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いくじなし



 僕の姉さんは美しかったが若くして死んだ。姉はフェティシストで、気が狂っていた。空模様の機嫌が悪い日には、猫を抱いて近所をうろつき回った。自死だった。発見されたときには狭いバスルームで真っ赤な湯船に浸かっていた。その様子はまるで一枚の絵画のようだったという。
 姉さんの葬儀の夜、恋人だと名乗る男が僕のもとにやってきた。友人の兄だった。ミュージシャンをしているという。彼はこの世のすべてに絶望したような顔をしていた。彼は言った。姉さんとは結婚するつもりだったと。「君のお姉さんとは理解し合っていました」やがて彼は大粒の涙を流し始めた。僕の手をとって泣く姿はミュージシャンには見えなくて、その冷たい手がちょっと嫌だなぁと僕は思ったのだった。気が狂っていた姉と結婚しようとする男なんて、同じように気が狂っているに違いなかった。友人も殆ど会ったこともない姉のために泣いていた。僕はぼーっとしていた。
 それからしばらくして彼は僕の家に遊びに来るようになった。遊びに来るというのは言い訳で、日がな姉さんの部屋で姉さんのギターを弾いているのであった。彼の名はネズというそうだ。一部では熱狂的な人気があるらしく、たまに見も知らぬ女が家の周りに来ていて、とても嫌だった。ネズは気にしていないようだった。僕は姉さんの部屋に毎日紅茶を運んだ。「お構いなく」などと言いつつ、彼は紅茶を啜った。少し照れた笑みを浮かべていた。
 その日もネズはギターを弾きにやって来た。照れた笑いで紅茶を受け取ったあと、ふいに真顔になって僕に言った。
「あいつは幸せだったでしょうか」
 姉さんの部屋には幻想的な小説や画集が溢れていて、それを幸せそうに眺めていたことは覚えている。ただ、それがいわゆる普通の幸せかどうか、僕には分からなかった。僕は曖昧に頷いた。
「君、楽器はやりますか」
 ネズは僕に訊いた。姉さんの影響でギターならできますと答えた。すると彼は「おれとバンドを組みましょう」と言った。理屈は分からなかったが、僕はまた曖昧に頷いた。僕も気が狂っていたのかもしれない。彼は握手のために手を出した。僕はその冷たい手を握って、やっぱりちょっと嫌だなぁと思ったのだった。
 友人はバンドの話を聞いて驚いたようだった。一匹狼の兄がそんなことを言い出すとは思わなかったらしい。僕はただぼんやりと、少しでも姉さんの名残を手元に置いておきたいのかなぁと考えていた。ネズは姉さんを本当に愛していたようで、酒が入るといつも思い出話をした。
「君の姉さんとはライブハウスで知り合いました。黒い服と包帯が似合っていて、おれ達は一目で恋に落ちました。あいつはおれの音楽をとても好んでくれました。よくギターを教えましたよ。物覚えが悪かったけれど、可愛かった。あいつは猫も好きでしたね。おれと会うときはいつも黒猫を抱いていて、そいつは手足だけ白いんです。テブクロと呼んでいました。テブクロにギターを聴かせるとき、本当に幸せそうな顔をしていました。夕暮れ時、君の姉さんの横顔はとても美しくて、おれはいつも見惚れたものです。テブクロはあいつの言うことだけを聞いていました。テブクロはいま、どこにいるんでしょうね」
 僕の知らない姉さんの話を聞くのは楽しかった。テブクロの行方は誰も知らなかった。
 結局僕達はおままごとのようなバンドを始めた。僕は姉さんが死んだ場所にいたくなくて、積極的にネズの街に行った。そこは知らない人ばかりで居心地が良かった。姉さんの好きそうな街だった。
 元から人気のあったネズのお陰でバンドは瞬く間に有名になった。僕はいろんなライブハウスに行くたびに、姉さんとネズはどこで知り合ったのだろうと思った。正解をネズに聞くことはなかった。ネズはあれから姉さんのためだけに曲を作るようになった。死んだ恋人を想う曲は人々の涙を誘った。姉さんが生きていた証が市井に刻まれるのはいい気分だった。僕は薄ら笑いを浮かべてギターを弾いた。姉さんが遺したギターだった。
 そんなある日、僕はライブ帰りにライブハウスの裏でうずくまる女の人を見た。手首が真っ赤だった。心なしか姉さんに似ていて気にはなったが、通り過ぎてしまった。次の日、血の跡を残して女の人はいなくなっていた。その話をするとネズは僕を殴った。
「あいつだったかもしれないのに、どうして無視したんですか」
 ネズは完全に気が狂っていた。僕を意気地なしと怒鳴り、もういない女の人を探しに外へ飛び出した。それをぼんやり見ながら、姉さんとネズが出会ったのはあのライブハウスだったんだなと思った。ネズはなかなか帰ってこなかった。心配した友人が泣きながら電話してきたが僕にはどうすることもできなかった。姉さんが死んだ時のように。
 それから僕と彼は言葉もなく解散した。姉さんのことばかり歌い続けるネズが怖くなったのだった。それは殆ど執着だった。
「君の姉さんのことはとてもいい思い出でした」
 などと言いながら、彼の中ではまだ思い出になりきっていない美しい姉の面影をかき消すため、僕はギターをやめてしまった。ただ僕は気が狂ったふたりは幸福だと思う。誰にバカにされようとも、そのままでいてほしい。ネズにそう話しかけた。彼は聞いていないようだった。
 しかしその後、ネズは姉と同じ方法で自殺した。発見した友人は二度と赤い服が着られなくなったという。
 ネズもまた意気地なしだった。

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