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秘密 -7-

 自分の中で処理しきれない感情が、渦を巻いてどんどんふくらんでトキヤのうすい胸を圧迫してゆく。気付きたくなかった、ハヤトと自分の立場の違いになんて。もし自分たちが兄弟でなければ、とっくに彼の視界から消えていた存在だったのかと思うと胸が苦しくて、ぎゅっと瞑った瞼を彩る長い睫毛は、知らず滲んだ涙で濡れてしまっていた。



「ただいま〜」

 付けっぱなしのテレビが歌番組からドラマに変わっても、トキヤは自分の膝に埋めた顔を上げられずにいた。きっとその間に随分時間が経っていたのだろう。いつの間にか収録を終え帰宅したハヤトの明るい声が玄関に響いて、それでようやくトキヤははっと顔を上げた。

 このマンションは、ハヤトが収録に通いやすいようにと事務所が用意してくれたもので、テレビ局からそう離れていない場所にある。明日もいつも通りおはやっほーニュースの出演があるハヤトが早々に帰宅するのは十分予測できたことなのに…とトキヤはすっかり焦ってしまった。きっと泣きすぎてひどい顔をしているはず、とりあえずバスルームへ行かなければ。そう思ってソファを立ち上がろうとしても、ずっと膝を抱えていたせいで足に力がはいらなくて、かくん、とまたソファに座り込んでしまう始末。

「トキヤ? ただいまー?」

 リビングのドアが開く音がして、先程より幾分トーンの落ちたハヤトの声が耳に届く。きっと、いつもならば玄関まで出迎えにきてくれるトキヤの姿が見えなくて、体調でも悪いのかと心配してくれているのだろう。そんなことが伝わるような、優しい声だった。

「…お、おかえりなさい」
「トキヤ? 声変だよ? 風邪ひい、た…ってわぁあ、どうしたの」

 ソファに座ったままなんとか小さな声でいつもどおりの『おかえり』のセリフを言ってみたものの、心配そうにその顔を覗き込む兄の目は誤魔化せなかったようだ。ハヤトは、トキヤの頬に残る涙の痕と、真っ赤になった目元をひとめ見るなり慌てた様子で隣に座り、なんとか弟の涙を止めようと試みる。

「トキヤ、なかないで」
「泣いてません…」
「うそはよくないにゃあ、こーんなにぽろぽろ涙零してるのに。どしたの? 頭痛い? 風邪ひいた?」
「風邪くらいで泣きません、こどもじゃないんですから」
「じゃあどうしたのー。ほら、おにいちゃんに言ってごらん?」
「こどもあつかい、しないで…ください、何でもな…」

 何でもないです、ただ自分が情けないだけです、ハヤトは仕事で疲れていて、明日も収録があって、早く寝なければいけないのに。あなたが安らぐための家でこんな風に心配かけてしまってごめんなさい。そう言いたいのに、ただひたすら自分だけを見て心配してくれる優しさが嬉しくて、余計に涙が滲んできてしまう。何か言葉を言おうと口を開けば、代わりに泣き声をあげてしまいそうで、トキヤはぐっと歯をくいしばることしかできなかった。

「学校で何かあった?」
「…」
「レッスンで失敗した?」
「……」
「じゃあ好きな子にフラれたとか」
「違、これは…っ、その、結果をだせない自分が、情けなくて」

 心配そうに自分の顔を覗き込みながらのハヤトの問いかけにただふるふると首を横にふっていただけのトキヤだったが、そこはずっと一緒に育った双子のこと。ハヤトには、どうすればトキヤが本音を言ってくれるかなんて簡単な問題だった。ちょっと声と表情を明るくしてからかい半分のふりをすれば、真面目を絵に描いたような性格の弟は簡単にひっかかってくれる。今回も、トキヤはハヤトの思惑通りに本音を口にだしてくれた。ただ、その根っこは思ったよりもずっと深いもののようだ。

「…結果って、デビューってこと?」
「は、い。もう3年も経つのに、一向にそんな話がないのが悔しいんです」
「トキヤ、そんなに焦らなくても大丈夫だにゃっ! ねっ」
「軽々しく大丈夫だなんていわないで下さい…。焦りもします、あなたが着実に努力と成功を重ね、今やトップアイドルになっているのにひきかえ、私はまだ何も成し遂げていない」
「でもでも、トキヤだって努力してる! トキヤががんばってるの、ボクは知ってるよ? それに、レッスンの先生達だっていつもトキヤをいつも褒めてる。トキヤは歌も上手くて、だからいつかきっと、」
「――っ、結果を出さないと意味がないんです!! いつか、なんて何の保障もない、あなたも知っているでしょう? 歌が上手いだけのアイドル候補生なんて掃いて捨てる程いるんです、レッスンでいくら褒められようと、結果がついてこなければ何も残らないんです!」

 いつも冷静なトキヤが声を荒げて吐き出す言葉と一緒に、大粒の涙がぼろぼろと足元に落ちてゆく。トキヤはそこではっと我に返ったようで、目の前のハヤトから視線を外してしまった。

