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ずっと一緒に -1-

「コーヒーを持ってきたメェ。砂糖もミルクもいらないメェ?」

 よく晴れた、気持ちのいい朝のこと。
 爽やかな空気に満たされた貳號艇長室に、淹れたてのコーヒーのいい香りがふわりと漂う。

「このままでいいよ。ありがとう」

 優しい笑顔で羊からカップを受け取った平門は、執務机の椅子に座ってそれをこくんと一口飲み込んだ。いつも通りおいしいその味に満足して書類に向かい、頭の中で今日の仕事の段取りを立てはじめる。

 まずはこの書類を片付け、次に執政塔からの依頼に対応して、午後からは研案塔へ。帰艇次第、明日から数日間の出張の準備を――ざっと考えるだけでも相変わらずため息のひとつもつきたくなるような忙しなさだ。平門は、けして仕事が嫌いな訳ではない。けれどこうも忙しさが続くと、息苦しさを感じることが全くないとも言い切れない。
 それから逃れるように、机の隣にある窓に目をやる。窓の外に広がるのは雲ひとつない秋晴れの空だ。そこに飛行機がすうっとひとすじ、白い線を描いて飛んでゆくのが見えた。
 なんとなく気分が和らいで、今度は自分のベッドを見やる。微かに上下する毛布と見え隠れする金色の髪に、今度は平門の口元がふっと孤を描いた。
 そこにいるのは、もちろん與儀だ。プライベートにはあまり他人を立ち入らせない平門が、唯一自分のベッドに入ることを許す存在だった。

 與儀が貳號艇の闘員になってから、1年あまりが経つ。
 『平門サンの力になりたい』とそれだけを願って厳しい訓練を乗り越え、トップランクという成績を修めて輪の闘員試験に合格した彼は、平門に負けず劣らず忙しい日々を過ごしていた。艇長になりデスクワークが増えた平門よりも帰りが遅いことが多いくらいだ。
 ちなみに平門は、與儀が闘員になって以降、その帰艇を待たず眠ったことはない。與儀も、どんなに疲れていようと自分の部屋ではなく平門の私室を兼ねたこの艇長室へとやってくる。そうすると約束をしている訳ではないが、それがふたりの習慣だった。

 昨夜だってそうだ。時計の針が午前二時を回った頃、艇長室のドアが控えめにノックされた。シャツにカーディガンを羽織り後は眠るだけの格好で與儀の帰りを待っていた平門は、そのノックを耳にした瞬間弾かれたように立ち上がりドアを開け――そして、そこにいた與儀のぼろぼろの姿を一目見るなり汚れるのも厭わずそのうすい体を抱きとめた。

『ひ、平門サン……?』

 耳元で戸惑ったように自分の名を呼ぶ與儀の声が聴こえる。
 最近では艇長と闘員という立場上、平門はあまり表立って與儀を特別扱いしなくなった。ただいま、おかえりの挨拶で與儀を抱き上げることもなくなった。初めはそれが寂しかった與儀も、ようやく慣れはじめたところだった。そこで久しぶりに感じる平門の体温に驚いたのだろう。
 それは解っていたけれど、平門は與儀を離してやることができなかった。こんなに帰りが遅かったのは、はじめてだったのだ。日付が変わってからは特に、1分が10分に、10分が1時間にも思えた。
 夜の空を飛んだせいで冷えてしまっている、腕の中のからだ。でも、きちんと脈打っている。與儀の指先が、遠慮がちにそっと自分の背中に回される。
 ――よかった。今回も無事に帰ってきてくれた。
 平門の目の奥が、じんわりと熱くなる。気を抜くと、いつも泣き虫だと笑っている與儀のように、涙を零してしまいそうだった。
 任務をいくつこなそうと、いくら身長が伸びようと、平門にとっていつでも與儀は守るべき対象で、特別なのだ。任務に出すたび心配なのは、いつまで経っても変わらない。
 どんなに遅い時間であろうと與儀の帰りを待つ、というか、無事に帰ってきた顔を見ないと眠れないというのが本当のところだった。

『――おかえり、與儀』

 気持ちを落ち着けるようにすうとひとつ息を吸って、與儀のからだをもう一度ぎゅっと抱き締める。ようやく絞り出せた声でそう労わると、それまで戸惑いを隠しきれなかった與儀の表情がみるみるうちに幸せそうな笑顔になる。そして與儀は、まるで疲れが全て吹き飛んだかのように嬉しそうな声で『ただいまです、平門サン』と返した。

