もっと甘えて
「きれいだなぁ……」
僕の手からさらりと滑り落ちた兼さんの髪に、燭台の仄かな灯りが届いてきらめく光の輪をつくる。
他で見ることのできない綺麗さに見蕩れていたら、ひとりでにそんな言葉が零れおちた。
「? なんか言ったか?」
「えっ、あ、ううんなんでもないよ!」
「そうかぁ?」
「ごめん兼さん、退屈しちゃった? もうちょっとで終わるね」
不思議そうに振り向きかける兼さんを慌ててごまかして、僕は最後の仕上げに入る。
夕餉を頂いた後、兼さんと連れ立って本丸の大浴場に行き、兼さんの部屋に布団を敷いて、お風呂あがりの兼さんの長い髪を乾かすのが、兼さんの相棒で助手の僕の日課だった。
座った兼さんの後ろで膝立ちになり、ふわふわのタオルで水気を取った長い毛先に兼さんお気に入りの香油をほんの少しだけ塗って、絡んだりしないようにそっと乾かし冷風で艶を出す。最後に櫛で丁寧に梳けば、艶めく黒髪の完成だ。
「はーいっ、できたよ兼さん」
うん、今日の仕上がりもばっちり。
かっこよくてつよい兼さんの完成だね、なんて思うと自然と笑顔になる。
兼さんは、そんな僕の頭を大きな手でぽんぽんと褒めるように撫でてくれた。
「おう、ありがとな」
「どういたしまして」
兼さんがくれるありがとうの言葉に、胸の奥がほわりと暖かくなる。顔が緩んでしまうのをとめられない。兼さんが楽しそうに僕の頬を摘んでくるけれど、ますますにやけてしまうだけだ。
だって本当に嬉しいんだ。僕が兼さんの髪のお手入れをするこの時間は、他でもない兼さんの優しさそのものだから。
かっこよくて強い、最近流行りの刀。
兼さんは冗談めかして自分のことをそう言うけれど、その言葉に見合うくらいに何でもできる。ちゃんと、解ってるんだ。本当は、兼さんは髪の手入れくらい自分でできるってこと。こうやって寝る前の準備をするのは勿論、朝に髪を結うのだって、きっと兼さんが自分でやってしまった方がきれいだし早いだろう。
けれど、兼さんは世話好きな僕に全てを任せてくれている。そして終わったら毎回こうやって褒めてくれるんだ。これは僕への兼さんの愛情なんだってことくらい、ちゃんと解ってるよ。
だから僕は、そのお礼の意味も込めて毎日こうやってできるだけ丁寧に手入れをするんだ。
いつもありがとう、兼さん。
「くーにーひーろぉ?」
そんなことを思っていたら、目の前数センチのところに振り向いた兼さんの綺麗な顔が迫っていた。どうやら僕は自分で思っているより長いことぼうっとしていたしい。
「わ、わ……、兼さん、何」
「それはこっちの台詞だ。さっきから何ぼーっとしてんだよ」
「……え、っと」
まっすぐに見つめられて、返す言葉につまってしまう。だってまさか兼さんの髪に見蕩れて、兼さんのことを考えていたなんてこととても本人には言えない。どう考えても恥ずかしすぎる。どうしようどうしよう、なんて誤魔化そう。
「まさか……、オレに見惚れてた?」
そう思ったところでこの台詞だ。
さすが兼さん、僕が考えてることなんてお見通しなんだね。こんなことならはじめから素直に言ってしまえばよかったな。
「っふふ、うん、そうそう。見惚れてた」
でもここまで自信満々に言ってくれると、かっこいいはずの台詞にも思わず笑ってしまうよ。
「なぁに笑ってんだよ、こらっ」
「わぁっごめん、ごめんかねさんっ! ひゃあ、だめ、……っ!」
僕のほうに向き直った兼さんの大きな手が、僕の腰をがしっと掴む。そのまま擽られて、びくんと体が跳ねた。
「くすぐった……あははっ、兼さん、やめ……っくく、やぁっ、ん!」
僕が擽られるのに弱いって知ってるくせに、兼さんはいじわるだ。でもこんなじゃれ合いも、やっぱり大好きなんだけど。
「っひゃぁ、ぁ、あっ! かねさ、ごめ、ごめんってば! んゃあっ」
とても膝立ちの姿勢のままでなんて居られなかった。畳に転がる寸前、兼さんの大きな手にぐいっと抱き上げられてそのまま傍らに敷いていた布団の上に寝かされる。ほらね、兼さんはやっぱり優しい。でも、もう、本当、擽ったくてもう限界。
「いーい眺めじゃねえか、なぁ国広ォ?」
「んぁ、や、だめ……ぁっ、かねさんっ!」
結局、はぁはぁと息が上がってしまうくらいに笑い転げてしまって、それでやっと兼さんは「この辺で勘弁してやるか」って満足してくれた。
「はーっ、はぁ、は……、も、兼さん〜…」
