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ただひとりのひと -2-

 まだ梅も蕾をつけないある冬の日、兼定が隊長を務める国広達第一部隊は予定外の戦闘に見舞われた。
 皆大なり小なり怪我をしていて、疲労の色が濃いところで運悪く出会ってしまった、敵の大太刀が率いる部隊。
 撤退した方がいいのは誰の目にも明らかだった。
 けれど地の利が悪く、退路を絶たれる形になってしまったため、直ぐにとはいかなかった。
 敵の将を叩き、隙をついて逃げよう――そう目で合図をして、兼定をはじめ国広達は各々の兵を連れて戦闘態勢をとった。





「兼さん! あっちに将がいるみたいだ」

 開戦後、暫く経って兵から伝えられた情報は、国広が待ちに待ったものだった。
 すぐに兼定に駆け寄り、弾む声でそれを伝える。

「そうか、じゃあ」
「うん! 僕、少し見てくるよ」

 「出過ぎんじゃねえぞ」と釘を刺す兼定に「分かってる」と返し、国広は下手な体力を使わないよう兵の合間を縫って慎重に報告のあった方へ向かう。
 実際に敵の将を見ることで付け入る隙がないか、または退路がないかを確認しようと思ったのだ。報告をくれた兵を信用していない訳ではなかったが、やはり人づてに聞くだけと実際に自分の目で見るのとでは情報量が違う。より正確で多くの情報が欲しいのは当然のこと、こんな局面ならなおさらだ。

(はやく、敵の本拠を見て、それで……安全な方向へ逃げないと)

 元より体力の減っていたところでの交戦で、先程兼定の刀身から小さな欠片が零れたのを国広は見逃していなかった。
 ――これ以上兼さんに無理をさせる訳にはいかない。早く、はやくここから退避しなければ。
 一度罅の入った刃の脆さは国広もよく知っている。幸いにもこの世界では、手入れを受ければ元通りになることができる。だから一刻も早く兼定を敵から遠ざけなければ、その気持ちが冷静になろうと努める国広を焦らせた。


 ほど近い場所に、禍々しい闇色の霧のようなものを纏った大太刀の姿があった。
 この戦全般に言えることだが、あまり敵の知能は高そうには見えない。隊の中での上下関係といった概念も希薄なのか、側近のような者も少ないが、雰囲気からしてあれが敵将で間違いないだろう。

 ――どうする。
 敵の姿や陣形を確認するだけと決めていた筈なのに、国広は、大きな岩の影に身を隠したままそっと腰の脇差に手を伸ばした。
 もしかしたら、倒せるかもしれない。
 一瞬だけそう思って、すぐに思い上がりだと自分を窘める。

 だめだ、今は偵察に来ただけ。早く戻って兼さんに報せよう。そうして一旦皆で退くべきだ。
 そう思い直して、一度は抜きかけた刃を鞘に収め、踵を返す。
 そっとそこを離れようとしたところで、ぱきっと足元の小枝が音を立てた。

「!!」

 まずい、そう思った時にはもう遅かった。
 すぐそこにいる敵の意識が自分に集中していることを悟った国広は、覚悟を決めて脇差を抜き迎え討つ。
 足早に襲ってきた敵の脇差をひと突きし、打刀の腕を切り、刃に纏わりついた赤を払う。機動の遅い大太刀に己が勝つ為には先手必勝しかないとばかりに、そのまま地面を蹴った。

「……ぐっ、あっ!」

 もしかしたらいけるかもしれない、その予想は、国広の調子がいつも通りならば正解だっただろう。
 けれど疲れきっている今の彼では、刀を握る手にも思うように力が入らず、いつも誉を攫う俊足にも翳りがあった。敵の首筋を狙った刃は、あと一歩の所で届かず虚しく空を切る。
 逆に力任せに一薙ぎされ、なんとか防御をしたものの国広の小柄な躰は地面に叩きつけられた。

「あぁ……よくもやってくれたな」

 無残にも破れて泥まみれになった上着が腕に纏わりついて邪魔だった。手早くそれを脱ぎ捨て、目の前に迫ってくる敵を睨みつける。
 動作は鈍い。大丈夫だ、うまく隙をついて手首のひとつでも落とせば僕なら逃げられる。
 そう自分に言い聞かせ、国広は身構えた。


