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独り占めさせて? -3-

「花礫くん」

 平門の部屋で適当な本を借り、自分と无にあてがわれた部屋に戻ってきたところで聞こえた、自分の名を呼ぶよく聞き慣れた声。
 花礫が足を止めて振り向くと、思った通りそこにいたのはめずらしく早く任務から帰ってきたらしい與儀だった。
 着ているパーカーのフードを目深に被っているから目元は見えないが、弧を描いた口元と口調からするにどうやら彼はひどくご機嫌のようだ。

「何? つか今日早くね、もー終わったの」
「うん、今日はね、昼からココで検診だったんだ。燭来てたでしょ」

 言われてみれば、たしかに昼過ぎに見慣れない白衣を数人見かけた。あれは研案塔の人間で、きっと何かの用事で貳號艇に来ていたのだろう。
 検診と聞いて、そういえば與儀が数日前に検診をサボったとかで平門に叱られていたことを思い出した。『だって燭先生こわいんです』と涙ながらに反論していた彼を見て、自分よりいくつも年上の大人のくせにだっせーな、と思ったものだ。

 いくら反論をしても、サボった分の検診を受けなければいけない事実は変わらない。もしかしたら、今日は平門に適当に騙されて貳號艇に留め置かれ、研案塔職員に捕まえらえて、検診を受けていたのかもしれないな、と花礫はひとり納得した。

「痛かったんだよ、注射。見てコレこの痕」
「お前が逃げるとかしたんだろ」
「ちょっと! 流さないで、ちゃんと見てよ」

 まぁ多少コドモっぽくはあるがこの素直さと明るさはけして嫌いではない。それどころか、いつもはくたくたになって夜遅くにしか帰ってこない恋人と予期せず会えたことでなんだか心の奥が擽ったい気分だ。
 それを隠すように、花礫は普段通りを心掛けて與儀の相手をした。目の前にずいっと差し出された與儀の腕。肘上まで袖を捲っていた彼は、花礫の視線がそこに向けられているのを確認すると、そこに貼ってあった止血用の白いテープをそっと剥がしてみせる。

「あ、でも確かに痛そ」
「でしょ!?」

 今花礫がやった事といえば、與儀の意見に軽く同意してやっただけ。なのに、與儀はそれだけで嬉しそうに声を弾ませる。
 一応大人のくせにちょろすぎんだろ、なんて思うと、思わず笑ってしまいそうになる。

「燭ひどいよね、絶対俺にだけ雑だって、も〜…」
「うん、まぁ……、……? 今お前、あかりっつった?」

 そんな浮ついた気持ちの中でも感じた少しの違和感。
 それをそのまま口にすると、與儀ははっとしたように口元を手で隠し、ばつが悪そうにフードの向こうから花礫の顔を覗いてきた。髪と瞳がちらりと見えて、花礫はその色に息を飲む。
 與儀の温かみのある金色と、きれいなアメジストはどこにもなかった。
 その代わりにあったのは、銀色。氷晶の街リノルで初めて会ったもう一人の與儀の、あの色だった。

「おま、銀……!」
「しっ。ね、俺の部屋行こ」
「え、おい、ちょっ、」

 何すんだよ、と言う間もなく與儀に手を引かれて走りだす。貳號艇の廊下に、焦ったような花礫の声と二人分のぱたぱたという足音が響いて、通りすがりの羊が不思議そうに首を傾げた。
 静かにするメェと小言を言われ、俺だってできれば静かにしてぇよと舌打ちをひとつ。

「〜〜與儀ッ!」

 いい加減にしろ、との思いを込めて花礫は自分の手を引く男の名前を呼んだが、與儀はちらりと振り返り楽しそうな笑顔を見せるだけ。結局、いくつかの曲がり角を抜けて見慣れたドアの前まで、止まってくれることはなかった。

 手早く鍵を開けて花礫をドアの内側に連れ込むと、與儀はそのままの勢いで花礫のことを腕の中に閉じ込め、ぎゅっと抱きしめた。開けっ放しだったドアがゆっくりとしまり、ぱたん、と音を立てる。
 急に何するんだよと文句のひとつも言いたかったが、いつもとおなじほっとする体温になんだか絆されてしまって、花礫はとりあえず目を瞑り上がった息を整えることに専念した。

 外界と遮断された静寂の中、はぁはぁと二人分の荒れた息が治まってくると、與儀がふふっと笑い声を零す。

「はぁ……ドキドキしたね」

 まるでいたずらに成功した時のこどものような無邪気なその笑顔に、花礫は不覚にも胸がきゅうっと苦しくなった。先程まではこの銀色の強引さに多少なりと怒っていた筈なのに、笑顔ひとつで打ち消されてしまう自分の単純さに複雑な気分になった。

「もーおまえ、急に走るのやめろよ」
「久しぶり、花礫」
「……久しぶり」

 そんな花礫の気持ちなど知ることもない銀色の與儀は、にこにこ笑顔のまま走ったせいで乱れてしまった花礫の髪を掻きあげて、顔を確かめるように正面からじっと見つめてきた。

「随分、機嫌がいいんだな」
「ん? うん。またこうやって出てこれたから」
「出てこれた、って……そういやなんでお前パッチ剥がれてんの?」

 自分だけ撫でられるのがなんとなく気恥ずかしくて、花礫は與儀の左頬に手を伸ばした。いつもパッチが張られている左頬をするりと撫でる。その感覚が気持ちよかったのか、與儀は心地よさそうに目を細めて花礫にされるがまま。その仕草はまるで、飼い主に撫でられて喜ぶよく慣れた大型犬のよう。