「……ごめんなさい、ハヤトは何も悪くないです。八つ当たりでしたね」
「トキヤ」
「もう寝ます。すみません」
「トキヤってば」
「っ、ハヤト…離して下さい」
「こんなトキヤを放っておける筈ないでしょ?」

 ハヤトが、口早に謝罪の言葉を口にして目元を腕で隠したままソファを立ち上がろうとするトキヤの腕を掴んで引き止めたのは無意識だった。彼はまだハヤトと視線を合わせてくれないけれど、そんなのは今大きな問題ではない。とりあえず、今、トキヤをひとりにしてはだめだということだけが、ハヤトの中ではっきりとした事実だった。
 初めは嫌がるように手を振り解こうとしたトキヤも、大好きな兄の声で自分の名を呼ばれるのには弱いらしい。すぐに抵抗の力は緩み、代わりに彼の意識はなんとか涙を止めようとそちらに集中しているようだった。ハヤトはとりあえず自分が隣にいることを受け入れてくれた弟に心の中でありがとうを言って、拒否されないのを確認するようにゆっくりと、そっとトキヤの髪を撫でる。

「ね、ボクに教えて? 何があったの?」
「…何も、ないです」
「何もないのにトキヤがこんなに焦るなんてないでしょ?」
「ほんとにっ何もないんです…」
「トキヤ、」

 泣きすぎて真っ赤になった目元に、キスをひとつ。今にも零れ落ちそうな涙の粒を舐めとってやると、それでようやく視線が合った。そのまま宥めるようにゆっくりと背中を撫でてやれば、それまでどきどきと速いリズムで脈を打っていたトキヤの鼓動が、少しずつ平静を取り戻してゆくのがわかる。

「ね、教えてくれるかにゃ?」
「わたし…は、ただ、 あ、あなたがいなくなってしまったらどうしようって、」
「いなくなる?」
「あんなキラキラの世界にいるあなたから見たら、何も持ってない私なんて興味の対象から外れてしまう気がして、いつか、ここへ帰ってくれなくなる気がして、そんなことになったら、…わたし、は」

 たどたどしくも一生懸命に自分の不安を言葉にしようとするトキヤのきれいな深い青の瞳からはまたぽろぽろと大粒の涙が零れ落ち、ぎゅっと膝の上で拳を握っている彼の手の甲を濡らした。

 トキヤの言いたいことは、大体解る。きっと彼は、自分がそのうちアイドルでないトキヤへの興味がなくなるとでも言いたいのだろう。それは大体理解できたが、到底納得できる内容ではない。そもそも、どうして自分がトキヤの前から居なくならなければいけないのだ――…

 ハヤトは、トキヤの涙につられて乱れてしまった自分の心を落ち着かせるようにひとつ大きな深呼吸をすると、ひくひくと声を上げて泣きじゃくるトキヤからだを自分の腕で包み込むようにして抱きしめた。そうして、そおっと背を撫でる。こんな風に泣くトキヤを見るのは、ずっとちいさな子供の頃以来だな、懐かしいな、なんてことを思いながら。

「トキヤ、トキヤ、ボクがおはやっほーニュースをはじめたのは、だいすきな人に毎朝元気を届けたいからだよ。…誰のことかわかる?」
「…誰、って」
「ほら、最後かもしれないって東京での仕事に、トキヤも一緒に来てくれたでしょ? あのとき、ふたりで話したこと覚えてる?」

 背中を撫でるあたたかいてのひらと同じ、ゆっくりゆっくり、トキヤに語りかけるように紡がれる言葉は、今までのどんなハヤトの言葉より甘い響きをしていた。遠い記憶の中に、あの日のことが浮かんでくる。夕暮れのテーマパーク、目の前には大好きなハヤト。そうして、イルミネーションが点くのと同時に言われた言葉は……



『朝のニュースで歌をうたって、たくさんのひとを笑顔にしたいんだ。もちろん、トキヤのことも…ううん、トキヤをいちばんに笑顔にしてあげたい。ボクがいちばんすきなのは、トキヤだよ』



「わ、たし?」
「そうっ、正解! さっすがトキヤだね! あの時のボクの言葉、思い出してくれたかにゃ?」
「……はい…」
「いいこ。――ねぇ、ボクがいちばんすきなのは、トキヤだよ。昔も今も、ずっと」

 こつん、と額をあわせて、目を閉じて語りかけるハヤトの長い睫毛が、間接照明のやわらかな灯りをうけて淡くきらめいた気がした。トキヤは、もしかして彼も泣いているのだろうか、そんなことを思いながら、兄のきれいな顔から目を離せずにいた。

「トキヤがいるから頑張れるんだ。だからトキヤは、何も焦ることなんてないんだよ。そのままのトキヤと一緒にいたいんだ。だから、ね? もう泣かなくていいよ」

 ハヤトの形のいいくちびるが、そっとトキヤのそれに重なる。はじめてのキスは、すこしだけ、涙の味がした。






改定履歴*
20120123 新規作成
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