 よほど疲れていたのだろう、放っておけば與儀は平門に身を任せその場で寝てしまいそうだった。
 そのまま寝かせてやりたいのをぐっと堪え浴室へ送りだし、戻ってきたら半分眠っている與儀の髪を乾かしてやって。ようやく二人でベッドに潜り込んだのが、確か6時間前。
 彼はまだまだ、夢の中のようだ。

 自分のベッドですやすやと眠っている與儀の、まだあどけなさを残した寝顔が目に入る。最近彼が多く見せる闘員としての凛とした表情とは違う、心底気持ちよさそうで幸せそうな寝顔だった。まだ14なのだからこれが普通なのだ。本当なら、昨日みたいに夜遅くまで働くことも、能力者と戦って傷つくこともない。けれど與儀は自分の為に闘員になることを選んで、あんなにも頑張ってくれている。
 改めて、自分も負けてはいられないと平門は身が締まる思いだった。

「……よし、やるか」

 ぐっと背筋を伸ばし、改めて書類に向かう。
 早く仕事を片付けて午前中に時間が空いたら、與儀を起こして一緒に昼食を摂ろう。そう思うと、なんだかやる気が倍増した気がした。



****

「邪魔するぜー。平門、いる?」

 コンコンと小さく艇長室のドアがノックされ、その直後自分の返事を待たずにドアが開けられる。
 自分の名を呼んだその声に、平門は訪問者を見ることなくそれが誰であるかを確信した。いや、それでなくても、事前伺いもなしにこんな朝早くから自分の部屋へやってくるのなんて、この男――朔しかいないのだが。

「平門? いるなら返事くらい……」

 目が合ったにも関わらず一言もない平門に抗議の声を上げつつも、朔は平門が視線で指す方に目をやった。

「――っと、すまん」

 その先にあるのは、平門のプライベートスペースだ。貳號艇長専用の筈の大きなベッド、その真ん中にこんもりとした山があるのを見た朔は、しまったというように目を瞬かせ、小さな声で謝罪の言葉を口にした。

「與儀はまだ寝てんの? 風邪?」
「いや、昨日は任務で少し帰りが遅かったからな。起きるまで寝かせておいてやるさ」
「へえ、頑張ってんだな、あいつも」

 極力音を立てないようにそっと平門の執務机まで歩を進めた朔が、ベッドに視線を向けたまま小声で訊ねた言葉に、平門は書類に目を向けたままそう返す。気心の知れた親友だからこその距離感だった。

「それより朔、朝からどうした。壱號艇は暇なのか」
「そう言うなって。お前に相談があってきたんだよ」
「相談?」
「あのさ、明日からの共同の任務の事なんだけど――…」

 與儀を起こさないように、会話は自然に小声になる。
 平門はもちろん、朔にとっても與儀は可愛い弟のような存在だった。與儀と平門が一緒に寝ていると初めて知った時には『あの平門がなぁ』となんとも言えない気持ちになったけれど、もうすっかり慣れてしまった。
 それに、何年経とうと変わらず平門を慕う與儀と、あまり表には出さないものの心の内では彼を可愛がっている平門との絆が少しだけ羨ましくもある。勿論、自分がそうなれるとは思っていないけれど。

「――じゃあ、明日は8時に迎えにくるわ」
「ああ、頼む。それから研案塔経由で目的地へ、だな」
「おう」

 平門と朔が一通り打ち合わせを終えた頃、ベッドの方で微かな衣擦れの音が聞こえた。慌てて会話を中断し、顔を見合わせ口元にしーっと指をあてる。

「んん……」

 先程までこちらに背を向けくるんと縮こまって寝ていた與儀は、ふたり分の視線を一身に浴びながらもそれにまったく気付くことなくゆっくりと寝返りをうって仰向けになった。
 変わらず気持ちよさそうな寝息を立てはじめたその姿に、朔と平門は揃って安堵のため息をつく。

 今はもう9時を回っているし、仮に起こしてしまったとしても全く問題ないのだが、つい甘やかしてしまうのは彼の寝顔があまりに幸せそうなものだからだろう。
 すこし寝癖のついたふわふわの金髪、伏せた瞼を彩る遠くからでも解る程に長い睫毛、つやつやで形のよい唇は、楽しい夢でも見ているのだろうか、嬉しそうに孤を描いている。與儀の寝顔には、思わずもっと寝かせてあげていたいと思ってしまう魅力があった。

