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Hidden Kitten



「ダンデさん、最近帰りが早いですね」
 スタッフが声をかけてきたとき、オレは既に帰る準備をしていた。「そうかな」自分でもそうだと思うが、一応とぼけておいた。
「もしかして……彼女でもできましたか?」
 ひそひそと内緒話でもするように彼は言った。オレは苦笑いして「違うよ」と振り払う。
「ペットを飼い始めたんだ」
「へえ、犬ですか猫ですか?」
「……猫、だよ」
 一瞬躊躇って猫だと答える。犬か猫かと問われれば、きっと猫に違いない。オレにしか分からないが、猫なんだろうあれは。気まぐれでつり目で、いつも丸まっている。
「じゃ、早く帰らないとですね」
 当たり前だが特に不審がられなかった。オレは手を振りさっさと帰路に着いた。
 帰り道は好きだ。あれに会う時間がどんどん近くなるから。反対に、家を出るときは足取りが重い。きちんと監視カメラを仕掛けていても、あれがどんな風に過ごすのか気になって仕方がないから。
 オレがいない間に他の男を招いていたら?
 オレがいない間に出て行ってしまったら?
 そんなことを考えては、数分おきにスマホをチェックする。いつもいつも杞憂に終わってほっとすることを繰り返し、そしてまた明日が不安になる。
 家のドアを開ける瞬間、いつもそれがいなくなってしまったときのことをシミュレーションする。共通の友人などいない、誰に連絡をすればいいのか分からない、それでも探したいとき、どうすればいいのか。
「ただいま」
 シミュレーションはいつも中途半端に終わるのだ。
「おかえりなさい」
 彼女はいつも家にいるから。


 珍しいほどの大雨の日、家の前に彼女はいた。
 ずぶ濡れになっていることも気にせず蹲って、
「行くところないの」
 と全てに絶望したような目でオレを見た。
 だからオレは彼女を抱き上げ家に連れ込んだ。誰でもそうすると思った。
「記憶がないの」
 ホットココアを見つめながらぽつりと彼女は言った。指先と爪先がいやに赤かった。
 だからオレはいつまでもここにいていいと応えた。誰でもそうすると思った。
 年齢は分からなかった。大人びた少女といわればそうにも見えるし、若い老女だといわれても納得する。実際のところ、俺より少し年下か、ずっと年下かのどちらかだ。成人はしているようだった。すらりとした手足に傷はなかった。虐待や暴力の類には襲われていなかったようだ。
「あなたが誰か知らない」
 随分親切にするオレに、戸惑いながら彼女は言った。
 オレのことを知らない人間がいることは新鮮だった。同時に、僥倖でもあった。いつも何某かの視線に晒され、皆の規範たる男を演じなければならないオレには嬉しい存在だった。
「知らなくていいんだ」
 一宿一飯のお礼、というわけではないがその夜オレは彼女を抱いた。初めてでないことはすぐに分かった。きちんと声を上げる彼女に安心して、心ゆくまで抱いた。
 おかしな出会いだったが、彼女との始まりはそういう顛末だ。


 家にいろと強要したことはないが、彼女は家から一歩も出なかった。食べるものはデリバリーでいいし、服も嗜好品も通販でいい。オレの提案に、彼女は同意した。そういうことだ。
 だから「今日どんなことがあった?」と外の話を聴きたがった。オレは少し遅めの夕飯を食べながら話して聴かせる。たぶん分からないこと、覚えていないことだらけで分からないことも多いだろうに、いつもにこやかに相槌を打つ。彼女の前では自然体でいられた。心地よい空間だった。
 初めはそうではなかった。ずっとつまらなそうな顔で食事も満足に摂らず「早く帰りたい」といった旨をぼそぼそと呟いていた。「思い出せたら、あなたに迷惑かけることもないから」とも言った。知らない人間に親切にされることが怖かったのかもしれない。
 オレはそれが許せなくて、ほとんど暴力に近い振る舞いで彼女を制圧した。家主がいつまでもいていいと言っているのだから、帰りたいと思うのはおかしい。オレを知らない人間がいなくなると、またオレは常に周囲を意識したオレにならなければならなくなる。居心地の良い空間を維持するためには、少しは我慢してもらわなければならない。殴ったことはない、はずだ。意識していないだけでもしかしたら殴っているのかもしれない。オレが手を胸より上にあげると彼女はびくりと震える。笑顔を崩さず怯える姿は滑稽で、愛しかった。
「今日、新しい服が届いたよ」
「オレが見つけたやつか?」
「そう」
 出かけもしないのにどんどん新しい服を見繕っては買わせた。
「見せてもらおうか」
 ワンピースに着替えて、いつもオレの前でだけ行われるファッションショー。オレにしか見られない彼女はとても弱々しくて可愛い。春色を纏った仔猫はオレの機嫌を損ねないように一生懸命ニコニコしている。その必死さを気取られていないつもりなのだろうか。愚かだな。愚かで、可愛いな、お前は。
「記憶は?」
 どうせ戻っていないのに、毎晩オレはそうやって問う。
「……なにも」
 彼女は視線を逸らしながら答える。もうこのやりとりを何回したか覚えていない。
「強いショックを与えると記憶が戻ることもあるらしいな」
 椅子を引いて立ち上がる。彼女は一歩後ずさった。暴力を想定しているのだろうか? そんなことするわけないのに。だってお前はオレの可愛いペット。


 ベッドのうえで可愛がられながら、彼女は泣く。
 ごめんなさいと言いながら泣く。誰に謝っているのか知らないけれど、特に不快でもないので気にしたことはない。
 あのダンデが女の首を絞めないと興奮しないと知られたら世間はどんな反応をするだろうか。もしかして謝ればこの行為を止めてもらえると思っているのか? やっぱり愚かだな、お前は。
「ぅ、あ、くるし、」
 苦しいと彼女が主張するたびになかが締まって気持ちがいい。だらりと涎が垂れて、シーツに沁みた。行儀が悪い。あとでお仕置きしないと。
 ぐちゅぐちゅと音を立てる粘膜の触れ合い、どんどん力が入るオレの手のひら。柔い喉仏を握りつぶしてしまわないように、丁寧に力を込める。
「あっ、あ、」
 こんなに可愛いペット、手放せるわけがない。他の女はいらない。
 庇護欲と支配欲が満たされるこの瞬間、オレは射精する。オレたちの間に隔たりはなかった。
 もしかしたらあの日、オレの家の前で蹲ってしまったのはお前にとっては不幸だったのかもしれないな、猫。でももう遅いんだよ、オレはお前を絶対に手放さないし、誰にも見せないから。一生、オレの顔だけ見て過ごすんだよ、猫。

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