Happy Valentine's Day! -2-
あれから5分、ティーカップの湯気はもう消えてしまいそうだ。
先程からシエルはチョコレートを前に固まっていた。
「紅茶が冷めてしまいますよ、坊ちゃん」
「…っ、わかってる」
「それともやっぱり無理ですか?」
「そんなこと…」
「じゃあ早く、『あーん』してたべさせてくださいね」
「う…」
本当に、こういうときのセバスチャンはずるいと思う。
いつもの悪魔らしい笑顔とは正反対のやわらかな笑顔でじっと見つめられては、
拒否なんてできるわけないのだ。いつもはそっけない態度をとっていても、
結局はシエルだって自分を愛してくれる執事のことが大好きなのだから。
「『あーん』っていうのはどうしても言わないとダメか…?」
「…いいえ、十分ですよ」
やっとの思いでチョコレートをひとつ摘んで恋人の口の近くへと近づけると、
セバスチャンはくすくす笑ってその手に自分の手をそっと添え、チョコをぱくりと口にいれた。
よく考えれば悪魔が物を食べているのを見るのは初めてで、
そのめずらしさもあって艶やかな唇にどうしても目がいってしまう。
チョコレートがセバスチャンの口内に消えた瞬間、直接唇が指に触れたわけではないのに、
まるで自分の指が食べられてしまったような錯覚を覚えて心臓が跳ねた。
ぞくり、と腰あたりに感じた快感を気のせいだと思い込んで隠して、
気になって仕方なかった味の感想を求めてみる。
「…おいしいか?」
「はい、とても」
それは建前でもお世辞でもなく、心から出た言葉だった。
言った本人も驚いたように目を丸くしている。
悪魔の味覚は人間のそれとは違う。
どんなにシエルが美味しいと思うものでもセバスチャンはそうは思わないはず、なのに。
シエルが手ずから口に入れてくれたチョコレートの欠片を、純粋に美味しいと思ったのだ。
「そうか、よかった…」
恋人の返事を聞いて、それまで不安げだったシエルの表情はほっとしたような笑顔に変わった。
目の前20センチの距離にある、白くやわらかな頬。
今はすこし上気して、さくら色に染まりつつあるそれに右手を伸ばす。
触れられた瞬間ぴくんと震える腕の中の幼いからだを気遣うように
目のふちをそっとなぞれば、シエルはその暖かさに誘われるよう瞼を閉じた。
セバスチャンはそのまま細い顎をくいと上向かせて、ちいさな唇にキスをする。
「ん…っ、ぁ、んっ」
「坊ちゃん…お味はいかがですか?」
「…あまい…。もっと、ちょうだい?」
「イエス、マイロード。いくらでも食べさせて差し上げますよ」
言いながらもうひとつチョコレートの欠片を含んで、そのまま口移す。
シエルのこどもらしい短い舌はとても暖かく、チョコはあっという間に溶けてしまった。
そうしてふたりの口内に広がるのは、酔ってしまいそうにあまいチョコの味。
角度を変えて何度も何度も口付けながら頬を撫で、そのまま邪魔な眼帯を取り去った。
ゆっくりと唇を離してみれば、シエルは涙を湛えた瞳でじっと自分を見上げてくる。
「そのようにじっと見られると欲情してしまいます」
「そんなの、…僕は、そんなのとっくにしてる」
「坊ちゃん」
「セバスチャン、あの、…夜まで待たないと、ダメか?」
まだあどけなさを残した顔立ちに不釣合いな色気を伴ってじっと見つめられて、
ちいさな声で恥ずかしそうに名前を呼ばれて、こんな風に誘われて。
この誘惑に惑わされない者がいるならば見てみたいものだ、と思う。
尤もシエルのこんな表情を、自分以外の他の誰かに見せる気など毛頭ないのだが。
「――全く貴方という人は…、何時の間にそんな誘い方を覚えたのです?」
「や、そんなの、知らな…、あっ」
シエルの唇から零れる声はあまくあまく、官能を誘う呼び水のよう。
静かな部屋によく響く声で、ふたりを包む空気が一気に夜のものへかわってゆく。
改定履歴*
20110210 新規作成
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