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初めてのキスと、與儀のわがまま -1-

「ねぇ花礫くん、俺は君のことが好きだよ」

 息が触れそうなくらいに近い距離で伝えられた言葉に、一瞬思考が止まった。

「――花礫くんは?」

 囁くように俺の名前を呼ぶ與儀の声が耳に届くと、頭の奥がジンと痺れる。返事をしなければと思うけれど、何と答えればいいか分からず言葉が出てこない。

 感情表現が豊かな與儀は、毎日よく笑って泣いて、本当に色々な表情を見せていた。だから俺は、もうこいつの見たことない表情なんてないと心のどこかで思い込んでいたみたいだ。
 でも、こんな真剣な眼差しなんて知らない。声だっていつもと違って随分と甘い。こんな表情で、声で、『好き』だなんて反則だ。

「……ッ、馬鹿じゃねぇの」

 どくどくと大げさな音を立てる自分の心臓に戸惑いながらようやく口にできた言葉は、あまりにもいつも通りの可愛げの欠片もないものだった。
 せっかく與儀が気持ちを伝えてくれて、俺だって伝えたいのに、それができない自分の幼さに腹が立つ。
 顔だって思わず逸らしてしまったし、あぁもう、俺は何のためにこんな夜更けにこいつの部屋まで来たんだって泣きたくなったところで――頬に、與儀の唇が触れた。



****


 熱くなった花礫の頬にそっと触れた與儀のくちびるが、ちゅ、と可愛らしい音を立てて離れてゆく。
 ほんの少し視線を戻せばそこに與儀の顔があるのは十分すぎる程に解っていたけれど、花礫はまるで魔法にでも掛けられてしまったかのように視線すら動かすことができない。けれどその視界から與儀が消えることはなくて、その近すぎる距離にこれから何をするのかを教えられている気分だった。

 先程頬に触れたそれが今度は花礫の唇に触れるまで、時間にすればせいぜい数秒だっただろう。與儀からすれば、大切にしたい相手への猶予の時間だった。大好きだけど、だからこそ嫌なら今のうちに拒否して欲しいと思ったのだ。

 けれどその心配は杞憂に終わった。花礫は今まで生きてきた中で経験したことのない種の緊張に耐えるので精一杯で、自分の鼓動が與儀に聞こえていないかなんてありえないことを心配していた。もちろん嫌だとか、逃げたいだなんて欠片も思い浮かばなかった。もうひと思いに奪ってくれればいいのに、とまで思った。

「……っ」

 永遠にも思える数秒の後に、ようやく交わした初めてのキス。
 ぎゅっと目を瞑っていたから、啄まれる感覚がやけにリアルに感じられた。想像していたよりもずっとやわらかい感触は、まるで與儀の優しさを形にしたようだと溶けてゆく意識の中で思った。
 間を置かず与えられた二回目。今度は、優しさの中に少しだけ力強さが加わった。いつの間にか頬に添えられていた大きな手にゆっくり導かれ上を向くと、食まれるようにぱくりと唇を塞がれる。固く閉じたままだったそこを舌でノックされ、その擽ったいような気持ちいいような感覚に肌が粟立った。緊張で止めたままだった息が苦しくなっていたのもあって、花礫のからだは足りない酸素を求めるように唇を開ける。はふ、と漏れたあまい吐息に誘われるように、與儀は熱い口内へと舌を差し挿れた。

「んん……っ」
「好き、花礫くん、ね、すきだよ……」

 どんどん深くなってゆくキスを受け入れるのに精一杯な花礫に対して、與儀は器用に息継ぎの合間に愛の言葉を重ねていく。熱い頬や、ちいさな耳たぶ、それから、自分の腕をきゅっと掴んでいる指。赤く上気したそれらが視界の端に映る度、花礫の事がたまらなく愛しく思えた。小さく震える指先をそっと撫でて手をとり、安心させるように指を絡める。

「與、儀、っはぁ、待って……っ」
「――ん。ごめん、ね。びっくりした?」
「違……ただ、息が」
「うん、苦しかったね。ごめんね」
「ガキ扱い、すんなってば……」
「うん……」

 照れ隠しの言葉も、俯く仕草も、花礫の全てが今までにないくらいに可愛く見えるのが不思議だった。ああ、キスってすごいなぁ。幸福感の中でそんな事を思いながら、與儀は自然と笑顔になる。その包み込むような雰囲気に誘われたのだろう、花礫は戸惑いながらも甘えるように與儀の肩口に顔を埋めた。
 出会ってから今まで、どんなに仲良くなろうとしても、まるで人馴れしていない野良猫のようにツンツンとした雰囲気を消し去ろうとはしなかった花礫が、初めて見せた甘える仕草。もちろんそんな凛とした所も彼の魅力だったけれど、こうやって心を許して甘えてくれると嬉しくて嬉しくてたまらない。
 それだけに、明日からしばらく離れ離れになるのがひどく寂しくて、與儀は花礫の細身のからだをぎゅうっと抱き締めると願いを口にした。

「花礫くんあのね、ひとつだけ、わがまま言っていい?」
「……何?」
「今日、朝まで一緒に居られないかな」
「――っ、」
「大丈夫、キスだけで、後はなにもしないから……」

 痛いくらいに抱きしめられて、絞り出すような声でそう請われて。與儀の腕の中の心地よさを知ってしまった花礫には、それを拒否できるはずなんてなかった。

「キスはするのかよ」
「したくない?」
「……そうは言ってない」
「ふふ、うん」

 じゃあいっぱいするから、覚悟しててね。
 そう言いながら與儀は花礫のからだをひょいと抱きかかえてベッドに向かう。いつものように、ガキ扱いすんなとは言えなかった。初めてのキスでなんだか足に力が入らなくて、ちゃんと歩けるか自信がなかったからだ。ベッドに降ろされる直前に額に落とされた軽いキスが、大事に扱われている証のように感じられて、とても嬉しかった。






改定履歴*
20130602 新規作成
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