いつもされてばっかりで悔しいなぁ、いつかやり返してやるんだからね。そんなことを思って名前を呼ぶと、一度は離れた筈の手がひたりと僕の脇腹に添えられる。
まるで僕の考えていることなんて全てお見通しだと言いたげな笑顔で、兼さんは撫でるようにするりと指をすべらせた。
「ひっ……ごめん、うそ、うそだからもうっ、ごめんっ」
ごめんごめん兼さん、参りました。もう下手なことは考えません。
降参とばかりに兼さんの首に手を回してぎゅっと抱きつく。その気持ちを受け入れてくれたのか、兼さんは僕の脇腹に添えていた手を背中に滑らせて頬に口付けてくれた。
「もう笑いすぎて疲れちゃったよ」
「はは、てめえ意外と笑い上戸だよな」
「そうかなぁ……兼さんが笑わせるからでしょ、普段はそうでもないよ……っ、ん」
いつの間にか滲んでしまっていた涙を舐めとられる感覚に変な声が出てしまって慌てて目を瞑った。
とくんとくんと、兼さんの鼓動が伝わってくる。笑いすぎて早くなった僕の鼓動が、兼さんのそれにあわせてゆっくりゆっくり落ち着いていく。伝わる体温が、気持ちいい。
そろりと瞼を開けると、兼さんと目があった。元々近かった距離が近付いて、くちびるが重なる。ふわりとふれて、もう一度。ちゅ、ちゅう、っと可愛らしい音が響いて、耳が熱くなる。国広、と僕の名を呼ぶ兼さんの声に、この上ない幸せを貰った気がした。
「……兼さん、今日ちょっと寒いから布団ちゃんと掛けて寝てね」
「たしかにちぃっとばかり冷えるな」
「うん、兼さんはあったかいね」
「てめえのがあったけえだろ」
何気ない会話の間にも、頬に、髪に、兼さんの唇が触れる。
だめだ、もうあと数十秒こうしていたらきっとこのまま寝てしまう――僕は、名残惜しさを断ち切るように身を捩って、僕に覆いかぶさっている兼さんの腕から抜け出した。
本当は一緒に寝てしまいたいけれど、実は昨日も一昨日もこうやって一緒に寝てしまって、その……そういうこともしてしまって、今日はふたりとも朝がつらかったのだ。ただ一緒に寝るだけなら大丈夫かもしれないけれど、残念ながら僕はもうさっきの口付けだけで結構そういう気分になってしまっていて、それはそれでつらいものがある。
それに、第一部隊の隊長を務める兼さんには、たまにはちゃんと一人で眠って十分に休養をとって貰いたいしね。
「おやすみ兼さん」
名残惜しさを押し殺して立ち上がったところで、兼さんに「国広」と名を呼ばれ手をとられた。
「わ、兼さん、危ない……」
「なんだよ、戻んのか?」
僕の手を握る兼さんの手に、ちからが篭る。くい、と少しだけ引かれたような気がした。
はっとして兼さんと目を見ると、おそろいの青碧の瞳が優しく弧を描いて僕を見つめていた。
兼さんの台詞、僕を掴んだまま離してくれない大きな手、そしてまっすぐな視線。
それらが意味することを察して、かぁっと顔が熱くなる。ほんの十秒程前までは気にならなかったのに、ゆったりと着こなした浴衣の合わせから覗く肌が目に毒だ。
「だ、めだよ兼さん」
「何でだよ」
「だって昨日もおとといも一緒に寝ちゃって……兼さん明日も出陣でしょ。僕がいるとゆっくり眠れないよ」
「……随分積極的だな」
「わぁっ違う! いや違わないけど、でも」
「心配すんなって。一晩くらいで足腰たたなくなったりしねえよ」
「でも」
「いいから」
ぴたり、と兼さんのひとさし指が僕の唇をふさぐ。至近距離で見つめられて、どくんと心臓が高鳴った。
「素直に甘えてみろって」
僕の大好きな声で囁くようにそう言って、僕の唇から兼さんの指がそうっと離れていく。ずるい、ずるいよ兼さん、そんな風に言われたら、僕は。
「――今日も、一緒に寝てもいい……?」
どうしよう、なんて迷ったのは一瞬もなかったかもしれない。
あれだけだめだと、今日は別々に寝るんだと決めたはずの僕の口から出た言葉は、自分の欲求に素直すぎるものだった。もう自己嫌悪だ。
「よーしよーし、てめえにしちゃ上出来だな」
けれど兼さんは、そんな僕の言葉にも満足そうに笑ってくれた。そうして、甘やかすように両手を伸ばして迎え入れてくれる。膝の上に向かい合わせに座らされて伝わる体温があたたかい。からだだけじゃなくて、心も。兼さんが笑ってくれると嬉しくて、あったかくなるんだ。
ねぇ兼さん、もっと兼さんの笑顔が見たいよ。だから今日は、もっと甘えてみてもいい?
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