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第57話の続きを妄想した結果

ほんの少しの油断が、時として取り返しのつかない事態を招くことがある。

主人が足を痛めているのを承知していたのに、
婚約者の前で気丈に振舞おうとする意思を尊重したのが間違いだった。

ゆっくりゆっくり、でも確実に沈みゆくこの豪華客船が、
その姿を全て海に隠すその瞬間まで水平を保つことなどありえない。
そんなこと、すこし冷静に考えればすぐに解った筈なのに。

あと5分、いや1分でもいい。1分でも早く侯爵一家を乗せた救命ボートが客船から離れてくれていれば、
私は坊ちゃんをこの腕で抱き上げて、陸に着くまで一滴の水にも濡れないよう守って差し上げたのに。



****

「どうして!?シエル、一緒に乗ろうよ、この船はもう危ないわ」
「大丈夫だ、あと少し仕事を終えたらすぐに僕も他のボートに乗るから」
「だめ、だめよ!間に合わなかったらどうするの?シエルに何かあったら、あたし…」
「リジー、僕は女王の番犬としての仕事を放り出す訳にはいかない。わかってくれ」

侯爵一家らを乗せた救命ボートが一等客室専用デッキからゆっくりと降ろされはじめた頃、
それには乗らずただじっと見守っていたシエルの左足は、もう限界だった。
捻った箇所がずきずきと痛み、まっすぐ立っているのがやっと。
それでも、ボートの中から心配そうにぽろぽろと涙を零して自分を見上げる婚約者の顔が
見えなくなるまでは、と精神を奮い立たせて誰の助けも借りず自分の足で立っていたのだ。

セバスチャンはそのちいさくもしっかりした背中を、少し離れたところから見ていた。
傍に控えていなかったのは、シエルの婚約者であるエリザベスへの、一種の遠慮。
何しろ自分は、彼女の大事な婚約者の魂もからだも全て、奪ってしまう存在なのだから。
この短いひと時だけでもシエルを彼女だけのものにしてあげよう、と思った結果だった。

けれどその瞬間は前触れもなく訪れた。
氷山と衝突して大きく開いた穴から進入した海水は、容赦なく船を埋めてゆく。
きっと絶妙なところで保たれていたバランスが崩れたのだろう、
船は不吉な軋みをたてながら、大きく傾いた。

「――あ!」

その揺れで、甲板を埋め尽くしていた人の群れがバランスを失う。
シエルの周りの人々にとってもそれは例外ではなく、
甲板の端に立っていたちいさなからだはあっと言う間に人ごみに押され、
あろうことか手すりを乗り越えてしまったのだ。その先にあるのは――暗く冷たい、海。

「坊ちゃんッッ」

慌てて駆け寄り思い切り伸ばした悪魔の指先は、シエルのそれを一瞬だけ掠めたが…
想いは届くことなく、何よりも誰よりも大事な宝物は、暗い海の中へとまっさかさまに落ちていった。




****

水温は2度。文字通り凍りつくような寒さの筈なのに、不思議と何にも感じない。
ただ呼吸ができなくて、頭の奥にもやがかかる。ああ、これが死ぬことか、とそんなことを思った。
そんな中シエルの頭に浮かぶのは、唯一無二の存在であるあの執事兼恋人のこと。
甲板から落ちる直前に見たあの焦った表情が、瞼に焼き付いて離れない。

――どうせ死ぬのならあいつにちゃんと魂を食べさせてやりたかったな。
僕は最低だ。最期の最期に、恋人にあんな表情をさせてしまうなんて。
どうにかしてもう一度、あいつの優しい顔を見たい。
ベッドの中で僕を抱きしめる、僕まで嬉しくなるようなシアワセそうな顔が。
けれど…、もう手も足も一ミリだって動かない。

遠のく意識に逆らえず、ゆっくり閉じていくシエルの蒼の瞳に映ったのは、今の今まで頭の中にいた恋人。
それが現実なのか幻覚なのかわからないまま、シエルは意識を手放した。



****

カンパニア号の甲板は、一度は大きく傾いたものの、再度水平になっていた。
とはいえ、これは一時的なもの。またじきに傾き、今度はそのまま沈むだろう。
そんなことは承知の上だったが、セバスチャンは船から離れられずにいた。
――海から掬い上げた愛する恋人の意識が、戻ってこないままだから。

幾度頬を叩いても、名前を呼んでも、ぴくりとも動かない主人に気持ちばかりが焦る。
悪魔の自分と違って人間とはなんと脆いんだと憤ってみても、シエルの意識は戻らない。
頼むから戻ってきてくれと、その唇を塞ぎ数回大きく呼気を吹き込んでみたが、結果は同じだった。

鈴のように可愛らしい声でセバスチャンの名を呼ぶ、さくらんぼよりも赤く瑞々しい
ふっくらした唇をなぞっても今はただひんやりとしていて動かない。
いつもはさくら色に染まっている血色のいい頬だって、死人のように白いまま。

悪魔の真紅の瞳を宿した目に、今まで一度だって浮かべたことの無かった涙が滲み、
いくらもしない間にそれは一粒の雫になって、つうっと頬を伝い落ちる。
シエルの瞼に落ちたその雫が睫毛を濡らした次の瞬間だ。
今まで人形のように瞑られていたシエルの瞼がゆっくりと開いたのは。

「んぅ、げほ、かはっ、はぁ」
「坊ちゃん!」
「…っはぁ、せばすちゃん…?」

苦しそうに水を吐き出し、涙目で自分を見上げるのは、紛れも無い大切な恋人。
セバスチャンは周りの視線も状況も気にすることなく、ただ腕の中の細いからだを抱きしめた。

「坊ちゃん、坊ちゃん…っよかった」
「苦しい、セバスチャン」
「私も苦しかったです、貴方がもう戻ってきてくださらないかと思って…っ」

ごめん、と耳元でちいさく聞こえる声に、もういいんです、と返して。
そうして、用意していた暖かな毛布で手早くシエルを包む。
濡れた服は全て脱がせてしまった。体温を奪ってしまうから。
慌てたシエルが抗議の声をあげてみても、悪魔は抱きしめる腕を緩めてくれない。

「申し訳ありません、マイロード。貴方を一瞬でも危険な目に合わせてしまった私をお許しください」
「…ちが、ぼくが、かってなことをしたから」
「いいえ、私が貴方をずっと抱き上げていればよかったのです、なのに…」

思い切り抱きしめられて聞こえる声はすこし震えていて、
シエルはそれに気付いた瞬間に、自分を抱きしめている悪魔のことがひどく愛しくなった。
身長も手も、力だってなにもかもが自分よりずっと大きく強い筈なのに、
自分が居なくなるかもというだけでここまで動揺してくれる恋人。

「…セバスチャン、命令だ。僕をこのままずっと抱きしめていろ。陸に着くまで、ずっとだ」
「申し訳ありません坊ちゃん、そのご命令には従えません」
「え?」
「陸に着いても、お屋敷に着いても。私はもう貴方を一瞬たりとも離すつもりはありません」
「…え」
「覚悟しておいてくださいね、坊ちゃん」

そういってようやくいつものように柔らかくわらう執事の表情がなんだかひどく暖かくて、
シエルはそれ以上抗議する事ができなかった。




end

更新履歴*
20110616 新規作成

海に落ちる坊ちゃん/なりふり構わず海に飛び込んで坊ちゃんを必死で助けるセバス/呼吸が止まってる坊ちゃんをセバスが以下略 という萌えネタを元に書かせていただきました!ありがとうございました^▽^
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