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「與儀を、闘員に――ですか?」

 それはまさに、青天の霹靂であった。
 明日から数日間の壱號艇との任務の準備をしていた平門は、『燭医師が平門を訪ねてきたメェ』との報告を受け、作業を止め恩師であり現在の上司でもある燭を部屋に迎え入れた。彼が口にした言葉が信じられなくて、思わず聞き返す。

「ああ。来月、クロノメイで輪コースの試験があるだろう。それを受験させろ。手続きは私が請け負う」

 羊に報告を受けた時から、何か重大なことあるのだという予感はしていたのだ。極力自分の所へは来ない燭がわざわざ貳號艇まで足を運んだという事は、電話では済ませられない『何か』がある。そしてそれは十中八九、彼と自分と、それから朔が共有している與儀のことだろうと。
 けれどまさか、これほどのことだとは思っていなかった。
 ――與儀をすぐに闘員にしろ、でなければ彼を手放すことになる、だなんて。

「待ってください燭さん、俺が手放すってどういうことですか? 與儀を貳號艇に、俺に預けると言ったのは燭さんじゃないですか」
「そうだ、俺はこのままお前に與儀を預けていたい。だから闘員にしろ、と言っている」
「話が見えません! どうして急に」

 闘員になるということは、自分と同じように能力躯を倒し、能力者と戦い、葬送し、火不火に立ち向かうということ。危険はもちろん、こころの痛みを伴う大変な仕事だ。
 いかに相手が恩師といえども、與儀を闘員にしろ、と言われてすんなりと受け入れられる話ではない。

「……平門、與儀はいくつになった」
「? 13です」
「そうだ。あれから3年経つ間に随分身長が伸びたな」
「っ、何の話ですか」
「身長だけでなく筋肉がついて、体格がよくなった。声変わりだって済んだ。毎月の検診でわかる與儀の成長は全て記録してある。私はそれを、研究者として上に報告しなければならない」
「燭さん……?」
「與儀は、腕輪無しに飛ぶことができる。自分の体重よりも重いものを持つことも、およそ『通常の人間』ではできないことをやってしまえる。これも彼の中にあるインキュナの影響だろう。――これも、報告しなければならないんだ」
「燭さん!」
「インキュナを体内に埋め込まれても屈することなく共存し、それどころかそのちからを上手く使役している與儀は、上にとって大層興味を引くものらしい。彼を研究対象として、研案塔に戻せと……言われた」

 そこまでを説明し、燭は深く息をついてテーブルに並べられていた紅茶のカップから視線を上げる。平門の深い紫の瞳に映る決意を確かめるために。

「俺は、與儀を手放すつもりはありません」

 平門が燭の瞳をまっすぐ見据えたまま口にした返答に、燭はそっと安堵の息をつく。
 燭だって、與儀を実験台にすることは本意ではないのだ。彼は生粋の研究者で真面目な性格だから、上への報告を誤魔化すことはできない。けれど、平門と與儀を引き離すつもりも毛頭ない。だからわざわざ貳號艇までやってきたのだ。與儀を平門の傍に居させてやれる唯一の案を携えて。

「わかっている。そのためにも與儀を闘員にしろ。そうすればあれがここにいる理由ができるだろう。研案塔に閉じ込めて研究対象にするよりもずっと成果を挙げられるということを示すんだ」
「〜〜っ、ですが、闘員には危険が付き纏います! 怪我もするし、何より與儀に能力者とはいえ元は人だったものを殺せなんて、そんな命令でき……」
「できなくてもやるんだ! でないと與儀は本当に上の実験台になるぞ!」

 やり場のない苛立ちに、ふたりとも思わず声が大きくなる。『実験台』という言葉に平門の瞳が見開かれ、そして戸惑うように揺れた。

「……すまない」
「いえ……」

 思いがけず垣間見た元生徒の弱い面に、燭はそれ以上言葉を続けることができなかった。研究対象なんて丁寧な言葉を使ったところで、その実ただの実験台だということは燭が一番よく知っている。けれどあまりに冷たく響くその言葉は、平門にとって随分ショックなものだったらしい。
 そのまま言葉なくうなだれる平門に何か言葉を掛けてやりたいが、燭はそういったことが苦手だった。すっかり冷めてしまった紅茶を一口飲んで、視線をカップから掛け時計、そうして平門へと移ろわせる。

