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まっさかさま



 そうだ死のうと決めてからは早かった。
 ママの朝ごはん、パパの寝起き、春の風、全てが最後だから新鮮に思えた。
「ありがとう」
 わたしは感謝の言葉を言って回った。お世話になったと思えるひとたちに直接会って、それが無理ならメッセージで伝えた。
「急に?」
「こちらこそいつもありがとうございます」
「どういたしまして」
 みんなの反応は様々だった。どうあれ喜んでもらえているようだった。わたしは素直じゃないから、誰かにお礼を言ったなんて初めてかもしれない。
 訝しんだのはひとりだけ。
 恋人のネズさんだけだった。
「お前、なんかおかしいですよ」
 彼には直接、たくさんのありがとうを伝えた。書ききれなかったメモを手にたくさんの感謝を伝えようとしたけど、そんな言葉に遮られる。
「たくさんお世話になったから」
 知らず知らずのうち、そんな過去形を使う自分がいた。
「だからありがとう」
「……熱でもありますか?」
「ううん、元気」
「とにかく、おかしいのでそんな言葉はいまは受け取りません。一昨日来やがってください」
 そうやっていつもの優しいキスをひとつ。
 寂しいな、だけど、決めたことだから。
「ありがとう」
 最後にキスのお礼を言って、わたしはお家に帰った。本当に、最後だった。


 遠くの人混み、なにかの鳴き声、春の風、橋の上、わたしひとり。一歩踏み進めればもうこの世とはお別れ。下に人がいないことを確かめて、わたしは重力と手を繋ぐ。
 ああ、春の風だけじゃない、暖かな匂い。緩やかに流れる川のせせらぎ、遠くで誰かが誰かを呼ぶ声、空の青さ、雲の流れる様子。
 この世界ってとても綺麗だったんだね。
 ねぇ、ネズ、もし後悔があるとすれば、この美しさをあなたに伝えられなかったことかな。
 キスをありがとう。愛してくれてありがとう。
 とても綺麗な世界のなかで、最期にあなたを思い出せて幸せです。

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