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ただひとりのひと -1-

 あたたかな風の吹く、春の日の午後のことだった。
 廊下から見える庭では、色とりどりの蕾を膨らませた草花達が花咲かせる時を今か今かと待っていた。

「国広!」

 よく乾いた洗濯物を畳み終え、それを仕舞いに自室へ戻ってきた国広は、自分の名を呼ぶ声に襖を開けようとした手を止めた。
 声のする方に振り向くと、自分に向かってやってくる兼定の姿が見える。
 洗濯物を脇に置いて、「兼さん」と迎えてやった。

「終わったの?」
「まぁな。実感はまだねぇけど……次が楽しみだぜ」

 終わった、というのは、兼定の連結だ。
 彼は先日の出陣で誉を取り、めでたく『特』の称号を得ることとなった。
 それで今日は朝から、更なる強化の為主に呼ばれてそれに専念していたのだ。

「疲れたでしょ、お疲れさま!」

 国広は正直この仕組みに明るくない。称号とか誉とかそういう事には特段興味がわかないし、なんとなく、昔でいう元服のようなものかなという程度の認識しかない。
 ただ、兼定が自信たっぷりな表情で嬉しそうにしているので、国広も嬉しかった。

「どうだ? 強くなったような感じするか?」

 ふふん、と鼻をならして、兼定はその場でくるりと回ってみせる。
 いくら成長しても強くなっても変わらない、出会ったばかりの頃の彼を彷彿とさせるようなその仕草に、国広は顔を綻ばせた。

「うん!! 兼さん、今までよりずっと強そうだし、かっこいいよ!」
「だろォ? だと思ったぜ」
「さすがだねっ! 兼さん」

 褒めて貰えたのが余程嬉しかったのか、兼定は満面の笑みで国広の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
 国広はそれを受け入れながら、兼定の眩しい笑顔に目を細めた。
 ふたりを包むのは、戦う為に呼ばれたとは思えないような、穏やかな空気だった。

「国広」

 ふと、兼定が真剣な顔をする。
 大きな手が国広の髪をすべり、そのまま頬に添えられた。

「兼さん……?」

 国広のうすい肩が、びくんと小さく跳ねた。

「おい国広、オレ強くなったよな」
「う、うん」
「これからもっともっと強くなる。てめえより、ずっとだ」

 自分とお揃いの、でも自分のものよりずっと綺麗な青碧の瞳に間近で射抜くように見つめられて、国広が息を飲む。
 しまった、近付きすぎた。
 そう気付いた国広が、一歩後ずさる。「逃げんな」と、手首を掴まれた。

「ーー国広、オレは……、オレが強くなったのは、てめえの……」

 国広が逃げたぶん兼定が距離を詰める。それだけでは足りず、もう一歩。二人の距離はもうあと何寸もない。
 ああ、まずい。どうしよう。これ以上続きを聞いちゃだめなのに。

