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まっくらやみ



 もっと大事にすればよかった、なんて。
 いまさら悔やんでも遅いことに苛まれる。
 きっと大事にされていたか否かにかかわらず彼女は身を投げただろう。そう分かっていても後悔してやまない。
「ありがとうございました」
 お前、気付いていましたか。拙い字でたくさん書いたありがとうの言葉が全て過去形だったことに。愚かなおれは「なんとなくおかしいな」と思っただけで深く考えていませんでした。薬の飲み忘れか、それに類するミスで感情がおかしくなっているだけだと思っていました。いつも通り。
 だけ、じゃなかったんですね、お前の世界では。
「ありがとう」
 最後にそういって笑いながら去って行ったのは優しさですか、それとも呪いですか。
 春の風、暖かな匂い、おれの世界はいつも通りだったのに。
 彼女だったものが発見されたときもおれはいつも通りギターを弾いていた。悪質なジョークだと一蹴できればよかったのに。
 部屋着のまま慌てて病院に着いた頃にはもうなにもかも終わっていた。「見ない方が」と制された彼女だったものは頭に白い布を被せられていた。
 消毒液の匂い、白いシーツ、慌ただしく動き回る医者、なあお前、最期がこんな世界でよかったんですか。途中でどんな景色を見ましたか。教えてくださいよ。世界は美しいだなんて綺麗事を言うつもりはない。ないけれど、お前が思うよりよほど生きやすいものだと思います。おれがいれば。
 そう、おれがあのとき追い返してしまったのがいけなかったんですね。
 もしかしたらあの過去形に気付いたときに止められていたかもしれないのに。
 もしかしたら急な感謝の言葉に戸惑ってその意図を問い詰めて止められたかもしれないのに。
 もしかしたら、もしかしたら。
「ありがとう」
 やはりあれは優しさで、呪いだったのだ。もう一生見られないあの笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。離さない。絶対に離しはしない。
 病院の外は春だった。遠くで誰かが誰かを呼ぶ声、知らない花が咲いていて、知らない虫が飛んでいる。なぁ、お前、世界は案外綺麗なものですよ。最期にそれを伝えればよかった。

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