サヨナラと消えるような声で呟いて、彼女は身を投げた。 脊髄反射で手を伸ばして、すんでのところで捕まえる。 「なにしやがんですか」 「自殺」 「わざわざ、おれの目の前で」 春風の吹く埠頭。下半身だけ海に浸かった彼女は身震いをして「離して」と言った。風は温くても、海水浴にはまだ早い。頼りない腕を掴むおれの手も頼りなかった。 ただの散歩のつもりだった。海に行きたいと彼女が言うから、作業中の手を止めて付き合ったのだ。まさか自殺に付き合わされるとは思わなかった。 「最期は見ていてほしかったから」 「そんな我儘聞きませんよ」 「最期のお願いなのに」 「さいご、というのをよしなさい」 波が彼女に押し寄せる。ぱしゃぱしゃと囀るような音。彼女の長い髪が波に合わせて踊る。「手、離して」まったく、本当に言うことを聞かないひとだ。 おれは手を離した。彼女は笑った気がした。 そのまま、おれもばしゃりと海に飛び込んだ。飛び込みなんて初めてした。案の定、大きな飛沫が上がった。 髪が海水を吸ってとても重くなる。邪魔な前髪を払いながら死にたい女を抱きとめた。 「手は離しました」 お互い、服の重さで身体がもつれそうになる。溺れていることは明白だった。 「やだ、ネズは死なないで」 笑っていた女は途端に泣きそうな顔になる。 「死ぬなら一緒に死にます」 「やだ」 顔半分が海に浸かった状態で喋ると、しこたま海水を飲み込んだ。おれが思いきり咳き込むと、彼女はとうとう泣き出した。そして下手くそな泳ぎで一生懸命おれを連れて陸に戻ろうとする。 「はは」 おれは笑った。 「そっちは沖です」 風のせいでうまく泳げないらしい。どんどん沖に流されるおれたちは、どうしようもなく愚かだった。 散歩のつもりが心中になるなんて誰が想像しただろう。 「ネズが死んだら、誰があたしが生きてたことを覚えてくれるの」 「たくさんいますよ、きっと」 「ネズじゃないと意味ない」 「一緒に死ぬのは不満ですか」 「ネズは死んじゃやだ」 子供みたいに顔をくしゃくしゃにして泣く。泣いている女と笑っているおれの対比が妙におかしい。 ふたりの髪が縺れて絡まり合って、どんどん身体を重くしていく。抱きしめあったまま、おれたちはどんどん沈んでいく。指先の感覚はもうない。ごぼ、と水を吐き出しながら彼女は言った。 「し、にたくない」 ようやく本音が出たところで、波も風も凪いだ。素直な彼女の頭を撫でてやった。 愚かなおれたちは抱き合ったまま、デコイのように漂う。さっきまで立っていた埠頭はいつの間にか小指ほどの大きさになっている。さて、どうしたものか「きっと誰かが見つけてくれますよ」なんて呑気なことを言いながらおれは笑い続ける。 本当はこのまま死んでもよかったのに、なんて。 - - - - - - |