、ネズだけの身体にする。そういえばドリンクを引き換えることも忘れるようになってしまった。そんなことより早くフロアに入りたいから。
 そして今日のネズはいつもより激しかった。駄目になるくらい頭を振って声の限り叫んで、しまいにはフロアにダイブした。オーディエンスの手の波に飲み込まれながらもネズは歌い叫んだ。彼がわたしの目の前に来たそのとき、ネズが顔を横に動かした。
「犬になるなよ」
 わたしの眼を見て、ぴしゃりとそういった。あのじとりとした眼の奥に、炎が燃えていた。わたしは思わず「ネズ!」と大きい声で叫んだ。誰の声にも紛れないように。
 ネズがわたしを見つけてくれた。ネズがわたしにメッセージをくれた。出待ちしながらずっとドキドキしていた。処女のくせに、思い出すと身体の芯が疼いてしまう。あれは確かに、わたしに向けてのメッセージだった。思い込みじゃない。わたしに犬になるなといった。ネズが。
 やがてネズは特に変装もせずそのままの姿で通用口から出てきた。わたし以外にも出待ちしているファンはそれなりにいる。そのひとたちに素っ気なく対応しながら、ネズはちらりとわたしを見た。心臓が飛び跳ねる。わたしは小走りで彼のもとに行ってプレゼントを手渡す。小声で「すきです」といえた気がした。ネズは受け取りながらじとりとした眼でわたしを見ていた。メイク、変かな? おかしな風に見られてないかな? そんな心配がさらに心臓のドキドキを加速させる。
「犬になるなよ」
 ネズは小声でそういって踵を返した。ほかの誰にも聞こえない声だったに違いない。わたしは震える声で「はい」と彼の背中に返事する。
 もうこの前みたいなわたしはいない。完全にネズのものになってしまった。だからママ、パパごめんなさい。わたしはネズを恋し続ける。もう二度と戻らない。前髪も制服も、犬にはいらない。クラシックはまだ聴くかもしれないけれど。
 犬には、ならないの。

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