目を覚ますとキバナがわたしを覗き込んでいた。「おー起きた」まだ頭がくらくらする。殴られたような衝撃があった。じんとする後頭部をさすりながら身体を起こす。いつの間にか服を着させられていた。 「ショックだったか、ごめんな」 「……当たり前、でしょ」 ちっとも悪びれない彼は相変わらず。 ああ悔しい、悔しい、どうしても悔しい。わたしは他の人間とは違うのに、なぜこの男にこんなに振り回されなければならないのだろう。こいつもこいつで、どうしてわたしに執着するのか。クソくらえ。死ね。感情が垂れ流しになる。涙こそ出ないがわたしは泣いているようだった。 「大丈夫、特に気にしてないみたいだったぜ」 俯くわたしにペットボトルの水を差し出し、キバナは言った。 「オマエの泣き顔初めて見た、っつってた。そんだけ」 キバナはそのままベッドに腰掛ける。ギィ、とスプリングが軋む。わたしは僅かに身を引いた。 「なにもしねぇよ」 散々好きにしておいてそんな台詞。 「今日は帰りな」 ぽん、とわたしの頭を撫でて、キバナは呟いた。ペットボルトは蓋を開けられないまま手渡された。 わたしは家路につく途中、それを捨てた。 それで。 ネズと連絡をとらなくなって2ヶ月。頭の悪いわたしはキバナの家にいた。セックスして、キスマークだらけになって、それからひっそり泣いた。もう脅迫されていないのに(初めからされてないけれど)、なぜかここに来ている。 キバナのセックスは我儘で衝動的だ。ネズと大違いのそれを、わたしはただ受け入れる。最近のキバナはなにかを求めているようだったが、無視した。愛なんてないから。嘘でも囁きたくない。 わたしは馬鹿だけど、底抜けの馬鹿じゃない。キバナがわたしに情が沸き始めていることは明らかだった。衝動的ななかにも甘さがあって、ときには恋人のように優しいキスをくれた。写真の件なんてなかったかのように。どろどろに溶けてしまうキスをしながらわたしたちは繋がり合う。わたしが本来ネズに求めていたものを、いまのキバナはくれた。それが余計に虚しくて、洗っても消えないキスマークを擦りながらわたしはため息をつく。吐息と一緒に嫌な気持ちも吐き出すみたいに。 家に帰るとひたすらスマホを見て過ごした。ネズへのメッセージを送ろうとして、すぐに削除する。もやもやしていた。 特に気にしてないみたいだったぜ。 キバナの言葉が引っかかる。 あんな酷い画像をみて、気にしないはずがない、と思うけど。人間嫌いのネズだから、本当に気にしてない可能性の方が高い。結局、わたしだって他の人間と同じなんだ。便利だから抱いてくれただけで、そこになんの感情もなかった。それだけ。好きなのはわたしだけ。初めから分かっていた。 泣いたら、嫌うでしょ。 人間嫌いのネズだから。 わたしのことを愛さないのは自由だけど、嫌いになって欲しくない。ああわたしもキバナと同じで我儘。 ベッドのなかで胎児のように身体を丸める。真っ暗な部屋、スマホの明かりだけが煌々と照らした。 2ヶ月前のあの時、ネズはなにを考えながらわたしを抱いたのだろう。あの昏い目はなにを見ていたんだろう。ここままフェードアウトして、二度とわたしと会わないつもりだろうか。 愛に必死なわたしは、いま、世界でいちばん哀れ。 会いたい、と指先がネズに話しかけようとする。理性がそれをデリートした。その夜わたしはアルコールでもやもやをかき消して寝た。 「オレ、ネズが嫌いなんだよ」 ある日キバナはわたしを抱きながら吐き捨てるように言った。 「涼しい顔してオレより上を行きやがる。負けても勝っても表情を変えない。嫌いなんだよ。人間らしくなくて。だからオマエだけでもオレのものにしたかった。最初はそのつもりだったけど、」 首筋に顔を埋めて、彼は続ける。 「オレ、オマエのこと好きかもしんねぇ。だってオマエちゃんと泣くし、怒るし、面白いんだよ」 わたしは返事をしない。 「わかんねぇ。オレ、自分が分からなくなってきた。嫌がらせのつもりだったのに、マジになっちまったみたいで、だから、」 愛だった、それは。 キバナからの愛にわたしは戸惑う。なぜならそれはとても暖かくて、優しかったから。あんなことをしたくせに、いまわたしを抱く身体は柔らかい。少し震えているようだった。 そうか、これが愛なんだ。まだわたしには難しいけど、 「だから、アイツが遊びなら、オレと」 わたしは、 「わたしは、」 ――ネズに愛されたい。 愛されたい、きちんと。 3ヶ月経った頃。 ネズから特に連絡はなかった。ライブの日程だけは出ていたのでいつも通り一桁を取ってその日を待つ。そして変わらずキバナの家にいた。最近では毎日来ている。わたしは明らかに寂しがりやだった。わたしを愛してくれている男に抱かれるのはとても快くて。 「ごめんな」 抱くたびにキバナは謝った。あの日のことを。それから、あの日のことに返事をしないわたしを急かすように身体中に所有痕をつけた。なんの感情もなかった。 「オレ、自分勝手だよな、ごめんな、本当に」 分かってんじゃん。 抱かれることは気持ち良くても、愛を露骨に向けられることは我慢ならない。わたしはできるだけキバナに冷たく接した。寂しがりやのくせに、利己的だった。 きっとネズから見たわたしって、こうなんだ。愛に必死で、言葉にしないけれど見返りを求めていて。そう思うと必死になるキバナは可哀想で、可愛かった。わたしの気持ちが向くことはないけれど。 枕元に置いていたスマホがメッセージの受信を告げる。縋り付くキバナを振り払ってディスプレイを確認する。ネズから短いメッセージが入っていた。 〈次のライブ後、会えません〉 たった一行。 それだけでわたしを絶望させるネズは、とにかくわたしの全てだった。 - - - - - - |