「……よく寝てるな」
「ああ」

 ふと、朔が笑い声を零す。

「風邪ひかねーの、アレ」

 起こしてしまったかと焦って顔にばかり気をひかれていたけれど、言われてみれば、與儀は寝返りついでにいままで自分がくるまっていた毛布を蹴り飛ばしてしまっていた。しかもパジャマは胸の上まで捲れ上がり、呼吸の度に上下する白くて薄い腹部に加えてちいさな胸の飾りまでもが見えてしまっている。

「あはは、すげー捲れてる」
「本当だな」

 さすがにこのままにはしておけない、と平門は椅子から立ち上がりベッドの傍へ。風邪をひくぞとちいさく声を掛けながら、平門は與儀の服の裾を直し毛布を胸のあたりまで掛けてやった。

「んぅ……、ひ、らとさ……?」
「まだ寝てていいから。暖かくしていなさい」

 平門がそのままごく自然な動作で與儀の頬を撫で、與儀がまどろみの中その大きな手に嬉しそうに頬を摺り寄せる。
 朔は、まるで映画のワンシーンのようなその光景から目を離すことができなかった。



「……平門さぁ」
「ん?」
「與儀はまだ魘されてんの?」

 與儀の毛布を掛けなおし執務机へ戻ってきた平門へ、なんの気なしに朔が訊ねた言葉。本当に何気なく訊ねただけなのに、思いがけず平門が目を丸くしたから、朔は自分まで驚いてしまった。

「いや、アイツ一人で寝かすと魘されて起きるから一緒に寝るようになったって言ってたじゃん。まだ一緒に寝てるってことはそうなのかと思って」
「――ああ」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと焦った朔の補足で、平門は與儀が艇に来たばかりのことを思い出す。
 與儀は10歳の時に輪へ保護されてから、研案塔でも貳號艇でも一晩中穏やかに眠れることはなかった。リムハッカで彼の心の奥深くに刻まれた深い傷が原因なのだろう。
 暗い部屋でひとり静かに大粒の涙を流す與儀を宥めにいくのは、保護者代わりの平門の役目だった。けしてそのことが嫌だった訳ではないけれど、與儀の為には朝まできちんと寝かせてあげるのが彼を保護した自分の役目だと、平門はずっとそう思っていたのだ。
 簡単なようで難しいそれがどうやったってうまくいかず焦るばかりだったある日、ほんの思いつきで一緒に寝てみたところ、なんと與儀は初めて朝まで起きることなく寝てくれた。勿論すぐに毎日朝までという訳ではなかったが、泣いて目を覚ます回数はゆっくりと、でも確実に少なくなっていった。
 それが、平門と與儀が一緒に眠るようになったきっかけ。

「突然何を訊かれたのかと思った。言われてみれば、もう最近は朝まで目を覚まさずに眠っているようだな」
「そっか! よかったなぁ。努力が実ったって感じだな」
「そうだな」
「じゃああいつもそろそろ一人立ちかぁ」

 懐かしい想い出に重なった朔の言葉に、平門は一瞬言葉を失った。
 確かに、ここしばらく與儀が魘されているところは見ていない。朔の言うとおりもう一緒に眠る必要はないのかもしれない。
 けれど、あの夜。まだ幼い與儀を初めて自分のベッドに迎え入れ、一緒に寝た夜。
 あれ以降、與儀は平門が艇を留守にする時以外はほぼ毎日のようにこの部屋へ来る。平門が仕事に追われている時は先にベッドに潜り込むし、そうでない時は一緒にベッドに入って、楽しそうにその日あったことを話してくれる。今日のように與儀が忙しく帰りが遅い日も増えたけれど、そんな日は平門が仕事をしながら待つ番だ。
 はじまりは確かに『與儀が朝まで泣かずに眠れるように』だったけれど、今はもうそんなこと関係ない。電気を消すまでの僅かな時間は、二人にとってなにより大切な時間になっていた。

「そう、……だな」

 けれど私情を抑え客観的に考えれば、與儀も任務で忙しい身。自分の所にくる手間を省けば、その分ゆっくり眠れるのではないだろうか。それにまだあどけなさが残るとはいえ、もう與儀も14歳で、普通であればとっくに一人で寝る年齢だろう。いつまでも甘やかしていては彼の為にもならない。