「燭さん」

 カップの紅茶がなくなってしまった頃、ようやく平門が口を開いた。

「! 何だ」
「與儀は、闘員になればそちらへ渡さずに済みますか」
「ああ、おそらく大丈夫だ。與儀はインキュナの力に慣れているし頭もいい。誰も文句のない働きをするだろう」
「そう、ですね」
「與儀の説得を、してくれるな」
「……」

 どうにか了承してくれたらしい平門の様子に、燭はほっと胸をなでおろす。もちろん100%納得してもらえたとは思えないが、今はそれでもいい。
 與儀を平門から引き離さず、実験台にしなくて済む結果になるならば、それで。

「では私は仕事に戻る。急に時間を取らせて悪かったな」
「……いえ、ありがとうございました」
「――平門。厳しいようだが、あまり猶予はないぞ」

 部屋を出てゆく燭の言葉に、はい、と答える平門の小さな声が響く。燭は出来うる最善の策を与えてくれた。現実的にそうするしかないのだ。だから「はい」と言うほかなかったのに、平門は自分のその返事にひどい苛つきを覚えた。

 與儀の性格は自分が一番よく知っている。彼はどこまでも優しい心根をしていて、自分のみならず周りの機敏にも敏感だ。
 能力者によって怪我をしたり親しい人を亡くした街の人を見れば、きっとひどく心を痛める。そうするしかないと解っていても、元は人間だった能力者を葬送することになれば、そのことにすら傷付くだろう。
 この貳號艇で3年を過ごして、ようやく、泣くことが少なくなってきたのに。きっとまた泣く。あの大好きなアメジストが、また涙で濡れてしまう。ほかの誰でもない、自分が下した命令で。

「なんっ、で……」

 どうしてそんなことを命令しないといけないのだという気持ちと、そうするしかないという諦めにも似た気持ちが平門の中でごちゃまぜになって、目の奥がじんわりと熱くなる。
 闘員にもせず研案塔にもやらなくていいちからが自分にあれば、彼を守ってやれるのに。

 その日は結局、作業途中であった明日からの任務の準備はちっとも捗らず、夜明け近くにようやく眠りに就くことができたのだった。



****

「よっし、あらかた片付いたかな」
「ああ。一時はどうなるかと思ったが」

 壱號艇・貳號艇共同での数日間の任務は滞りなく終わった。
 ところが、それぞれの艇へ帰艇の準備をしていた平門と朔の端末が同時にちかちかと光り、緊急の任務を報せた。輪という職務上、よくあることだ。助けを求める人がいると知れば放っておくわけにはいかず、平門はマントの下に先程買い求めた與儀への土産をしまって、そのまま朔と共に複数の能力者の襲撃を受けているという隣街へと飛び、応戦したのだ。

「しかし一緒にいたのがお前でよかったぜ」
「そうだな、と言っておくか」
「ひっで−なぁ」

 気心の知れた朔との戦闘は、他の誰と一緒の時よりも楽だった。言葉はなくても朔の行動が、考えていることがわかる。街を襲っていた複数の能力者を手際よく葬送したところで艇へ連絡を取ると、応援の到着までまだ少し時間がかかるとのことだった。

「あと30分か。ぼーっとしてるのも何だし、取りこぼしがないか見とこうぜ」
「では30分後にここで」
「おう。……ちょっとまった、あのさ、平門」
「何だ?」
「お前なんか元気ない? どうかした?」
「っ、」

 この数日間の間、ずっとあの與儀のことが心に重くのしかかっていた。任務に差し支えてはいけないと封印していたつもりだったが、この親友には見抜かれていたらしい。けれど平門が何も言わないから、気づかないフリをしてくれていたのだろう。あるいは、平門から打ち明けてくれるのを待っていた、というところだろうか。

 朔に打ち明けられれば、楽になるのかもしれない。きっとこの男は平門を否定するようなことは言わない。自分が與儀を手放したくないから闘員試験を受けさせるのだと言っても、実験台にされるよりそっちがいいに決まってるだろ、お前は悪くない、気にすんな、そう言ってくれるだろう。

「何でも、ない」
「――そっか」

 でもそれは、同時に『與儀が闘員になって傷付くことになっても仕方ない』ということを肯定されるような気がして――結局、言えなかった。

「ま、なんかあったらいつでも言えよ」

 朔は、人との距離感を測るのがとてもうまい。今だって、無理に聞き出そうとせず平門の意思を尊重してくれる。それでいて、突き放しはせずにある一定の距離を保ったまま見守ってくれるのだ。
 けして人付き合いが上手いとは言えない平門が、誰かと親友と言えるまでに仲良くなれたのは、ひとえに朔のおかげだと平門自身も解っていた。ただ、それを口にしたことはなかったが。

