6月♪気付かない振りをしていたのに -4-
混乱した音也の頭にいち早く浮かんだのは、同じAクラスの親友でいつも冷静な真斗だった。
全寮制のこの学校では、もちろん真斗も寮に住んでいて、
その部屋は自分とトキヤの部屋と同じ階にある。
けして遠くはない距離だったが、慌てきっている今の音也にはひどく遠く感じられた。
「マサぁっ」
「――イッキ?そんなに慌てて、どうしたんだい?」
広大な寮の廊下を走って、いくつかの部屋の前と曲がり角を通り過ぎて。
ようやくたどり着いた目的の部屋のドアノブに手を掛ければ、
その扉はすっと音也を迎え入れるように開く。
けれど、勢いのまま親友の名前を呼ぶ音也の耳に届いた返事は、真斗の声ではなかった。
「あ、レン… マサは?」
「聖川なら、まだ帰ってきていないみたいだよ」
「そ、そっか。騒がしくしてごめん」
音也を出迎えてくれたのは、真斗と同室のレンだった。
ソファに座って雑誌を読んでいたらしい彼は突然の来訪者に少し驚いたようだったが、
それが音也だとわかるといつもの彼とは違う雰囲気に首を傾げる。
「いや、それはいいんだけど」
「レン、ほんと急に来てごめんね。後でまた来るよ」
「おいおい、イッキ、ちょっと待って」
「え…?」
「いや、そんな格好で帰せるわけないだろう?」
指摘されて初めて、音也は今自分がどういう格好をしているのか客観的に見てみる。
ブレザーは脱いでいたからシャツだけでネクタイは解かれ、しかもシャツのボタンは3つも外されていた。
肌蹴た胸元、先程トキヤが唇を寄せたあたりにちらりと見えるのはちいさな赤い跡。
経験がないから確信はないが、もしかしてこれは――
「こんなところにキスマーク付きとは、イッキらしくないね」
「!! こ、これは」
つうっとひとさし指でその跡をなぞるレンの指と視線に慌てたのだろう、音也はばっとシャツで跡を隠す。
レンはそんな音也の様子が可愛くてたまらないというようにくすくす笑いながらハンカチを取り出すと、
安心させるようにふわりと笑って、音也の目から今にも零れ落ちそうだった涙を拭ってやった。
「冗談だよ、そんなに慌てないの。ああほら、顔が真っ赤だ。じっとして」
「――なにがあったか、聞かないの」
「キミが望むならね。けれど、今はこっちが先かな。はい、顔あげて」
音也の緊張を解して、できるだけ混乱がなくなるように。
レンが音也へ向ける視線は、どこまでも優しいものだった。
知らず溜まっていた涙がハンカチに吸い込まれていくように、
音也の中の焦燥や混乱がとけてなくなってゆく。
「はい、おしまい」
「…ありがとう、レン」
「どういたしまして」
にこ、と笑って大きな手で音也の頭をぽんぽんと撫でるレンの仕草は、
子供扱いそのものだったが、それが今の音也にはひどくありがたかった。
まるで、無理しなくていいんだよ、甘えていいんだよ、と言われているようで。
その優しさにせっかく拭ってもらった涙がまたこみ上げてきてしまったが、
音也はそれを隠すようにぐっと歯をくいしばって俯く。
「レン、俺…」
「うん」
「トキヤのこと、傷つけちゃったかも」
「え?」
泣きそうに震える声でぽつりと呟かれる言葉に、レンは目を丸くした。
音也をこんな風にした相手がトキヤだということは大体予想がついていたが、
涙の訳は『無理やり襲われたから』だとばかり思っていたからだ。
それなのに彼は今自分の事ではなくて、『トキヤを傷つけてしまった』と言って
その純粋で大きな瞳を涙で濡らす。
そんな彼を見ていると、胸の奥がきゅうっと苦しくなるのがわかった。
――泣かないで。いつものキミみたいに、笑っていて。
純粋に、そう思ったのだ。
「あー…もう、泣くな泣くな。大丈夫だから」
気付けばレンは、自分よりも一回りちいさなからだをその腕に閉じ込めてしまっていた。
照れ隠しに赤の髪をくしゃくしゃと撫で、前髪へひとつ軽いキスを。
「レン…?」
「泣かないでくれ、頼むから。イッキに涙は似合わないよ。ね?」
きっと驚いたのだろう、音也は泣く事も忘れ不思議そうな目でレンを見上げてきた。
顔を真っ赤にして瞳を潤ませたその表情に一瞬ぐらりと理性が揺らいだが、
レンはそれをぐっと堪え、あくまで兄のような態度を保ち続けた。
そのほうが、きっと音也のこころを落ち着かせる…そう思ったから。
「元はと言えばイッキをそんな風に扱ったイッチーが悪いんだ。
すきな相手を泣かせるなんて、男として最低なことだよ」
「すきな、って」
「いまさら隠さなくてもいいよ。ふたりが両想いだということ位、見ていてすぐにわかるさ」
「ぅ…でも、俺、もう嫌われたかも…」
「大丈夫。イッチーも今頃そう思って焦ったことを後悔してるはずさ。
それより、いくら好きな相手だからって、怖かったね」
よしよし、とあやすように赤の髪を撫でる大きな手。
それから与えられる一定のリズムがここちよくて、気持ちをわかってくれるのが嬉しくて。
音也は今度こそ零れてくる涙を抑え切れなかった。
****
しばらくそのまま、優しさに甘えてわんわんと泣いていた音也だったが、
レンが淹れてくれた紅茶のあたたかさと包み込まれるような雰囲気に、
すこしだけ平静を取り戻したようだった。
「落ち着くまで、ここにいればいいさ。聖川もそのうち戻ってくるだろうし」
「――いいの?」
「友達が困っているのを見過ごせはしないさ。
それとも、イッキの友達だと思ってたのは俺の自惚れだった?」
「そんな!そんなわけないよ、おれだってレンは大事な友達だって思ってる!」
「それは光栄だね」
レンの提案を聞いた音也が、先程まで泣いていたとは思えない様子で
元気に喋りだすのを聞いたレンは、頬が緩むのを抑えることができなかった。
それは、先程までの音也を安心させる為の笑顔とは違う、心からのもの。
結局それから真斗の帰りを待つ間、音也の目から涙が零れることはなかった。
改定履歴*
20111031 新規作成
レンはトキ音のお兄ちゃん的存在だったらいいなーって思ってます。
ほんとは音くんのこと好きなんだけど、音くんはトキヤのことが好きだから
わざわざ自分が割って入って混乱させる必要はないって思って気持ちを抑えてるみたいな。
あっでも普通にレンマサも好きです。
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