「確かに、そろそろ一人立ちさせてもいいのかもしれないな」

 與儀のことを考えたからこその結論だった。
 そうする方がいいと解っているのに――自分が口にした言葉に、平門の胸は鈍く傷んだ。



****

「明日から、別々に……ですか?」

 『與儀を一人立ちさせる。もう甘やかさずに、一人で寝かせる』
 先程決めた決意が鈍らないうちに、と平門はその日の昼食で與儀にそのことを伝えた。
 もうお前も大きくなったし、お互い忙しいし。明日からは別々に寝よう。
 與儀をけして傷つけることのないように、丁寧に言葉を選んだ筈だった。それでも、與儀にとってはやはりショックだったようだ。彼は言われた言葉を確かめるようにゆっくり復唱して、そしてそのまま黙りこんでしまった。

「……與儀?」

 そっと名を呼べば、驚いたように薄い肩が跳ねる。ひと呼吸置いて自分を見る捨てられた仔犬のような瞳に、平門の胸がずきんと痛んだ。
 ――もう昼だぞ、起きなさい。昼食を一緒にたべようか。お前の好きなメニューを羊に頼んでおいたよ。
 30分程前に彼を起こした時からほんの一分前までは、與儀は自分の言葉ひとつひとつに嬉しそうな笑顔を見せてくれていたのに。今はそれとは対象的に、泣きそうな顔をさせてしまっている。

「與儀、どうしても寂しくなったら、いつでも来ていいから」

 與儀の涙が苦手な平門が思わず口にした言葉に、與儀は目を丸くして、そしてふふっと笑顔を零した。

「あは、だめですよ平門サン。それじゃ今と一緒です」
「お、お前が泣きそうな顔するからだろう」
「ごめんなさい」

 平門は幼い頃から成績優秀で、いわゆる優等生と呼ばれるタイプだったから、自らのペースを乱されることに慣れていない。くすくす笑う與儀から顔を背け、頬杖をついて赤くなった頬を隠し動悸が収まるのを待った。

「……平門サン。明日からってことは、今日までは、一緒に寝ていいんですよね」

 だから、気付くのが遅れたのだ。與儀の目に、涙が滲んでしまっていたことに。

「っ、與……」
「今日! 夜、いつも通りに来ますね」

 平門の言葉を遮って、與儀はがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。手の甲でぐっと目元を拭ったように見えたけれど、先程あの紫の目に浮かんでいた涙は溢れてしまったのだろうか。

「じゃあ、行ってきます!」

 それを聞くよりも早く彼は元気な声で任務に出ていってしまい、平門はその背を見送ることしかできなかった。



****

 貳號艇長室の扉が静かにノックされ、ふわりと室内の空気がそよぐ。
 顔を上げた平門の深い紫の瞳に映るのは、夜空に淡くきらめく月の色。
 彼が、この世で一番好きな色だ。

「平門サン。お邪魔していいですか?」
「いいよ。おいで」

 仕事の邪魔をしてしまわないかと遠慮がちに様子を伺う與儀の言葉に、平門はやさしくそう返した。自分を迎え入れる平門の笑顔につられ、花が咲くように綻ぶ與儀の笑顔はとても可愛らしいものだったが――やはり、さみしさを隠しきれてはいなかった。平門もそれに気付いてか、それとも彼自身の心境が原因か、ほんの少しだけ眉が下がった。
 なんとなく俯いてしまった與儀の目線の先に、大きな手が差し出される。気づけば與儀は、無意識のうちにその大好きな手に自分の手を重ねていた。

「よし、寝ようか。こんな時間に寝るのは久しぶりだな」
「あれ……平門サン、仕事は?」
「今日はもう終わり。ほら、與儀」
「え、え、」
「おいで」

 促されるまま、ふたりで平門のベッドに潜り込む。
 毛布で包まれる寸前にちらりと見えた壁の時計の針は、まだ23時かそこらを指していた。平門の言う通り、こんなに早い時間から寝るのは久しぶりだ。

(平門サン、仕事あるはずなのに)

 與儀は平門の仕事の詳しいことは分からないけれど、平門がいつも日付が変わってからようやく一息つくことだけは知っている。きっと艇長の仕事が途切れることはないのだろう。

(……最後、だからかな)

 そんな平門がこんな時間にベッドに入る原因は、ひとつしか思い浮かばなかった。
 ――思い上がりかもしれない。でもきっと平門サンは、仕事より俺と過ごす時間を優先してくれているんだ。