「朔」
「ん?」
「……ありがとう」
「おう、気にすんなって。よし、行くか!」
「ああ」

 朔は珍しく礼を言われたことに一瞬目を丸くしたが、すぐにいつも通りの笑顔になる。
 街の北側を朔、南側を平門。なんとなくそう分担し、二人は別行動をとる。けして油断していた訳ではないが、得てしてこういう時に、想定外の事態が起こるものだ。

 平門の耳に小さな悲鳴が届く。しまった、まだ残党がいたか急いで角を曲がった平門の目が捉えたのは、目の前の獲物に襲いかかる寸前の能力者と――與儀と同じ、金の髪をした子どもの姿だった。

 彼の本来の実力であれば、保護対象は勿論自分も怪我一つ負わないようにできる筈だった。けれどあの金色を見た瞬間、その子どもに自分の宝物が重なって見えてしまい、平門は思わずその子どもをなりふり構わず庇ってしまったのだ。
 ほんの少しの判断ミスが、時として取り返しのつかない事態を招くことがある。輪闘員として過ごしたこの数年で、そんなことは嫌というほどに解っていた筈だったのに。


 耳障りな能力者の鳴き声が間近で鳴り響き、強い瘴気と土煙に包まれて、平門は今まで経験したことのない痛みに襲われる。目の前が真っ白になり、意識がふっと遠のきそうになったが、それを繋ぎ留めるようにぐっと歯を食いしばって応戦した。

 かろうじて動く右手でなんとか能力者を仕留めたものの、その右手は深い裂傷を負ったのか脈打つようにずきずきと痛む。まったく動きもしない左手はきっと折れてしまっているのだろう。見れば腹部にはじんわりと赤が滲んでいて、それを認めた瞬間に体がずしんと重くなる。思い切り食いしばったからなのか、それとも最初の衝撃が原因か、口の中は鉄の味がした。

「あ、りがとうございます、ありがとうございます……っ!」
「いいからっ、早く逃げてください。まだ他にもいるかもしれない。鍵を掛けて、なるべくじっとして、絶対に外には出ないで」

 腕の中に戻ってきた我が子を抱き締め涙ながらに礼を言う母親に早く逃げるよう促して、二人が家の中に入る後ろ姿を見守る。そうして、平門は背を壁に預けそのままずるずると地面に座り込んだ。

「はぁ、……っ、は、失敗、したな」

 痛みを堪えようと目を瞑れば、思い出すのは與儀のこと。
 いくら與儀の背が伸びようと、彼が貳號艇の玄関まで迎えに来ておかえりなさいと笑えばただいまと抱き上げてやるのがずっと二人の習慣だった。けれど今、自分の腕はこのザマだ。こんな腕で、どうやって與儀を抱いてやればいい。
 與儀は、抱き上げてもらえないと知ったら怒るだろうか、それとも拗ねるだろうか。

「どっち、だろうな……。どちらにしても、泣くだろうなぁ」

 頭に浮かんだ涙目の與儀の様子にふっと笑いが漏れるが、その些細な動きすらも傷に触る。ずきんと痛んだ自らの腹をおさえようとした右腕までもが赤く濡れていることに気付いて、平門はそっとひとつ息をついた。

 ――ああ、早く帰りたい。きっと今頃、與儀は自分の帰りを待ちわびているだろう。あの触り心地のいい髪を撫で、あたたかな湯の張られた浴室で汗と汚れを落とし、いつものように彼を抱きとめたままベッドで穏やかな眠りに就きたい。

 平門は、本当ならば数時間後には迎える筈だったあたたかな日常を想いながら、徐々に気が遠くなってゆくのを感じた。



****

 ふわりと香る微かな陽のにおいと、そっと頬を撫でる風。心地いいその感覚に誘われるように、ゆっくりと意識が浮上してきた。
 隣にあるはずのあたたかな体温を抱き寄せようと腕を動かしたところで、ずきんと鈍く痛みが走る。

「――う、」

 どうにか目をあけると、視界には包帯でぐるぐる巻きにされている自分の両手と、そのてのひらをきゅっと握ったまま寝入ってしまっている與儀の姿が目に映った。
 そういえば自分は能力者との戦いで負傷したのだ。それから艇に戻った記憶が、ない。きっと朔が見つけて、連れて帰ってきてくれたのだろう。後で礼を言わなければ――
 そこまで思い出したところで、目をさましたらしい與儀が身じろいだ。