 ――けれど、逃げてどうするのだ。きっと一度交戦してしまったこの大太刀は、僕が目の前からいなくなれば別の仲間を襲う。それも、この鈍い動きならば遠くには行かずに近くに居るものを狙うだろう。
 次は、……きっと近くにいる、兼さんを。
 連戦に連戦を重ね、もう疲れきっていたところでの戦闘だ。刃毀れだってしている。今はもう無理できないことくらい満身創痍の状態だということは兼さん自身が一番よく知っているだろう。
 けれどあのひとは、自分に向かってくる敵に背を向けるなんてことは絶対にしない。


 そのことに気付いた瞬間、国広の頭の中から逃げるという選択肢は跡形もなく消え去った。
 己と相手の得物の相性なんてどうでもよかった。
 ただひとつ、ここからこの相手を逃してはいけないとだけを思った。
 僕がここで倒す、絶対に兼さんの元へは行かせない。そう心に決めて脇差を構える。
 勝負は一瞬だ。全神経を研ぎ澄まし、敵の間合ぎりぎりに己が入るその一瞬を待った。その瞬間、地面を蹴って敵の懐に入り込むつもりで。



「何やってんだ!!」

 けれど、ほんのあと少し、あと数秒で決着がつくというところで、一番見つかりたくない人の声が国広の耳に届いた。
 先程まで交戦していた太刀を蹴散らしたらしい兼定が、国広の姿を見つけたのだ。
 目の前で敵の大太刀に兼定の刃が振り下ろされ、ぎぃん、と刃の鳴る音がした。
 その衝撃で退いた大太刀と国広との間に、まるで国広を庇うように兼定が立ちはだかる。

「国広てめえ何ひとりで突っ走ってる!!」
「へ、平気だよ! 兼さんは来ないで!」
「何言って……、!」

 振り返り、国広の姿を間近でひと目見た兼定が言葉を失う。
 その視線で、国広は今自分がどんな格好をしているのか思い出した。
 顔や躰にいくつもの切り傷や擦り傷を負い、白い服は泥と砂まみれだ。
 普段はその男らしい口調も相まって素っ気ない印象を受けるが、兼定が心の奥底では自分の事を大事に思ってくれているのは知っていた。
 そうして、自分がこうなると見境なく激昂してしまうことも。

「かね……兼さん!」

 止める間もなかった。兼定を包む空気が一気に温度を上げ、周囲にぴりりとした緊張感が走る。太刀を握っている手が、怒りで震えているのが見えた。

「――舐めた真似してくれたなァ!」

 敵を見据え、兼定が吼えた声は猛獣の咆哮にも似ていた。
 邪魔だとばかりに羽織を脱ぎ捨て、後ろに投げやる。
 国広がそれを受け取るのと、兼定が地面を蹴ったのは同時だった。
 艶やかな髪に彩りを添えていた結い紐が解けて、はらりと宙に舞う。
 その鮮やかな赤に、言い知れぬ不安が国広を襲った。

「兼さん!」

 がきぃん、と大きな音が鳴る。
 大太刀の一撃を兼定は見事に受けたが、その代償は大きかった。
 ぴしぴしという高い金属音が冷たく鳴り響いたのだ。罅が、広がった音だった。

 兼定に標準を定めた大太刀の刃が、再び容赦なく襲い掛かる。
 致命傷には至らないものの、お互いの刃がお互いの服を裂き、肌を掠め、砂埃の戦場に鮮やかな赤が散っていく。

 一度入った罅は、けしてひとりでに塞がることはない。それどころか、重なる衝撃でどんどんその幅を広くした。鋼の交わる音に混じって、ぴし、とまた高い音が鳴った。その意味がわからない兼定ではない。
 長大な大太刀の攻撃には、その重さも相まって計り知れない衝撃がある。そんな攻撃を受け止め続けた兼定の刀身はとっくに限界を迎えている。こんな風に真正面から正攻法で戦って、敵う相手ではないのだ。今は引くべきだということは分かっている。

「チッ」

 それでも、彼はけして引くことはなかった。背後には、愛しい者がいる。いつも自分のことより兼定のことを考えて、兼定のことを何よりも優先して、放っておけば自らの命など投げうってしまいそうな、危なっかしい恋人が。
 数百年前に失ってしまった国広を、今度こそ絶対に自分が守ると誓った。今がその時なのだ、そう思うと何も怖くなかった。

