あの子はアニキの音楽がすき。アニキのこともすき。 例えばアニキの音楽はヒットチャートに載ったり何百万枚も売れたりしないけれど、それでもたくさんのひとのエールになっている。特別で大切で唯一無二のものだ。あたしだって嫌いじゃない。たぶん無意識のうちに影響されているし、実際似ているとよくいわれる。見た目だけじゃなくて。 「この前出待ちしちゃった」 「そんなことしなくても、ウチに来ればいいのに」 「ダメだよ、ネズさんは特別なひとなんだから」 恥ずかしげもなくそういう彼女は、アニキを目の前にすると途端に言葉を覚えたての子供みたいになってしまう。あの、とか、その、とかもじもじして結局あたしが通訳することになる。うちに遊びに来たときなんかによく見る光景だ。 「マリィもすきなひとができたら分かるよ」 もうおるよ、目の前に。 あたしはそんなこといえなくて「そうやろか」と呟くだけだった。 彼女は打算なしであたしと仲良くしてくれる、大切な友人だ。いままでアニキに近づくために友達になろうとしてくるひとは何人もいた。彼女だって最初はそうだと思っていた。でも違った。この子はアニキのことを知らなくて、うちで偶然出会したときに一目惚れしたのだ。それから曲を聴くようになって、試合を観に行くようになって、ライブに行くようになって、いまでは殆ど追っかけみたいになっている。なによりもアニキを好いている可愛い女の子だ。 あたしはというと、彼女と似たようなものだ。初めて出会ってバトルして、あっさり負けたのにキュートに笑うのを見て一目惚れした。同性、同世代の特権はすぐに仲良くなれることだ。あたしはすぐに彼女と友達になって、家を行き来する仲になった。どちらかといえば下心があるのはあたしかもしれない。 「新曲聴いた?」 「あたしあんたと違ってそこまでアニキに興味ない」 嘘。本当は話題にするためにすぐ聴いた。誰よりも早く聴いた。 でも彼女から話しかけてくれるように、自分から話にしなかった。 「今回はストレートなラブソングでね、歌詞がすごくいいんだ」 いつもいいけどね、とフォローして、お気に入りのフレーズを口ずさんでくれた。それはよくある、でもアニキらしくアレンジされた片思いの曲だった。 「わたしが歌っても意味ないや」 照れたように言って、彼女はスマホを取り出した。そしてイヤホンをつけて「ね、聴いて」とLと書かれた方をわたしに差し出した。一瞬、どういうことか分からなくてフリーズする。 「半分こしよ」 そう提案するのは、あたしが大好きなあのキュートな笑顔。 「別に、アニキの声なんか毎日聴いとるのに」 わざとらしく文句を言って、結局あたしはイヤホンを受け取る。恐ろしいくらい、心臓がドキドキしていた。 彼女は再生ボタンを押す。すると何度も予習して聴いたバラードが流れ始めた。 それはあるひとに出会って一目で恋に落ちて、そのひとのためならなんでもできると誓った男の歌だった。 きっと、恋をしているアニキのファンはこれを聴いて「自分の曲だ」と感じるに違いない。 「わたしのことを歌ってるみたいで、すごくすき」 案の定、この子もそうだった。 「ありきたりだよ」 あたしはちょっと嫉妬して、憎まれ口を叩いてやった。 そして彼女がすきだというフレーズが流れ始める。「愛してる」「君を想うとなんでもできる」「君が欲しい」ストレートで恥ずかしくなるような言葉たち。アニキ、いま恋してるのかな、そんな風に思わせるリリックだった。 「ネズさんはすごいよ」 音楽はまだ流れ続けている。 半分こしたイヤホン越しに、あたしのドキドキが伝わってしまいそうで怖い。 あたしだって、ストレートに恋しとるよ。恥ずかしくてとても言えないけど。あたしがアニキなら同じように曲に乗せてこの子に歌ってる。愛してるよ、なんでもしてあげる、だから君をあたしにください。 「ね、よかったでしょ」 「妹として聴くと恥ずかしいけどね」 「あはは、かもしれないね」 「アニキのどこがそんなにすきなん?」 彼女は少し赤くなって「……全部」と小声で答えた。それから「全部を知ってるわけじゃないけど、わたしが知ってる全部がすき」 そっか、とあたしはふつうの返事をする。別にいまさら知ったことじゃないし、大して傷つきもしない。 曲が終わっても、あたしたちはイヤホンを半分こしたままだった。 「あんたがすきなものはあたしもすき」 あたしはあんたが大好きだよ、あんたの大好きを半分くれてありがとう。そんな恥ずかしいことまでは言う勇気がなくて、精一杯の告白をした。 彼女はキュートに笑ってくれて、いまはそれで満足する。悔しいけれど、アニキにありがとうと伝えようと思った。新曲、あたしのことみたいやったよ、って。 - - - - - - |