「ぅ……?」
「與儀」
「! っ、平門サン!」

 寝ぼけ眼が覚醒してすぐに呼ばれる自分の名前に、ふわりと胸があたたかくなる。
 そんな平門の口から出たのは、任務から帰艇したときの二人のいつものセリフだった。

「與儀、ただいま」
「――っ、おかえりなさいぃ……」

 ただいま、おかえり。
 いつものセリフが、こんなに嬉しい。與儀はぼろぼろ涙を零してしまっていたから、平門は動く方の右手でその涙を拭ってやった。

「ひどい顔だ」
「だ、ってぇ、……平門サン……」

 いっぱい怪我してるし、目開けてくれないし、ただいまって言ってくれなくて、このままだったらどうしようって怖かった。
 そんなことを言って泣きじゃくる與儀の涙は、もう拭ってやるくらいじゃどうにもできない。

「與儀、傷は燭先生がすぐ治してくれるから」
「でも平門サン、骨折してるって」
「うん。特殊なライトをあてたらすぐ治るから大丈夫だよ」
「でも……」
「心配掛けてしまったな。すまなかった」

 與儀の心配を全部きいて、もう大丈夫だから泣かなくていい、と髪を撫でてやる。それでやっと少し安心したのだろう、與儀はぐっと自分で涙を拭って平門の目を見た。

「平門サン、俺……、――たい」
「え?」
「俺も、輪になりたい」

 あまりにタイムリーな話題に、平門は言葉を失った。
 燭が言ったのだろうか、と考えてすぐにその考えが打ち消される。平門に説得を頼んだ以上、彼が與儀に直接言うはずがない。でも、じゃあ何で與儀が自ら輪になどなりたいというのだ。

「朔サンが言ってたよ! 平門サン、ひとりじゃなかったら怪我しなかったって」
「朔が?」
「うん、ひとりにした俺のせいだからごめんって……」
「そうか。朔のせいじゃないのにな」
「だから俺、輪になる。平門サンと一緒に任務に行きたい!」

 與儀を、輪闘員へ。
 そう説得しなければならなかったから、彼自ら希望してくれたのは嬉しい筈だったのだ。けれど平門は、素直にそれを受け入れられなかった。
 まだまだ幼い與儀のこころとからだに負担をかけたくないという気持ちが、やはり捨て去れなかったのだ。

「與儀。気持ちは嬉しいけど、輪は危ない仕事なんだ」
「でも俺っ、平門サンみたいに空飛べるよ! 戦う練習も、いっぱいやるから、そしたら輪になれる?」
「違うんだ、與儀は輪になれないって言ってるわけじゃない。お前は素質もあるし努力家だからきっといい闘員になれる。でも、輪になったら怪我もいっぱいする。俺が今こうなっているのも輪だからだ、わかるだろう?」
「わかる、けど、怪我は燭先生が治してくれるんでしょ?」
「〜〜っ、俺はお前が怪我するのを見たくないんだよ」
「俺だって平門サンが怪我するの見たくない! 二人でいれば怪我しないって朔サンが教えてくれたよ。朔サンは壱號艇のお仕事忙しいから俺が平門サンと一緒にいる」
「しかし……」

 気づけば平門は、なんとか輪になることを思い止めようとしていた。『闘員になるよう説得すること』という燭からの指示は、とっくに頭の片隅に追いやられていた。
 けれど、いくら輪の仕事の危険を説いても與儀は折れない。

「俺じゃ無理? 平門サンの邪魔になる……?」

 それどころかますます意思を強く持ち、まっすぐに平門の目を見て、平門の力になりたいと伝えてくる。まだまだこどもだと思っていたのに、なんだかひとまわり大きく見えた。
 そういえば、抱き上げてやれなくても拗ねもせず怒りもしなかった。ただ、平門の心配をしてくれていた。
 ――身長だけじゃなくて、本当に、ずいぶん、大きくなったんだな。

「いいや、……お前が傍に居てくれたら、心強いよ。じゃあ、輪の試験に合格できるよう頑張ってみるか」
「――! うん!」
「試験は来月だぞ。帰ったら、特訓だな」
「ハイ!」

 與儀に負けないように、自分も成長しなければ。ただ心配して危ないことから遠ざけることだけが、守ることじゃない。與儀がやりたいようにやらせてみよう。その結果今まで通り一緒にいられるのならば、こんなに嬉しいことはない。
 そう覚悟した平門と與儀の新しい一歩を祝福するように、枕元に飾られていた花がふわりと揺れた。






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