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スイートバツバツバツ



 学生時代の友人と数年ぶりに会う。当時は「なんだか困ったことになったなぁ」という風な顔をずっとしている控えめで不思議な子で、それでも可愛かったことだけは覚えていた。数年ぶりの再会の理由は仕事。わたしは雑誌の編集をやっており、とある人物の特集を組みたいと話したら「あの子マネージャーだっけ、みたいなことやってるよ」と別の子に教えてもらったのがきっかけだ。思わぬ繋がりにわたしは大喜びして早速アポを取り付けた。脳裏には「困ったことになったなぁ」と笑うあの子がいた。
 翌週、強い風が吹く駅構内でわたしたちは再会した。わたしは驚く。「困ったことになったなぁ」の表情は変わらないまま、それでも彼女はずいぶんおかしなことになっていた。夏なのに重たい半袖を着て、耳には一分の隙もなくピアス、綺麗な黒髪は名残もなかった。
「久しぶりだね」
 笑う彼女の舌には銀のピアス。
「びっくりしたでしょ」
 わたしの言葉を先回りして、やっぱり笑う。薔薇の花が咲いたみたいな笑顔は可愛くて、なんだろう、母性本能とは別のなにかがくすぐられた。
「いや……可愛いね」
「ありがとう。どっかカフェ入ろうか」
 わたしがなんとか応えた褒め言葉をいなして、彼女はスマホで地図をチェックし始める。こんなに背が低かっただろうか。耳元を見ながらぼんやり思った。そして可愛いな、とまた思う。こっちの方が本物だったんだ。学生時代の控えめな娘はもういないようだった。