「和泉守!」

 焦った国広が、離してと兼定の名を呼びそうになったのと、廊下の向こうから兼定を呼ぶ大和守の大きな声が聞こえたのは同時だった。

「なんだよ今は大事な……」

 兼定の視線が自分から逸れて、国広は胸を撫で下ろす。
 掴まれていた手首が解放されていたので、今が好機とばかりに足元に置いていた洗濯物を抱えた。

「何だよじゃないよ、呼びに来てやったんでしょ。主が、次は刀装を整えるってさ」
「あぁ!? 今からかよ」
「僕に言わないでよ」
「兼さん! そんな言い方……」

 報せに来てくれた大和守へ兼定の代わりに礼と詫びを言って、国広は兼定を窘めた。
 彼が苛立っているのは手に取るように解るけれど、これ以上は一緒にいられない。

「とにかく伝えたからね。僕は先に行くから」
「ほ……ほら、兼さんも!」

 ごめんね兼さんと心の中で謝りながら、国広は兼定の背をぽんと押した。

「わがまま言っちゃだめだよ、主さん待ってるよ」
「ち……っ、わぁったよ」

 兼定は不本意そうにしながらも、これ以上話を続けるのは諦めてくれたようだ。
 頭をがしがしとかいて、もどかしさを押し殺すようにはぁっとため息をついた。

「おい国広、話の続き! 終わったらすぐ戻るから、ここで大人しく待ってろ」
「うん、わかったよ。いってらっしゃい兼さん」

 渋る兼定を笑顔で送り出し、国広は助かったとばかりにひとつ大きく息をつく。
 部屋に入り後ろ手に襖を閉めてその場に洗濯物を置き、部屋の片隅に置いてある衣紋掛けに視線をやった。
 そこに掛けられているのは、あの羽織。浅葱色に白のだんだら模様が入った、見慣れた隊服だった。

 国広は、吸い寄せられるようにその羽織へと歩み寄り正座をして、暫くじっとそれを見上げていた。特別高価なものでもなければ、名手が趣向を凝らしたという訳でもないそれを、飽きずにじっと見ていた。彼がたまにその大きな目を瞬かせなければ、時が止まったかのように見えてもおかしくない光景だった。



 どれくらい経ってからであろうか。
 国広は少年のように小さく滑らかな肌をした手で、この世で最も稀少で高価なものを扱うかのようにそっと羽織の裾を持ち上げ、そしてちいさなキスを落とした。
 そうして、彼自身にも聞こえるか聞こえないかの声で、「兼さん」と、これの本来の持ち主の名を紡ぐのだ。

 その声はひとりきりの部屋に吸い込まれ、誰に届くこともなく消えてゆく。彼のまるい瞳を彩る睫毛が、すこしだけ涙に滲んでいるように見えた。



****

 初めてこの浅葱色に触れたのは、国広が人の姿形を得てからずっと探していた唯一無二の相棒――和泉守兼定を戦場で見つけた時だった。

 二人の元の主人が一生を掛けて護ったものを象徴するこの隊服は、兼定が人としてどんな姿形を得ているのかなんて知らず、それでも必死にその姿を探す国広に、彼の居場所を教えてくれた。
 その大きな青碧の瞳に浅葱色を映した国広が、恥も外聞もないとばかりに兼定に駆け寄りその腕に飛び込むと、兼定は面食らったかのように目を瞬かせた。けれどそれからすぐにそれが自らの相棒だと気付き「国広か」と名を呼んでくれた。

 絶対に見つけ出すと誓った兼定にやっと巡り逢えた事、その彼が自分に気付いてくれた事、彼が慣れぬ人の身で不自由を感じる前に出会えて自分が助手の役目を果たせるであろう事、その全てが嬉しかった。
 それまでの緊張から解放された国広はこどものようにぼろぼろと大粒の涙を零し、目覚めたばかりの兼定を困惑させてしまったものだ。



 二度目に触れたのは、確か、兼定が本丸に来て間もなくの頃に赴いた遠征の帰り。

 急に降ってきた冬の冷たい雨から庇うように、兼定は国広の頭からその羽織を被せた。
 兼さん兼さんと世話を焼く国広に対し、兼定は素っ気無いともとれる態度を見せることが多かった時期の出来事だったから、国広は驚くばかりですぐに礼を言うこともできなかった。

 「ありがとう」とやっとの思いで声を絞り出し、ぴたりと動きを止めていた己の身体を叱咤して兼定を見上げる。間近で見るからだろうか。「おう」と軽く返事をする兼定の横顔は、やけに眩しく国広の目に映った。
 どきどきと煩い鼓動に戸惑いながら、でも目を逸らすこともできずにいると、その視線に気付いた兼定が国広に目線を寄越した。
 ふたりの視線がばちんと合って、一瞬時が止まる。
 兼定は少し驚いたような顔をして、そして「何見てんだ馬ァ鹿」といつもの口調で言ってふいと国広から視線を外してしまった。
 けれどその声はどこか上擦ったものだったし、濡れないようにと掛けられた羽織は取り去られることはなく、それどころか濡れるからもっとこっち寄れと抱き寄せる手にちからがこもった。
 国広は、息の仕方がわからなくなるような、それまで味わったことのない心地いい緊張感に戸惑いながら、雨が止むまでずっとその腕の中に収まっていた。