「兼さ……」
「国広ォ!!」

 怒気を孕んだ声に、国広の肩が跳ねた。こんな声は聞いたことがなかった。
 嫌な予感が、駆け足で高まっていく。嫌だ、嫌だよ兼さん。
 脇差を握りしめ、両足に力を込める。

「てめえは引っ込んでろ。オレの間合いに入るな」

 国広が立ち上がる気配を声だけで制した兼定は、鋭い眼光を敵に向けたまま一瞬たりとも逸らさない。
 その気迫に言葉を失った国広の眼前で、またも兼定と敵の刃が交わった。
 火花が散るような激しい交錯の末に、ばきん、と嫌な音が響く。
 国広の頭の中が、真っ白になった。

 これで最後と決めた兼定の渾身のちからを込めた迎撃に、敵の大太刀がこの世のものとは思えない声を轟かせて前のめりに倒れる。その大きな骸は、それきり二度と動く気配はなかった。

「っ、兼さん! 兼さん!!」

 それをきっちり見届けてから、兼定は膝から崩れ落ちた。
 国広は脇差を投げ出して駆け寄り、地に着く寸前の兼定の躰をその身で受け止める。
 細い腕に抱かれて、兼定が浅く早く息をつく。ひゅう、と喉が鳴り、次の瞬間ごぼっと血を吐き出した。

「あ……、あ、兼さ、ん」

 兼定のきれいな顔が、赤く濡れる。
 早く拭いてあげなきゃ、なんてことを考えて、何も持っていないことに気付いて、自分の袖で拭った。手が、震えていた。









「和泉守!」
「堀川!!」

 異変に気付きながらも眼前の敵に応戦で手一杯だった大和守と加州が、なんとかそちらを片付けて駆け寄った時には、もう兼定は目を開けなかった。
 ふたりとも、言葉もなかった。
 国広も、何も言わなかった。
 戦場の砂埃混じりの風が、全ての音を攫ってしまったかのようだった。
 そのうちに、兼定の躰がきらきらとした光に包まれる。鍛刀や刀解で覚えがある光だった。

「――っ、待って!!!」

 国広が口をひらいた。
 兼さん、だめ、行かないで、待って、消えないで。兼さん!
 何度も何度も、何度も国広は兼定の名を呼んだ。
 もう動かない兼定に縋り付いて、行かないでと、最後は喉が裂けるような声だった。

「かねさん、兼さん、お願い、……っ」

 けれど兼定を包んだ光は、脆い硝子細工が割れるような音と共にその姿を消し去ってしまった。
 国広の懇願など無視して、まるで初めからそこには誰もいなかったかのように。
 その瞬間、国広の全身から力が抜けた。
 この場で受け止めるには、あまりにもつらい現実だった。

 それまで彼を抱きとめていた手を呆然と見つめたまま動けずにいる国広の前には、彼が握っていた一振りの太刀が残されるのみだった。刀身は、真っ二つに折れてしまっていた。
 止まっていた時間が動き出すように、国広の大きな青碧の目にみるみるうちに涙が溜まっていく。

「っ、かねさ……」

 国広は、それを掻き抱いた。倒れこむようにして勢い良く持ち上げたものだから、彼の肘や額が地面と擦れて血が滲む。けれどそんなことは、全く気にならなかった。消えてしまわないようにと必死だった。
 彼の人間としての姿形だけでなく、この太刀まで消えてなくなってしまったら、と思うとたまらなかった。

「堀川!」

 為す術なく見守っていた加州が、慌てて国広の名を呼んだ。

「危ないよ、怪我するから」

 そう言って国広の傍らにしゃがみこみ、ぼろぼろと涙を零す彼の背を撫でなんとか宥めようとする加州を、大和守が制した。

「大丈夫だよ」
「安定、でも……っ」

 国広が怪我をすると泣き顔で訴える加州に、大和守は、涙の滲んだ目で言った。

「見て。和泉守はそんなことしないみたいだよ」

 言われた加州が、改めて国広を見る。
 太刀を抱いている手にも腕にも、ぬくもりを探して摺り寄せている頬にさえも、新たな傷はない。
 己の持てる全てのちからを以って愛しい者を守りぬいた和泉守兼定の刃は、けして国広を傷付けることはなかった。







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