「ん〜いつもだったら検診は研案塔だし俺もそのまま眠るんだけど、今日はココだったから……」
「抜け出してきたんじゃねーだろーな?」
「ううん、誰にも見つからないようにするからって泣き落とした」

 誰を? と聞くと、燭を。と答える。與儀に泣きつかれて眉間にシワを寄せている燭の姿が脳裏にぱっと浮かんで、なんだかおかしくなって、思わず吹き出してしまう。
 與儀も、燭意外と優しーんだよね、と笑った。

「ねぇそれよりさ、」

 ふと笑うのをやめて、與儀は優しげな笑顔で花礫に声をかける。ん? と続きを促すと與儀は花礫の髪に手を伸ばし、その綺麗な黒髪をそっと一撫でした。

「花礫、ありがと」
「何が?」
「燭にも誰にも、言わないでいてくれたんでしょ。この間のこと」

 この間の、こと。
 そう言われて、前回銀色の與儀と会った時のことを思い出す。脳裏に浮かんだのは、ボタンを開けたままの白いシャツを羽織っただけの姿で自分に覆い被さる與儀の姿だった。

(〜〜っ、言える訳ねぇだろ……)

 それに至るまでと、その後を思い出しそうになって慌てて封印する。その生い立ち故ポーカーフェイスが得意な花礫といえど、あんな夜を思い出してしまっては普通に話を続けられる自信なんてない。

「……べ、つに。礼言われるようなことじゃねぇし」
「でも、おかげでまた会えた」

 けれどちらりと思い出した姿だけでも心が乱れるには十分だったようで、花礫はろくな返事も誤魔化しもできないまま俯いてしまう。

「きっと燭にバレてたら、こうやって会わせてなんてもらえなかっただろうし……そんなの寂しいじゃん」
「そうかよ」
「そうだよ」

 変なの、と呟いてしまったのは無意識だ。與儀はそんな花礫を見て、ふふっと笑いながらもう一度髪を撫でた。そのまま頬に大きな手を滑らせて、なめらかな頬をふにふにと押す。こんな子供扱い、いつもの花礫ならばやめろと手を振り払うところだが、なんだかそれもできずにされるがまま。

「あれ、花礫顔あつい?」
「なんでもねーよ……」

 頬に添えられていた手が、そのまま体温を測るように首筋までをなぞった。不意打ちで無防備なところを触られた花礫の肩が、びくんと跳ねる。

「ねぇ、やっぱり熱いよ。大丈夫?」
「それより! 随分、燭に懐いてんだな」

 内心動揺しているのを見抜かれているような気がして、花礫は慌てて話題を逸らそうと與儀の顔を見上げた。急に顔を上げたから與儀の顔に花礫の頭がぶつかりそうになり、與儀がわぁっと声を上げて顔を引いた。

「え、え? 燭?」
「いつもはすげえアイツのこと避けてんじゃん。検診とかもサボりまくってるくせに、今日はいいのかよ」
「あー」

 二人の近すぎた距離に少し余裕ができる。

「そうみたいだね。でも俺は平気、燭は俺のこと邪魔者扱いしないし……っていうか、花礫はなんでそんなに機嫌悪いの」
「べつに普通、つかそろそろ離せよ」
「えー…やだよ、なんで……」

 お互いの顔がよく見える距離になって、花礫がご機嫌ななめになっているのに気付いたのだろう。その原因を聞いてみてもはぐらかされてしまった與儀は、少し不思議そうに考えて、閃いたとでもいうように目を輝かせた。

「あっ!!! ねぇ、ねえ花礫」
「なんっだようるせぇなぁ」
「ねぇっもしかして、嫉妬してくれてんの?」
「ッ、し、してねーよバカ!」

 嫉妬してるだなんて、花礫にとってはあまりにもいつもの自分ではありえない言葉だったものだから、動揺のあまり必要以上に大声になってしまった。顔がすごく熱くて、きっとまっかになっているであろうと予想がつく。これでは、いくら否定の言葉を口にしたとはいえ『はい嫉妬しています』と言っているようなものだ。

「嬉しい」

 案の定全く効果がなかったようで、與儀は花礫のかわいらしいやきもちに素直に喜んで腕の中に閉じ込めたままだった細身のからだをぎゅうっと抱きしめた。展開についていけず慌てるばかりの花礫の耳元で、ねぇ花礫、と名前を呼ぶ。
 囁くような甘い声に、ぞくんと背筋が震えた。

「この間の約束、覚えてる?」

 先程慌てて封印したはずの、この前会った時の記憶。
 與儀に再度促されて、無理やり呼び起こされてしまう。

 與儀の部屋でさんざんセックスをした後、二人して心地良い眠りに落ちていたら意識を飛ばしたらしい與儀に変わって銀與儀が目覚めていたこと。
 彼に起こされ、腕の中に閉じ込められて、お願いと請われて断れずに抱かれたこと。
 それから、行為が終わり体力の限界でへとへとになっていたところで、耳元で囁かれた言葉。

――今度はさ、『俺』だけに抱かせてよ

 その言葉を受け入れることも拒否することもできずにいた自分に降ってきた柔らかいキスの感覚に、ああ、與儀と一緒だなんて思ったことも覚えている。

 もしかして、今があの時言っていた『今度』なのだろうか。
 そう気付いて顔を上げると、ばちんと視線がぶつかった。

「思い出した? ……いい?」







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20140926 新規作成
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