 ――きっとあの時、僕らの距離は少し縮んだのだ。
 彼との想い出をなぞる国広の目尻が、嬉しそうに少し下がった。



 次に思い出すのは、よく晴れた冬の日。兼定の部屋の前の廊下で、初めての口付けを交わした日のことだ。

 あの雨の日以来、国広は気付けば兼定のことをぼんやりと眺めてしまうことが多くなった。
 いや、ぼんやりというよりは、目を奪われてしまって仕方ないと言った方が正しいかもしれない。
 髪を梳けば綺麗な髪だなぁと見惚れてしまうし、着替えを手伝う際には均整のとれた男らしい躰から目を離せなくなる。酌をした時など、酒を飲み下す彼の喉仏の動きをじっと見つめるだけではなく色気すら感じてしまい、そんな自分に驚いて思わず席を外してしまったほどだ。

 さすがにこれはおかしいと思った国広が兼定と少し距離を置きはじめて2日も経たないうちに、兼定が音をあげた。
 部屋に洗濯物を持ってきてくれたくせに自分の姿を見るなり逃げ出した国広を、兼定は名前を呼んで捕まえた。
 国広の躰を壁に押さえつけそのちいさな顔の両脇に手をつき閉じ込め「てめえこの頃おかしくねぇか」と問う。「何でもないよ」と誤魔化す国広の、何でもなくない表情で全てを悟った兼定は、それ以上は何も言えなくなってしまった。
 国広につられるように、兼定の顔も朱をさしたように赤くなった。

「か、かねさん……?」

 ふたりの距離が初めてゼロになったのは、それから数秒の後だ。
 だんだんと近付いてくる兼定の綺麗な顔に、国広が見惚れている間の出来事だった。
 唇が合わさろうとするその瞬間、男同士だということが国広の頭をよぎった。ほんの一瞬だけ、これはいけないことなのではと戸惑いが生まれた。

 けれど、一度そのやわらかな感触に触れてしまうとそんなものはあっという間に消え去った。代わりに心があたたかいもので満たされていくのがわかった。与えられる幸せな気持ちが愛しくて、国広は彼の羽織をきゅっと握りもっともっとと次を強請ってしまう。
 兼定は、国広が求めるだけ与えてくれた。触れる唇も、いつの間にか頬に添えられていた手も優しかった。こんな風に誰かを触ることがあるのか、と一瞬考えて、その誰かが今自分であることに気付き顔がかっと熱くなった。

 唇が離れる度に聞こえる、ちゅ、ちゅっというちいさな音を何度聞いたかわからなくなった頃、国広は頭がぼうっとして何も考えられなくなった。
 いつの間にか滲んでいた涙が一滴の雫となり、さくら色に染まった頬を伝い落ちる。

「……あ、」

 ふたりがそれに驚いて一瞬唇を離したちょうどその時に、誰かが自分たちのいる方へ来る足音が聞こえた。
 火照った頬を両手でつつみ慌てる国広を、兼定は脱いだ羽織で覆って隠してくれた。

 足音が聞こえなくなっても顔の火照りは収まらず、結局その後国広は羽織を借りたまま逃げるように自室へ戻った。
 この羽織を脱いでしまえば、ドキドキという煩い鼓動が部屋中に響いてしまうんじゃないかなんてありえないことを考えて、なかなか脱ぐことができなかった。
 次の日、国広は涙で汚してしまったそれをしっかり洗濯して乾かし、正座をしてきれいに畳んだ。
 後は兼定の部屋に届けるだけというところで、なんだか手放すのが寂しくなって、誰にも内緒で一度だけその羽織をぎゅっと抱きしめた。