「平門サン……」
「ん?」

 嬉しい気持ちと、これで最後なんだという悲しい気持ちがごちゃまぜになって、與儀の胸が締め付けられるように痛む。

「どうした、與儀」
「――な、なんでもないです」

 仕事、本当に大丈夫なんですか? 俺待ってますから、お仕事優先してください。

「なんでも……」

 そう言うべきだと解っている。解っているけれど、言えない。
 だって今日で最後なのだ。こうやって一緒のベッドで過ごせる時間は、もうあと数時間しかない。その貴重な時間を減らす言葉を、どうしても與儀は口にできなかった。

「……ごめんなさい」
「どうしたんだ、一体」

 平門にぎゅっと抱きつき顔を埋めて小さな声で謝る與儀に、出会ったばかりの頃の彼の姿が重なる。身長が伸びても声変わりをしても変わらないその仕草に平門はふっと笑い声を漏らし、それを誤魔化すように、與儀の背を宥めるようにぽんぽんと叩いてやった。
 そっと目を瞑った與儀の耳に、平門の胸の奥から、とくんとくんと心臓の鼓動が伝わる。與儀がいちばん、落ち着く音だ。

「俺、平門サンの隣がいちばん好きです。落ち着きます」
「なんだ急に」
「言いたくなったんです。ね、平門サンは? 俺がいたら落ち着きます?」

 それまで大人しく腕の中にいた與儀が顔をあげて訊ねた質問に、平門は目を瞬かせる。與儀のアメジスト色の瞳が、すこしだけ涙に潤んでいるような気がした。

「そうだな……お前がいると暖かい、かな」
「あたたかい?」
「ああ」

 不安にならなくても大丈夫だ、一緒に寝るのは今日が最後だけど、でもお前のことはずっと大事で、大切に思ってるよ。
 そんな想いを伝えようとした平門の声はとてもやわらかく甘いもので、その包み込むようなやさしさに不安で押しつぶされそうだった與儀の心もふわりと軽くなった。

「えへ……冬限定、ですね」
「うん、―ーいや」

 だから、それで満足だったのに。
 自分がいると、平門サンがあったかくなってくれてる。それだけで満足だったのに。

「季節に関係なく、お前がいるとあったかいよ」
「え……」
「明日から、寂しくなるな」

 それに続いた平門の言葉に、與儀の心が大きく乱れた。

「〜〜ッ、ひらとさん、だめですよ」
「ん?」
「そういうの、だめです。寂しいの我慢してたのに、我慢できなくなるじゃないですか……」

 がばっと音を立てて起き上がり、大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、與儀は初めて弱音を零した。昼食の時に平門から別々に寝ることを伝えられて以降、一日中與儀は不安で仕方なかったのだ。

 平門は記憶をなくした自分を保護し、ずっと隣にいてくれた。兄のように親のように、支えて甘やかして、ずっと見守ってくれた。今まで一緒に寝ていたのが特別なだけで、別々に寝るのが普通なんだよと言われて、それは理解できたけれど心がついていかなかった。大好きな平門に、嫌われたのだとは思いたくない。思いたくないけれどもしかしたら……と、嫌な想像が頭から離れてくれなかったのだ。

「寂しいです」

 けれど、普段あまり自分の気持ちを口にしない平門が、先程ひとことひとこと伝えてくれた言葉が嬉しかった。一緒に過ごす時間を、平門も心地いいと思ってくれていたことが嬉しかったのだ。嬉しくて、ほっとして、もう気持ちを抑えることなんてできなかった。

「――うん」
「平門サン。平門さん。俺……」

 ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、與儀は何度も繰り返し平門の名を呼ぶ。平門も上体を起こし、指先でそっとその涙を拭ってやった。
 闘員になってからずっと気を張って背伸びしていた與儀がやっと見せてくれた年相応の姿に、平門はそっと安堵の息をつく。寂しいのを我慢してひとりで泣かれるよりは、今こうやって全部吐き出してくれた方がずっといい。

「ぅっく、俺、っ、寂し、です、ひらとさんっ」
「うん、俺もだよ」
「寂し……の、俺だけかと、思って、言えなくて」
「俺は、お前が思ってる程大人じゃないよ。お前と一緒で、寂しいよ。でも、――お互い、大人にならないとな。與儀、がんばろう」
「は、い……平門さ、ひらと、さ、んん」
「よしよし」

 後から後から零れ落ちる與儀の涙が止む気配はなく、ふたりが眠りについたのはいつもよりも遅いくらいの時間だった。



end

改定履歴*
20131129 新規作成
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