ただひとりのひと -3-
国広は、今でも毎晩のように兼定の事を夢に見る。
ふとした時に、彼のことを思い出す。
愛しさを形にしたような彼の姿が消えてゆく時の胸の痛みは、今でも忘れることができない。
頭の中も胸の奥も沸騰しそうに熱くて、苦しくて、息が出来なくて、彼と自分とを隔ててしまう涙が邪魔だった。心臓を抉り出された方がまだましだ。
「……短気は損気だって、言ったじゃないですか」
国広の声に応えるように、ひとすじの春の風が部屋に入り羽織の裾を揺らす。
折れた兼定の刀身は丁寧に祀られることとなり、結局、国広の手元に残ったのはこの羽織のみだった。
他の着物や装飾品は彼と一緒に消えてしまったのに何故これだけが残ったのかは、国広にはわからない。
ある者は、きっと兼定が脱ぎ捨てていたからだろうと言っていたが、理由なんて何でもよかった。
在りし日の彼を思い出す何かが手元にある、それだけで十分だった。
それが沢山の想い出をもつ羽織だったのは、国広にとって幸いだったのかそうでなかったのか、それはわからないけれど。
国広は、部屋の隅から裁縫箱を出すと、細心の注意を払って羽織を衣紋掛けから下ろした。
幾度も使った浅葱色の糸を針に通し玉結びをして、裂けている箇所を丁寧に縫っていく。
ひと針毎に国広の目から涙が零れ落ち、羽織に染みをつくった。
最後に糸を切って、袖を通す。
大切に守っていた筈の愛しい人のにおいは、もう消えてしまっていた。
国広は、羽織を着たままきれいに整理した部屋をもう一度見渡すと、静かに廊下に出て襖を閉めた。
****
「おい、国広知らねぇか?」
大和守と加州が炬燵で寛ぐ部屋の襖を開け、兼定は開口一番そう訊ねた。
国広が兼定を探すことはあっても逆などあまり見たことがないから、ふたりは物珍しそうに兼定を見上げた。
「知らないよ。さっき部屋にいろって言ってなかった?」
「言ったけど、いねぇから探してんだよ」
「ケンカしたんじゃないのー?」
「してねぇよ!」
ふたりが知らないとなるとお手上げだった。はぁ、と溜息をつきながら、兼定は首を傾げる。
「つうかなぁんかアイツ様子がおかしくて……アレもねえんだよ」
「あれって?」
「なんかアイツの部屋にボロボロの羽織あったろ? 後生大事に飾ってあったが……あいつも昔は羽織着てたのか?」
兼定が、ふたりと同じく炬燵に入ろうと座りながら言う言葉に、二人の雰囲気が変わる。何事かと不思議に思うのと同時に、加州が口を開いた。
「――厚樫山だ」
「え?」
「厚樫山だよ!」
厚樫山といえば、今まで出陣した中でも特に激戦となった戦場だった。もちろん、ひとりで向かうようなところではない。しかももう昼過ぎで、今からなんて。
「いや、ひとりじゃ行かねえだろ、あんなと……」
「早く! 追いかけてよ、はやく、」
「清光、落ち着いて」
どう考えても、ひとりで向かう所ではない、国広がそんな所に向かっている訳がない――そうは思うものの、加州の取り乱しようとそれを宥める大和守の冷静さに、何か嫌な予感がした。加州と大和守の目を交互にじっと見る。ふたりとも、嘘をついたり、冗談を言っているような目ではなかった。
「馬、借りるぞって言っとけ」
それだけ言って、兼定は部屋を飛び出していった。
「清光、青江たち呼んできて。僕は主にちゃんと出陣の許可貰ってくる」
兼定の背を見送って程なく、大和守は立ち上がってそう言った。ぼろぼろと零れてしまう涙をなんとか止めようとしていた加州が、驚いたように見上げる。
「何。狡いとか言わないでよ。そんな泣き顔で主に会うの嫌でしょ」
「うん、……いや、そうじゃなくて」
ぐす、と鼻をすすって、加州も立ち上がる。大和守が貸してくれた手拭いは、もう涙でぐしゃぐしゃだった。
「意外だと思って」
「何が?」
「お前は止めるかと思ってた。……和泉守に、国広の居場所教えるの。だってお前反対派じゃん」
「ああ……」
加州の声は、それまで泣いていたとは思えない程はっきりした声だった。自分を真っ直ぐに見据える加州の目から、大和守はすいと視線を外す。
「たとえ二度と会えなくなっても、たったひとりと決めた人のことを想い続けたいの……わかるから」
「そんなのっ」
少し間を開けて告げられた答えに、加州は声を荒らげた。まるで猫が全身の毛を逆立てて威嚇するようにまくし立てる。
「そんなの俺にだってわかるよ! でも想ってどうすんの!? 居ない人に操立てて報われないまま辛い思いするより現実見て幸せになってほしいよ!」
思ったことをすぐ口にする加州とは反対で、大和守は自分の中で慎重に考えてから口にする。答えに時間を要するのはいつものことながら、今の加州には二倍三倍にも長く感じた。
「うん。僕もだ」
「え、」
「堀川の気持ちもわかるけど、僕だって堀川にはずっとここに居て欲しい。これ以上誰かがいなくなるのは嫌だ。さっきは邪魔しなかったっていうか……、できなかったんだよ」
大和守は、まだ加州から目を逸らしたままだった。その顔を覗きこんでみる。自分が涙ぐんでいるから気付けなかったけれど、大和守の目にもまた、涙が溜まっていた。
「安定……」
「だから! 早く迎えに行こう。ほらはやく」
「――うん!」
ぐっと手の甲で目元を擦って、大和守が加州の手を引く。部屋から廊下に出ると、どちらともなく駆け足になった。突き当りを左に行けば主の居る部屋、右に行けば青江や燭台切の居る部屋。そこまでは一緒だ。
ばたばたと音をさせて駆けながら、めずらしく弱気な加州が「間に合うかな」と問う。大和守が「どうだろ」と返した。加州の眉が、少しだけ下がる。
もう少しで別れ道というところで、大和守が口を開いた。
「間に合うと、いいよね」
加州は、なんだか胸がいっぱいになってしまって、「うん」としか答えることができなかった。
改定履歴*
20150303 新規作成
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