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プラスチック・ニジンスキー



 ああ、これ、死ぬんじゃないか。
 酸素を求めて自然と口が開く。すう、と息を吸うより早く、そいつは唇に噛み付いてきた。ん、ん、とどちらのものともつかない嘆息に耳がびりびりする。
粘着質な吐息と一緒に唇が離れていった。自分の唇の端から唾液が垂れたのが分かる。首の周りがひどく熱い。ぐうっと一層の圧迫感。喉の奥で潰れた声がした。
 おれのうえに跨った女は腰を緩く動かしながら問う。
「ね、いま、苦しいですか」
 笑顔で訊かれても、くるしいくるしい、すごくくるしい、笑って応えられるほど余裕はなかった。く、くらいは発音できる。くる、まで言おうとすると喉仏を絞めつける親指が甚く邪魔で篭ってしまう。
「わたし、すごくうれしいです」
 そいつ(ああ、ええと、名前なんだっけ、頭がぼんやりしていて出てこない、)は真っ赤な顔で、恥ずかしそうにそうやって告白した。長い前髪から覗く眼がじくじくと潤んでいて、まるで泣いているみたいな顔だ。そいつ(こいつのこと、何て呼んでたかな、)の腐った果実みたいに甘ったるい声は血液中を滑るみたいにおれの身体いっぱいに拡がる。
 馬乗りになった女に首を絞められていると理解できたのは三度目の呼吸に失敗してから。だって、さっきから脳がぎしぎしするんだ、ひどく。自分のものじゃないみたいな両腕を必死で動かして彼女の手首を引き剥がそうと情けない努力をしてみた。いつもなら勝てるはずのその勝負に負けてしまったのは、たぶん酸素が足りないから。
「わあ、ああ、どうしちゃったんですか、女の子みたいな力でしたよ」
 却って喜ばせてしまったようで、さらに上ずった声が聞こえた。その取り留めない気持ち悪さに、処女のように身じろぎしてしまう。どうして彼女の頬が紅潮していて、声が上ずっているのか、どうしてそうなるのかは勿論知っている。知っているからこその居心地の悪さに、酸素不足と相まって、胃液がせり上がってきた。
 は、と口を開いたら、だらだらと胃液が零れた。痛い、痛い、喉がいたい。もう何もかもめちゃくちゃのようだ。彼女が袖で拭ってくれたけど、ありがたさは感じなかった。
「うう、服が汚れちゃったなあ、どうしよう、ふふ」
 首にまとわりついている手首は、一つっきりになっていた。それでも力の加減が変わっていないので、どうやら状況を覆すことは叶わないらしい。
「息、したい?」
 したい、です。
「くるしい?」
 うん、(たぶんさっきもそれをきかれたけど)、くるしい。
「わたしのこと、すき?」
 黒のサテン生地みたいな眼が、キラキラした何かを散らしたように輝いていた。悦と、期待と、狂気的なキラキラだった。
「わたしのことすき? わたし、かわいい? わたし、すごい? ねえ、ねえ、わたしのこと、すきですか?」
 たぶんすき、です。
「わたしと手つなげる? わたしのこと、抱きしめられる? ねえ、ねえ、わたしと」
 湿った掌が、ぐいぐいと喉仏を押し潰す。乗っかっている身体も乱暴に揺れて、腰の骨が大きく軋んだ。
 苦しくて辛くてとうとう眼から水が溢れてしまった。視界が滲んで、今から自分を(おそらく、)殺そうとしている人間の姿が確認できなくなる。抵抗を諦めた両手が、身体の横に滑り落ちた。
「ああ、ねえ、苦しそう、苦しそうですね、すごく、いい顔をしてる、わたし、」
 単調に声を洩らしながら、顔をぐっと近づけてきた。熱い舌が伸びて、眼球を叩いた。あまりの恐怖に、今度こそ、潰れた蛙のような声が出た。
「すごい、すき、それ、すき」
 高揚した声。もしかすると、これは、すごく、マズいことなのではないか。
「すき、すき、」
 ああ、これ、死ぬんじゃないか。
 幻聴だったかもしれない。とにかく、身体のどこかがぐしゃりと潰れたような音がした。ぷつんと操り人形の糸が切れたように、両足両腕の一切が動かなくなった。すき、すき、すき、なんて、ずっと耳元で聞こえているけど、何も反応ができない。
 たぶん、それと殆ど同時に、俺の上で、そいつは気を遣った。彼女が仰け反って大きく喘いだ瞬間が、たぶんその時。首から手を離してくれないものだから、おれがぐったりとなるのが目的だったようだ。
「はあ、はああ、つかれた、」
 はにかみながら独りごちるそいつ(あれ、こいつの名前なんだっけ、ていうか、誰だっけ、わからない、さっきまで知ってたような、気が、したのに)は、確かに可愛かった。

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