いたずらにも程がある!
ロンドン郊外の深い木立を抜けた所にある、ファントムハイヴ邸の広大な敷地。
ここは普段ならば風にそよぐ草木の音や鳥の鳴き声が響く閑静な場所だが、
今日に限っては先程から想像しい『客』が訪れていた。
「お引取り下さい」
「セバスちゃん、久々に逢えたというのにその態度はナイんじゃない!?」
「気持ち悪い事を言わないで下さい、グレルさん。
貴方に逢いたいと思ったことは今まで一度もありません。
とにかく、坊ちゃんのお仕事の邪魔になるのでお引取りください」
「ひどいわ!でも貴方のそんなストイックなところも好きよ!」
当主であるシエルの執務室の真下にある白薔薇の庭園で、
白によく映える赤のコートを纏った訪問者に対応してるのは、
彼の執事であるセバスチャンだ。上等な漆黒の燕尾服、それとおそろいの髪の色は、
訪問者の派手派手しい赤ほどインパクトはいものの、負けず劣らず白薔薇に映える。
ひとことで言えば、セバスチャンは綺麗な悪魔だった。
加えて、この落ち着いた声と優雅な物腰に、きれいな笑顔。
死神が魅了されてしまうのも、まあ仕方ないといえるのかもしれない。
ただし、セバスチャン本人はグレルからの純粋な好意を邪魔なだけだとしか認識していないのだが。
「あいにく坊ちゃんも私も、貴方に付き合っている暇など一秒もありませんので」
「なによ!さっきからふたりでイチャイチャいちゃいちゃしてただけじゃない!
窓から丸見えだったんだからね!あれのドコが忙しいのよ!」
「見えていたではなく見せ付けて差し上げたんです。
諦めて帰ってくださるかと思ったのですが、さすが死神。しぶとさだけは神レベルですね」
「しぶとさだけはってなによ、だけはって!」
そう、セバスチャンは、先程グレルがこの庭園に来る随分前から窓越しに
執務室の自分とシエルの様子を伺っているのを把握していた。
だからわざと、主人であるシエルに対していつもよりスキンシップを多めにしたり、
その必要がなくても耳うちしてみたり、いちゃついて見えるようにしてみたのだ。
もちろん、この邪魔な死神が呆れて帰ってくれることを期待して。
けれどそれは逆効果だったようで、現にグレルはこの邸内まで来てキンキンと高い声で騒ぎ立てる。
セバスチャンは形のよい眉を顰めながらも、はっきりきっぱり拒絶の言葉を口にした。
「嗚呼、声を抑えてくださいますか?甲高い声が頭に響いて不愉快です」
「!!!セバスちゃん、可愛さ余って憎さ百倍だわ…。
いいわ、今日のところは帰ってあげる。ただし!」
あまりに事務的で冷たい言葉を浴びせられたグレルは、一瞬だけ悲しそうな顔をした後
何かを思いついたように嬉しそうに顔を上げる。
そのあまりに晴れ晴れとした笑顔にある種の嫌な予感を感じとったセバスチャンが身構えても、
残念ながら意味はなかった。
「…なんですか」
「セバスちゃんがあのガキといちゃつけないように魂と入れ物を交換しといてあげるわっ!えいっ☆」
「はぁ!?」
どこから出したのかステッキのようなものをひとふりして、同時にふざけた掛け声をひとつ。
ただそれだけでボワンとセバスチャンの周りに白い煙が立ちこめ、それが晴れて目にはいったのは――、
手袋をしていないちいさな手におおきな蒼の指輪、それから右手にはシールリング。
身につけているのは燕尾服ではなくフリルつきのシャツで、首元にはタイではなくリボン。
派手さを控えた色味のストライプのベストとお揃いのジャケットとハーフパンツ、
ご丁寧に靴下止めと、ちっとも伸びない身長を補うためのヒールの高い靴、それから眼帯。
髪だって細くて柔らかなよく知った手触りだし、耳たぶに手をやればピアスが触れる。
そう、文字通り頭のてっぺんからつま先まで、シエルそのものだったのだ。
「……!!っこれ、は」
「どーお?声まで完璧でしょ?アタシこれでも死神だから、これくらい余裕なのよねっ☆」
「ちょ、待ちなさいグレルさん!」
「せっかく名前を呼ばれても、外見があのガキってだけでムカツクわねー」
「いいから、冗談は止めて元に戻しなさい!」
「ああヤダヤダ、甲高い声で騒がないでくれる〜?
まぁアタシ優しいから、ちゃんと元に戻れるようにはしといてあげるわヨ」
「その方法は?」
あの『えいっ☆』のひとことでここまで完璧に魂とからだを入れ替えてしまうとは、
死神とは恐ろしいものだ。腐っても神ということだろうか…などど考えている場合ではない。
慌てて元に戻る方法を問いただすと、グレルは心の底から楽しそうにこう言った。
「簡単よー、昔からお姫様に掛けられた魔法は王子様のキスで解けるでしょ?」
「な…」
「あら、でもその理論でいくと、セバスちゃんがお姫様であのガキが王子?
やだわ…姫は女優であるアタシの役割なのに。まぁこの場合仕方ないのかしら」
「そこは坊ちゃんが姫でしょう。いや、それはいいとして、ぶつぶつ言ってないでさくっと戻しなさい」
「そ・れ・は、嫌。ではごきげんよう、セバスちゃんv」
「ちょ、待…っ」
冗談ではない。そう、冗談ではないのだ。
セバスチャンとシエルは主人と執事で、ふたりの間にあるのは文字通り主従関係のみ。
間違っても、キスなんてものをする仲ではないのだから。
セバスチャンは高笑いをしながらあっという間に去ってゆく赤い後ろ姿を忌々しく見送った後、
先程ワンテンポ遅れて驚いたような声が聞こえてきたシエルの執務室へと向かうのだった。
改定履歴*
20110705 新規作成
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