「編集やってるんだって? いいなあ、かっこいい。眠れないってほんと?」
「大したことないよ。なんとなくやってるだけだから。まぁ、大変だけどね……眠れないし」
 ふたりともお揃いでストロベリーアイスを頼んだ。暑かったから。
「でね、いきなり本題で申し訳ないんだけど、ダンデさんの特集組みたいの。そういう取材って受けてくれるのかな?」
「公式的に問い合わせてくれたら内容次第では受けるよ。というか、100%やるかな。あいつすごくそういうの好きだし。プライベートなこと聞かないならオーケーすると思う。結婚とか興味ないでしょ?」
「ない、ない。仕事だけ。いつ頃、どれくらいの時間なら受けてもらえそうかな」
「うーん、待ってね」
 彼女はシンプルな黒の鞄から手帳を取り出した。その指先はこれもまた意外にもシンプルなネイル。
「今月は厳しいかもしれないなぁ、遠征が多いから。来月、どこかで2時間くらいなら取れるかもよ」
「ありがとう! 助かる!」
 めちゃくちゃな見た目とは裏腹に、しっかり仕事の会話ができる子だった。「もちろんこの会話はオフレコね」唇に人差し指をあてる仕草には、少しだけ昔の面影がある。
「ありがたいよ。ところで、なにしてるの? マネージャー?」
 ダンデにマネージャーなんているのかな、と思いながら。
「わたし? あはは、なにもしてないよ」
「事務所スタッフ?」
「ううん、働いてない」
 予想外の返事に、言葉に詰まる。いままでの会話はなんだったんだ? わたしの間抜けな顔を見て彼女は思いきり吹き出した。
「なにその顔」
 口元に添えられる指先には不釣り合いな大きい指輪。
「マネージャーって教えてもらってたから」
「あー、あの子には適当なこと言ってるんだよね。そんなに仲良くないし」
 メロンソーダのなかの氷をからからと音立て、彼女はニコニコ笑う。わたしは情報が整理できていなくて表情が凍りついてるはずだ。
 彼女は「困ったことになったなぁ」の顔をした。
「わたしね、あなたのことはなんとなく信用できるから教えてあげる。学生のとき、あなただけはわたしを理解してくれてたから」
「……うん」
「要するに色んな男と寝て、家を行ったり来たりして、それで生活してるだけ」
 シンプルで、それでいて破壊力のある台詞に脳がパンクしかける。
「それってつまりダンデさんも」
「そだよ。いちばん経済力あるから、重宝してるの。だからスケジュールも把握してる」
「……恋人じゃないの?」
「向こうがどう思ってるかは知らないけど、わたしはそのつもりないよ」
「色んな男、って?」
 あの頃の彼女からは想像もできない言葉の数々に、わたしのなかで猫が死ぬ。好奇心が先行して色んなことを聞いてみたくなった。なんとなく信用されている理由は分からないが、ともかく、それは嬉しいことだった。
 彼女は瞬きする。長い睫毛。
「そんなにいないけどね。キバナ、ネズ、マクワ辺りは知ってるでしょ」
「知ってるもなにも、」
 うちの雑誌で連載を持ってくれているメンバーだ。「カブさんは一度だけ。なんか罪悪感あったからやめちゃった」その人も。「ヤローさんは申し訳ないから手を出してない」常識的に許されないからしないけれど、大声をあげて驚きたくなった。「……そうなんだ」大人なので一言で受け止める。そして好奇心がまたそわそわし始める。
「どこから聞きたい?」
 指折り数える仕草を止め、彼女はそう訊いた。
「まず、ダンデさんってどんな人?」
 だからわたしも素直に一から順に訊くことにした。
「うーん……めんどくさい」
 一言で説明するとそうなるらしい。彼女はセックスしかしないから主にその辺りの話になった。メロンソーダはなくなりかけていた。
「こんなこと言ってあいつの仕事なくならないかな? あなたが誰かに言わなけりゃいいんだけど。まぁいいや。ダンデはすっごくめんどくさい。お金をたくさん使ってくれるのはいいんだけど、見返りをすごく求めてくるの。セックスなんだけどね。他の人にはできないことをたくさんする。手錠つけられることなんか日常茶飯事だよ。それで動画撮って喜んでる」
 思ったより生々しい話にわたしは相槌も打てない。でも身体は正直で前のめり。
「監禁されかけたこともあったなぁ。笑っちゃうよ、君の可愛さはオレにしか分からない、とか言うんだ。そんなことないのにね。あ、だから向こうも恋人とは思ってないかもね。なんか、ねちっこいんだよねダンデ。世界中で愛されてるのに、ちょっとバグってる」
 からん、氷のぶつかる音。
「扱いにくいよ、ダンデは。仕事ではきちんとする人なんだけど、わたし相手だとおかしくなる。そんな感じかな。説明って難しいや。なんかごめんね」
 すらすら話す彼女の表情には愛が一片も見えなかった。
「えーと、キバナさんは……?」
「なんかわたしの取材みたいだね」
 困っちゃったなぁ、の顔。
「キバナは女遊びたくさんしてるから遊びやすい。身体の相性もいいし。ねぇ煙草吸っていい? あ、ここ禁煙なんだ。じゃあいい。なんだっけ、あ、そうだキバナね。身体の相性以外は最悪だよ。わたしあんなに陽気な人間苦手だし。あとね、すごく自分勝手なセックスするんだ、あいつ。ガタイいいでしょ、あれが急に襲いかかってくるの、怖いんだよね」
「それはなんとなくわかるかも」
「でしょ? イメージ通りだよ。世間的なイメージと違うのは……暴力的なところ、かな。殴るとかってわけじゃないよ、すっごく噛むし力の加減ができないやつだから痣とかたくさん出来ちゃう」
 彼女の白い身体を想像して変な気持ちになったがそれをすぐに追いやる。わたしはなにを考えてるんだ。温くなったコーヒーを僅かに啜る。
「えーと、キバナはそんな感じ。割とイメージ通りでしょ? イイお兄さんキャラだけど自分勝手なんだよ。あいつに会ったらしばらく他の人とは会えない。でも家にいつまでもいていいし、それは便利だなぁ。わたしね、いまトランクひとつで家転々としてるから」
「めちゃくちゃな生活してるんだね」
「えへへ」
 褒めたわけじゃなかったけど、なぜか彼女は照れ笑いした。
「ネズはね、わたし、いちばん好き。もともとファンだったの。たぶんネズは恋人同士だと思ってるよ」
「……わたし、ネズさん苦手なんだよね。なに考えてるか全然分からなくて、お仕事で会うときも緊張しちゃう」
「向こうも自分とわたし以外の人間苦手だから、それでいいと思う。でもね、ふたりになると可愛いんだよ。すごく優しいセックスだし、終わってからも絶対ぎゅっとして寝る。幸せが形になるならこんな感じかなーって。ライブ中も絶対にわたしの方見てるんだよ。あ、これただの惚気だね」
 困っちゃったなぁ。
「でもわたし恋人とかわかんないから、身体だけでいい。一度だけど植物園に行ったけど、なに話したらいいか分かんなかったし。それならライブに行く方がいい。ライブ中のネズ見たことある? この世でいちばんかっこいいよ。そのあとのセックスは乱暴で、それも最高なの」
 彼女の目はキラキラしている。恋をしている目だった。話から察するに、ステージ上のネズさんに恋をしているのだろう。
「あ、ねぇ、マクワさんって未成年じゃない?」
 急に思い出したので慌てて小声で伝えた。さっき名前を挙げていたはずだ。
「ううん、ギリギリ合法だよ」
 煙草が恋しいのか、ストローを噛みながら彼女は答える。「さすがに未成年に手出しちゃダメでしょ」結構ダメなことをしているくせに、変なところは常識がある。
「マクワはね、ダンデとは別のめんどくささがある。一度寝ただけで彼氏ヅラして、付き合う気はないって言ったら泣いちゃったよ。好きです好きですって縋り付いてくるからもうしんどくて。でも新鮮だからやっちゃうんだけど」
「……最低だね」
 思わず笑ってしまった。ここまで聞かされると清々しい気分だ。
「だってほんとに、やってるときも好きですってずっと言ってるんだよ。そんな男いる?」
「いない、いない」
「ね。若いなーと思って、なんか楽しくなっちゃうんだよ。あと若いからスタミナがある。すごく元気。下手くそだけどそれは教えてあげればいいかな、みたいな感じ。セックス自体はノーマルだよ」
 昨日お仕事を一緒にさせてもらったメロンさんを思い出す。あの親子は本当に似ている。
「あとお仕事に真摯だよ、マクワ。可愛がってあげてね」
 お姉さんみたいなことを言って、彼女は微笑んだ。
「そんな感じ。いまはキバナの家に住んでる。飽きたらネズのとこに行くよ。全員のスケジュール把握してるから、なんかあったら聞いてね。あなたなら歓迎するから。たまにわたしの話も聞いて」
「ねぇ」
「うん?」
「どうしてわたしに教えてくれるの?」
 かつん。アイスを掬おうとしたスプーンが食器に当たって大きな音を立てた。アイスはすっかり溶けていた。
「だってあなた、学生のときからわたしのこと可愛いって認めてくれてたでしょ」
「え、」
「わたし、愛に敏感だから。愛されるために生きてるから。そういうのすぐ気づくんだよ」
 ああ、だから。
「あいつらわたしの身体を愛してくれるから。可愛いって認めてくれるから」
 困っちゃったなぁ、なんて笑う。
 わたしは彼女の傷だらけの身体を想像して、なにも載っていないスプーンを口に運んだ。妙な甘さだけがあった。

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