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ノゾミのなくならない世界



 遠くで輝くあなたが眩しい。大勢の希望をのせてステージで煌めくあなたはおよそ同じ人間とは思えないくらい神々しかった。

 初めて音源を聴いたとき、身体がふたつになりそうなほどショックを受けたのを覚えている。このひときっとわたしを知ってる。そう思ったくらい衝撃的な歌詞を書くひとだった。その頃のわたしはこの世に絶望していて、できるだけ身体に悪いことをしている情けない人間で、安易に励まそうとする音楽がうるさくて、耳が聞こえなくなればいいと考えていた。未来は明るいだの夢は叶えてこそだの、うるさいうるさい。せめてもの攻撃として、わたしはいつも可愛い服を着るようにしていた。可愛さだけがわたしを守ってくれると思っていた。
 そこに現れたのが救世主のネズだった。表向きは愛やら恋やら歌っておきながら、ほんとうは寂しがりやで劣等感があることを隠そうとしない。世界に見捨てられて明日が来なければいいと思っていたわたしに寄り添う歌を作っていた。なにが希望だクソくらえ。簡単に歌われる〈君を愛してる〉なんかより、ネズが一度囁く〈この世は、ほんとは全部嘘なんだ〉の方が突き刺さる。わたしの胸の奥深くをチクチクとつついて、夜な夜な寝不足にしてくれた。
 わたしはそれからネズの音源、映像をすべて集めるようになり、爆発しそうな自意識を音楽で発散するようになる。
 それは殆ど宗教だった。いまならそう思う。

 誰にも見えない女の子が死んだよ。おれにだけは見えていたけど。その子は不必要にヒラヒラがついた服を着ていた。あんなに目立っていたのに、誰にも見えていなかった。だから死んだよ。誰かに愛されたかったんだよ。おれは愛していたのに、彼女からは見えなかったみたいだ。

 初めてその歌詞を見たときに、震えが止まらなかった。このひとわたしを知ってる。このひとわたしを分かってる。会いにいかなきゃ。どうしても。
 だからもちろんライブには何度も何度も通った。日帰りできるなら少し遠くまで行ったし、私設応援団に負けないくらい最前でネズの声を浴びた。何度も名前を叫んだ。何度も何度も何度も。本当に、彼は神々しかった。彼が見えることが誇らしくて、嬉しかった。そしてこうも思っていた。ネズにはわたしは見えない、と。だってあんなに大勢いるから、わたしなんて透明な女なのだ。でもそれでいい。神様に人間なんて見えない方がいい。この世の全ては嘘だけど、いまここにいる神様だけは本物。
 だからあのとき、心臓が止まるかと思った。
 ライブ終わり、よれよれで電車を待っているとき。物販で買い漁ったTシャツなんかをむりやりバッグに詰めながら今日も神様だったなあ、なんて悦に浸っていたとき。腕が疲れたなあ、足も疲れたなあ。普段は使わないベンチに座り込んで靴紐なんかを直す。
 ざ、と足音。見覚えのある靴だった。
「あ」
 その足元は、
「え、ね、ネズ、さん?」
「……あ、どうもです」
 まさに神様がそこにいた。パニック。心臓が止まった。比喩でなく。「あ、あの、あのえっと、あ、今日もライブ行きました」自分でもなにをいっているか分からない。動けないからわたしは座ったまま。ネズはいつもの猫背でわたしの前に立っている。
「えと、あの、知ってます」
 神様はまた口を開いた。
「いつも、来てくれますよね」
 またパニック。やばい。やばい。どうしよう。逃げたい。神様がわたしだけに話してる。
「出待ちとかしてないなって。気になってて」
 ネズはもごもごと口のなかでなにかを言った。よければ連絡先を教えてもらえませんか。みたいな。そんなことってある?
「え、あ、あはは」
 スマホをかざして、普段使っているアプリの連絡先を交換した。これはわたしの意思じゃなく、ほとんど脊髄反射。連絡先が登録されたことを確認して、わたしは適当なことを言ってその場から逃げ出した。駅では走らないでください、と注意を受けたが知ったこっちゃない。
 気がつくと帰路についていた。
 どきどきしている。
 神がわたしに話しかけた。わたしのことを知っていた。わたしの連絡先を。どうしよう。これを伝えられる誰かもいない。ああほんとうに、わたしは「見えない女の子」になってしまったのだ。
 一度死んだ女の子は、蘇ってはならない。
 わたしは震える指でさっき交換したばかりの連絡先をブロックする。死なせたままでいさせて。あなたのなにかになりたくない。あなたには見えない女の子でいたい。神様、どうしてわたしに声をかけたのですか。
 家に帰ると音源が山積みになっている。
 いま、帰りたくないなあ。いやが応にも、ネズが視界に入るんだもの。
 ちょっとだけ迷って、少し前に繋がった男に連絡を入れた。
〈いまからいっていいですか?〉
 まめな男で、すぐにレスが返ってくる。
〈待ってる!〉
 翻ってまっすぐにその男――キバナの元へ急ぐ。なにで繋がったんだか忘れちゃった。たぶんなにかのSNSだ。
「メンヘラちゃん! 久しぶり!」
 ドアを開けてくれたのはアイコンと全く変わらない精悍な顔つきの男。あまりすきではない顔。きっとわたしは不機嫌な顔をしている。それなのに向こうは昨日会ったばかりみたいな笑顔でわたしを迎える。
「ライブ帰りだから、シャワー浴びさせて」
「えー、そのままでいいのに、オレ様そのにおいだーいすき」
 抱きすくめられて少し足が浮いたままベッドルームに運ばれる。これからのわたしはさっきまでのわたしとは違う人間になるのだ。
 見えない女はまた汚れた女になる。
 もうライブ二度と行かないな、とキバナに抱かれながら強く思った。

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