 途端に熱くなる頬に、国広は今自分の心をいっぱいにしている感情が何なのかを知る。
 ――ああ、僕は兼さんの事を好きなんだ。
 国広が、数百年越しの初恋を自覚した瞬間だった。

 兼定も同じ気持ちを抱いてくれていると知ったのは、それから間もなくのこと。
 二度目に唇を合わせた時は、口だけに留まらなかった。頬に、首筋に、そしていつの間にか肌蹴られていた鎖骨の辺りへと滑っていく兼定の唇を、国広はきゅっと目を瞑って受け入れた。
 はぁ、と熱っぽい吐息を感じた国広が、ふと目を開ける。目の前にいる兼定が纏っていた例えようのない色香にあてられて、国広の心臓がどっと大きな音を立てた。緊張のためか、大きな目から涙がひとつぶ零れ落ちる。それに気付いた兼定は、ふわりと笑ってその涙をぺろりと舐めとり国広をぎゅっと抱きしめ、耳元でひとこと「好きだ」と告げた。鼓膜を震わすその声は、一瞬で国広の全身をあまく痺れさせた。

 自分達は刀の付喪神で、得た身体はきっと刹那的なもので、そのうえ男同士で。
 そのどれをとっても結ばれることなんてきっと許されない、解っていながらも国広は彼に触れられるのを、触れるのを我慢できなかった。
 行為の最中も後も、初めての痛みと兼定のことを愛しいと思う気持ちとが綯い交ぜになって、涙が溢れて止まらなかった。


 行為の後に乱れた息がいくらか落ち着いてから、兼定はまず国広に浴衣を着せ、布団で包んで、その上から羽織で覆った。そうして自らは適当に浴衣を着てその隣に横たわり、自身の腕を枕にさせて背に手を回しぐっと抱き寄せた。雪のちらつく季節に、自分が脱がせたせいとはいえ一糸纏わぬ姿で布団の上にいる国広が風邪を引かないか心配してのことだった。

「あ……、兼さん、髪を」

 いつものように兼定の着替えを手伝ってきれいに浴衣を着せ、髪だって絡まないように梳いて纏めておかなければ。そう思った国広が、起き上がろうとする。

「てめえはこんな晩までオレの世話を焼く気かよ」

 兼定は、そんな国広の髪をくしゃりと撫でて抱きしめる腕のちからを強くした。

「大した助手サマだぜ」

 いいからじっとしてろ、と抱きしめる腕に力を込められ、国広はおとなしく大好きな腕の中でそっと目を瞑った。本当は無理にでも世話をしたかったが、流石に初めて抱かれた直後ではそうもいかなかった。腕一本動かすのもだるいくらいの、心地良い疲労だった。
 目を瞑ると、すぐに眠気がやってくる。すう、と深い息をついた国広の瞼に、おやすみ、というように兼定の唇が触れた。国広は夢現でその優しい感触を受け取って、そのままこれ以上ない幸せを貰った気持ちで眠りについた。





 想い出はどれもきれいで、まるで昨日のことのように思い出すことができる。その中の羽織も、兼定の凛とした姿を引き立てるようにいつもきれいだ。
 強さと美の両立を信条とした兼定が大事にしていたこの羽織を、いつも綺麗に整えるのが彼の相棒であり助手を自負する国広の幸せだった。
 けれど今見上げている羽織は、激しい戦闘を物語るかのように所々裂けていて、赤黒い染みが広がってしまっている。

「――洗えていなくて、ごめんね」

 国広は働き者で、掃除や洗濯は勿論裁縫も得意だった。兼定の着物にほつれそうな箇所がありそうなものならそうなる前に見つけて繕ってしまうくらいだ。汚れて裂けた羽織をこんな風にそのままにしておくなんて、普段の彼からするとありえないこと。

 けれどあの日から、この羽織だけは手入れができなかった。
 洗ってしまえば、愛しい彼のにおいが消えてしまうような気がして。
 繕ってしまえば、強く優しい彼の覚悟を無にしてしまうような気がして。
 どうしても、手をつけられなかったのだ。







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